23. 貞操問答
高田馬場近くの高級ホテルに到着した一行は、最上階のレストランバーに入った。十人掛けの個室に腰を落ち着けると、さっそくビールが開けられた。
真壁の付き人は五人いた。彼らは席につくやいなや政治談議をはじめた。今日の講演会で語られた内容の続きである。
「現状を変えるには、やっぱり若者の投票率を上げないと……」
「いや、若者の絶対数が足りないから駄目だ」
「この国は老人が多い。最初から勝負にならないさ」
「しかし老人の中にも若者のことを考えてる人がいるはずだ。たとえば、このあいだ亡くなった原さんとか鏡さんとか」
「死んでしまったら意味がない。それに、政治家だけを押さえてもだめだ。資金の裏づけがないと。スポンサーになってくれる人がいれば……」
酔いが回るにつれて議論が盛り上がっていった。
そんな空気のなか、真一は居心地の悪い思いで座っていた。付き人たちの熱い話も耳に入らない。
なにしろテレビでよく見る有名評論家と、入るつもりのなかったサークルの幹事長に両脇をガッチリと挟まれているのだ。針のむしろである。
しかも二人とも美男子なのだ。特に俊夫は天使と見紛うばかりの水際立った美貌のもち主だった。この二人に挟まれると自分が場違いの道化師に思えてくる。
「あいつらはね、ぼくが主催する私塾のメンバーなんだ」
真壁は付き人たちを指差した。どれも田舎くささの抜け切れない、体格のいい青年たちだった。なんとなく真一と共通する雰囲気を持っている。
「若い人を支援するのがぼくのライフワークでね、熱海の別荘にメンバーを集めて定期的に“研究会”を開いている。別荘に寝泊りする者も何人かいるよ。よかったらきみも遊びにいらっしゃい」
耳元に酒臭い息を吹きかけながら、真一の膝に置いた手をポンポンと叩く。
「はあ……」
「いやあ、私財をなげうってまでのご支援、まったく素晴らしいことと思います。ここまで若者を思う心をお持ちとは。先生のやさしさ懐の深さには脱帽しました。さしずめ現代の吉田松陰といったところですな」
俊夫はあいかわらず酷いおべっかを並べ立てる。
一挙手一投足がことごとく決まっている男だった。自分が最も魅力的に見えるしぐさを無意識のうちに演じている、といった感じだ。
彼は生来の演技者なのだ。芝居がかったしぐさがいやみに見えない。ただしその魅力は真壁には通じていないようだ。
「小田くんはどこに住んでるの?」
評論家の熱いまなざしは、ひたすら真一にそそがれている。
「中野です」
「生まれは?」
「ええと、藤沢市です」
「もうすぐ夏休みでしょ? 実家に帰るの?」
「そ、そのつもりです」
「よし決まった、だったら夏休みは別荘にいらっしゃい。藤沢から熱海までは一時間ぐらいだよ。毎日でも通えるじゃないか。決まった決まった」
真壁は上機嫌でフォアローゼズのロックをあおった。
真一の中でじょじょに不安がふくらんできた。どうやら真壁は自分を気に入っているらしい。しかし嬉しさは全く感じない。
このまま飲み会が続いたら、自分はどうなってしまうのか。昨日までとは別の世界に連れて行かれるんじゃないだろうか。
すがるように俊夫を見た。
彼はにこやかなポーズをくずさない。しかしその目は笑ってなかった。真一と真壁の様子を、値踏みするような視線でじっと見ていた。
「あの、幹事長……」
「ちょっとトイレに行きたくなったな。きみは?」
「あっ、おれも行きます」
勝手知ったる様子ですたすた歩く俊夫の後を、真一は必死についていった。
レストランバーのトイレは六畳ほどの空間に小便器が三つ、洗面所部分だけで四畳半という贅沢なスペースだった。
俊夫は用心深く中を確認してから真一を入れた。
「これからどうするか分かってるだろうな?」
入るやいなや言われてしまった。
「そろそろ帰ろうかと」
「ははは、面白い冗談だ。それで、分かってるよな?」
「いや、その、分かりません」
「おいおいカマトトぶってるのか? 大学生にもなって分からないわけないだろう」
「つ、つまり、真壁さんの……別荘に」
「このホテルに部屋を取ってある。おまえは酔って歩けなくなったふりをするんだ。そしてぼくは先生に、きみを部屋まで送るよう頼む」
「すると、その後は……」
「先生はおやさしいから、きっと朝まできみを介抱してくれるだろうね」
さすがの真一にも理解できた。彼はトイレの床に膝をついた。
「すいません! できません!」
「おいおい本日二度目の土下座かよ。あんまり安売りするもんじゃないぜ」
俊夫は自分にむかって下げられた頭を踏みつけた。真一の顔面が床に押し付けられる。
「仕方ないじゃないか新入りくん。その役はぼくがやる予定だったのに、先生はぼくがお気に召さないようだから。あーあ、傷つくなあ」
「でもおれ、そういう趣味はないんで」
床に押し付けられながらも懸命に反論する。
「我らが経済同好会にとって、先生がどういう存在なのか分かってるだろ?」
「勘弁してください! すいません!」
「おまえ死にたいのか? 本多の知り合いらしいから助けてやってんのに」
俊夫が小声でつぶやくようにいった。思わず本音が出てしまった、という感じだ。
「助ける? どういう事ですか」
「あー何でもない、忘れてくれ」
幹事長は足を離して真一を助け起こした。
「それじゃ、こうしよう。今からおまえに麻酔薬を打つ」
「えっ?」
「トイレで気絶したおまえを、先生と二人がかりで部屋まで運ぶ。ぼくは先生に介抱を頼んでバーに戻る、というストーリーに軌道修正だ」
いきなり首筋に鋭い痛みを感じた。まるで太い針を刺されたようだ。
何が起こったか理解するいとまもなく、真一の意識は闇の中にフェードアウトしていった。
〇
気がついたら真一の意識は闇をさまよっていた。見渡す限り漆黒の闇である。
彼はその光なき世界で途方にくれていた。やみくもに周囲を見回すが、自分以外の存在を感知することができなかった。圧倒的な孤独感が心をしめ付ける。
しばらくすると、闇の中に一ヶ所だけ違和感を感じる部分を見つけた。そこに意識を集中すると、遠くのほうで小さな光る点のようなものが見えた。
あそこに行けば何かあるかもしれない。真一の意識はその点に向かって歩き始めた。
「お……し……お……し……」
かすかに人の声らしきものが聞こえてきた。真一は視界の真ん中にぽっかり浮かぶ光の点に向かって歩き続けた。
歩くうちに光の点は大きくなり、円になった。声はその円から聞こえてくるらしい。
「おき……しん……おき……しん……」
声はしだいに明瞭になっていく。今や真一にもはっきり分かる。それは瑠香の声だ。
「起きて真一、起きて」
突然、真一の視界が開けた。その視線が最初にとらえたのは、心配そうに自分を覗き込む瑠香の顔だった。
「あれ? 確かおれはバーのトイレに……」
「そんな事はいいから早く逃げましょう」
瑠香に助け起こされて、ふらつく体をベッドから下ろした。周りを見渡すとやはりホテルの部屋だった。
俊夫の計画どおり、気絶してるあいだに運び込まれたのだ。
ダブルベッドには真壁京四郎がいびきをかいて寝ている。いままで二人並んで寝ていたらしい。
「あっ! ひょっとして……」
真一はあわてて肛門のあたりをさすってみた。別に痛みは感じないし異物感もない。
「大丈夫よ、ことにおよぶ前に処置したから」
「処置って?」
「真一は麻酔を打たれたんでしょ? それと同じくすりを真壁にも……」
「経済同好会はみんな麻酔薬をもってるのか?」
「話はあと、とにかく逃げましょう」
部屋を出て廊下に出た。瑠香に手を引かれるまま走っていくと、突き当たりのエレベーターホールに出た。
とりあえず下降のボタンを押そうとしたら瑠香に止められた。
「時間がないわ、念のためエレベーターはやめて階段でいきましょう」
二人は横の非常階段に飛び込んだ。
「時間がないのにエレベーターはやめるってどういうこと?」
急ぐなら階段を使うよりエレベーターのほうが早いはずだ。
突然、頭上のほうからドーンという音がひびきビル全体が激しく揺れた。
二人は踊り場に倒れこむと、壁に這いよってへばりつく。
ジリリリ……とベルが鳴りひびいた。電灯が頼りなげに点滅して、またすぐにもとの明るさに戻った。
揺れは数秒でおさまったが、二人はしばらく動かなかった。そのうち階段の上のほうから悲鳴や怒鳴り声が響いてきた。
「こういうことよ」
彼女が言いたかったのは、爆破まで時間がないから停止するおそれのあるエレベーターはやめる、という事だった。




