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誘蛾灯の女~そのくちびるを見た者はことごとく魅了され、そして死ぬ  作者: メガネを取るとイケメン
第三章

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21. カリスマ評論家

 午前中まで降っていた雨が上がり、雲間から太陽が顔を覗かせた。梅雨明けを予感させる強烈な日差しだった。

 地面をぬらした雨水が早くも蒸発を始め、大学のキャンパスはまとわりつくような湿気に覆われた。学生たちはその湿気から逃れるように、正門の向かい側にある大講堂に吸い寄せられていった。

 しかし講堂の中はそれ以上の湿気が充満していた。千人以上収容可能な場内はすでに満席で、立ち見が出るほどの盛況ぶりだ。

 あまりの熱気にエアコンがまったく用を成さない。みんな受付で配られるプリントを団扇代わりにあおいでいた。

 演壇ではそんな熱気を意に介さない様子で、甘いマスクの男が爽やかな笑顔をふりまいていた。

 彼が笑顔を見せるたびに女子学生のあいだからホッとため息が漏れる。

 演壇の上には「真壁京四郎講演会 損をする若者たち」の横断幕が張られていた。


「皆さんは世代間格差という言葉を聞いたことがありますか? 簡単に言うと払った税金の額と国から受け取る社会保障費の差が世代によって異なるという話です。社会保障費というのは年金や医療費、それに福祉とか介護ですね。では具体的にどれくらいの格差があるのか。いろいろな試算がありますが、だいたい現在の六十代と二十代では一人あたり一億円近くの差が生じると思ってください」

 真壁が「一億円」の言葉を発したとき、会場からざわめきがおこった。


「驚きましたか? 分かりやすく単純化していうと、皆さんはいまの六十代より五千万円多く払って五千万円少ない額しか国から受け取れません。なぜかというと日本が少子高齢化社会になっているからです。だから少ない若者で大勢の老人を支えなくてはならない。若者の負担は年々大きくなっていく。老人がもらえる金額は年々減っていく。この傾向はこれからどんどん加速していきます」

 ここで一息ついた真壁は水差しの水をコップについでグイッと飲んだ。


「お年よりは大事にしなくてはいけないから仕方ないって? とんでもない! 現時点で日本の個人金融資産は千五百兆円ありますが、そのうちの六割は六十歳以上が所有してるんですよ。五十歳以上ですと、なんと八割に達します。そもそも、これだけのお金を年寄りが抱え込んでいるから若者に金が回ってこないのです。それなのに年寄りたちはですね、最近の若者が金を使わないという。お金を使わないから物が売れなくて不況になるという。冗談じゃない! 二十代と三十代が所有する金融資産は全体の六パーセントですよ。六パーセントしか持ってないのにどうやって金を使えというんですか。使うべきは八割抱え込んでる人たちでしょう!」

 客席から拍手が巻き起こった。


「日本には金が有り余ってます。金を持ってる人が使わないから不況になるのです。こうなったら手段は一つ。年寄りの富を強制的に若者に移転させるしかありません。そうなれば少子化だって解決しますよ。若者に金がないから子供を作れないわけだから。ぼくなんかね、オレオレ詐欺はなかなかいい手段だと思うんですよ」

 客席からドッと笑いがおきた。


「あれも年寄りから若者への富の移転ですよ。ですからね、全国各地の詐欺師たちを国が大々的に組織化して、もっと大規模にやればいいと思いますよ。いいじゃないですか、オレオレ詐欺の国営化。詐欺師が国家公務員になるんです。誰ですか、無茶苦茶だと言ってる人は? ぼくはこのアイディア、無茶苦茶だとは思いません。だって国家公務員なんてもともと詐欺師みたいなもんじゃないですか」


 ふたたびドッと笑いがおき、次いで盛大な拍手が巻き起こった。

 軽妙な話術のオブラートにくるんで過激な主張を展開する。これが真壁の魅力であり、若者にカリスマ的な人気を得ているゆえんだった。


       〇


 講演会は盛況のうちに幕を閉じ、学生たちが大講堂から吐きだされた。

 すでに日は沈んでいたが、蒸し暑さはまだ残っている。学生たちは急ぎ足で大学の建物や駅、あるいは商店街のファミレスや居酒屋に散らばっていった。

 その流れのなかに小田真一も混じっていた。彼は友人の河野に誘われて、講演会を見に来ていたのだ。


「こうなると分かってたら着替えを持ってきたんだがなあ」

 汗でべったり肌についたTシャツをパタパタやりながら河野がボヤいた。


「おかげで喉がカラカラだ。ビールでも飲んでくか」

「そうだな……」

 真一はなにやら深刻な表情をしていた。


「ところで真一、明日は大学に来ないほうがいいぞ」

「えっ? どうして」

「ほら、最近話題になってる連続爆破事件があるだろ。俺の予想では明日あたり、うちの大学が狙われると思うんだよ」


 連続爆破事件のニュースは真一も知っている。

 三日前に飯田橋の交番入口で何者かによって仕掛けられた爆弾が爆発した。さいわい爆弾の威力は低く、交通事故のパネルが破損した程度ですんだ。

 昨日は神楽坂駅の女子トイレで同一犯と思われる爆破騒ぎがあった。こんどの爆弾はなかなか強力で、三つの便器が吹き飛んだ。

 二件とも人のいない時間帯の犯行だったので死傷者は出ていない。


「犯人は飯田橋、神楽坂と東西線を東に移動している。だとしたら次の犯行現場はこの近辺という事になる。そして飯田橋の犯行から一日置いて神楽坂の事件が起きた。ということは、また一日置いた明日が危ないんだ……」


 河野は探偵になれるとおだてられて以来、すっかり推理趣味にハマっていた。

 一か月ほど前に起きた高瀬和也の事件も、自殺に見せかけた巧妙な殺人事件だと主張してクラスメートの失笑を買っていた。


「ごめん、河野」

 爆弾魔の話を続けようとしている友人を、真一は強制的にさえぎった。


「悪いけど用事を思い出したから」

 すまなそうに頭を下げると、友人を置いて走り出そうとした。

 その腕を河野が掴んだ。


「待てよ真一、ひょっとして本多瑠香か?」

 河野に問い詰められて真一は黙り込んだ。図星だったからだ。


「やっぱりそうか、実はおれもあいつの姿を見てる。講演会のスタッフに混じって働いている姿をな。おまえ、久しぶりに本多の姿を見て声をかけようと思ったんだろう」

「……」

「あいつ、しばらく見ないと思ったら、こんな事やってたんだなあ」


 本多瑠香はここ一ヶ月ほど語学クラスに姿を見せなかった。それどころか他の講義にも出席しなくなった。

 かといって大学を辞めたわけではないらしく、キャンパス周辺を歩いている姿を見たという話はたまに耳にする。

 そんな状態なので、瑠香と真一の関係についての疑惑はウヤムヤになった。

 孤立しかけていた真一はふたたびクラスに溶け込み始め、瑠香は都市伝説のような扱いとなった。


「たのむ真一、あいつには絶対声をかけるな。かけたら逆戻りになっちまう。またクラスのみんなから白い目で見られるんだぜ」

「ごめん河野、やっぱりおれ……」

 真一は掴まれた腕を乱暴に振りほどいて講堂に戻っていった。


「おれは帰るぞ! 本多に関わるのはまっぴらだからな! いいんだな!」

 河野の怒鳴り声が背中ごしに聞こえた。それを無視して、真一は講堂から出てくる人の波に逆らって走った。


 ラブホテルで別れて以来、連絡の取れない状態が続いている。彼女の姿を求めてキャンパスをさまよったこともあったが結局会えずじまいだった。

 そのうち真一は頭の靄が少しずつ晴れていくのを感じた。するとだんだんあきらめのような感情が生まれ、いつもの学生生活に戻っていくことができた。

 しかし瑠香の姿を見てしまっては、もう駄目だ。彼の頭にはふたたび霞がかかってしまった。

 入り口付近で立て看板を外している女の子を見かけた。黒ぶち眼鏡をかけた薄顔の地味な子だ。真一はスタッフの一人だと判断して声をかけた。


「あのう、探してる人がいるんですけど」

「はい?」

「本多瑠香っていう名前の女子です。たぶんスタッフの中にいると思うんですよ。会場で見かけたんで挨拶しておきたくて」

「あなたは?」

「小田真一といいます。本多さんと同じ語学クラスです」

「分かりました。少々お待ちください」


 そう言って女の子は講堂の中に入った。どうやら話は通じたようだ。

 待ってる間、女の子が外していた看板をなんとなく眺めた。「真壁京四郎講演会 損をする若者たち」というタイトルの横に、小さく「経済同好会主催」という文字がある。

 経済同好会というのはこの大学にあるサークルだろう。学生サークルがこの手のイベントを主催するのはよくある事だ。

 とすると瑠香は経済同好会に入ったのだろうか。ここ一ヶ月彼女が講義に顔を出さなかったのは、サークル活動が忙しかったせいかもしれない。

 なにしろ真壁京四郎といえばテレビでもよく見る有名人だ。スケジュールを押さえるだけでもひと苦労だろう。


「真一」

 ふり返ると探し求めていた瑠香の姿がそこにあった。十年ぶりの再会のような懐かしさを覚えた。

 あいかわらず鳥の巣のようなショートヘアにマスクという取り合わせだ。

 変わった点があるとすれば、その間にある瞳だった。そこにはなにか感情が宿っているように思えた。


「やあ、クラスに顔を出さないから心配してたんだ。でも元気そうでよかった」

 真一は縛っていたロープを外されて斜めに立てた看板を指差した。


「この経済同好会ってのは大学のサークル? 瑠香はそこに入ったの?」

「そうだけど」

「へえ、意外だなあ。瑠香はサークル活動をするタイプには見えないから。それに経済に興味があるとも思わなかったし。でも凄いよね、あんな有名人を呼んで」

「悪いけど忙しいから」

 瑠香は立て看板を抱えて講堂に入っていく。


「待って!」

 追いかけようとする真一の目の前で扉が閉まった。閉まる直前、


「今日は帰って、お願い」

 という声が聞こえた。

 いつの間にか彼の周りには人影がなくなっていた。瑠香を待ってる間に客はすっかり出払っていたのだ。


(そうだ、出口はもうひとつある。裏口に回れば彼女に会えるはずだ)

 真一は講堂前を離れた。裏口に回るには一度通りまで出なくてはいけない。それでは時間がもったいないので、距離を稼ぐために講堂わきの植え込みに飛び込んだ。

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