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誘蛾灯の女~そのくちびるを見た者はことごとく魅了され、そして死ぬ  作者: メガネを取るとイケメン
第二章

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19. つかのまの幸福

 瑠香はベッドに横たわりながら、さきほどの営みを胸のうちで反芻した。まだ経験が浅くぎこちない動きの彼だったが、それがかえって好感をおぼえさせた。

 彼女は枕元のダイヤルを回して部屋をすこし明るくした。掛け布団をはだけて、隣で寝ている真一の上半身を露出させた。その胸を指でツンツンする。


「くすぐったいよ」

 真一の声に、あわてて体を反対側に向けた。急に恥ずかしくなってきた。

 はしたない女と思われたんじゃないか。そんな不安が心をよぎる。


(なにやってんだろう、わたし)

 瑠香は自分の感情に戸惑っていた。

 はじめて真一の裸体を見たとき、その意外なたくましさに胸が高鳴った。

 男の裸なんて見慣れているし、真一より筋骨隆々な体も知っている。にもかかわらず、である。

 彼女が「小田くんの体があんまり綺麗だから」と言ったのは本心だった。


(不思議な人だわ、小田くんは)

 思い返せば、自分がどうして八百屋の前で声をかけてしまったのか分からない。もう真一とは関わらない、と心に決めたはずなのに。

 いや、そもそも関わりたくなければ、さっさとこういう関係になればよかったのだ。一度関係を持てば相手は興味を失うのだから。

 ところが瑠香はそうせずに、放っといて無視することを選んだ。


(つまりわたしは、小田くんが自分に興味を失うことを恐れた……)

 彼に声をかけられませんように、と願いながら、心の底ではかけられるのを待ってたのだ。

 真一が声をかけ、瑠香が無視する。それが二人の関係を確認する儀式だから。まだ彼が自分に興味を失ってない証拠だからだ。


(でも、そんな関係は終わってしまった)

 瑠香の心に悲しみが広がっていった。健太のことで落ち込む彼に、声をかけずにはいられなかった。自分の体を使ってでも彼を慰めたかったのだ。

 突然、真一がムックリと起き上がった。


「本多さん」

「は、はい」

「これからは下の名前で呼んでもいいかな?」

「えっ……」

「おれたちは付き合い始めたんだし、下の名前で呼び合うのが自然というか」

「そ、それは……」

 瑠香の胸がふたたび高鳴り始めた。


「それとも、おれなんかと付き合ってるの、周りに知られると恥ずかしい? それなら外にいるときは苗字で呼び合ってもいいよ。けど二人っきりのときは、やっぱり瑠香って呼びたいなあ」

 真一が“瑠香”という言葉を発したとき、彼女の中で何ともいえない幸福感が広がった。


「周りに知られるとまずいのはあなたのほうよ。クラスから完全に孤立するわよ」

「構わないよ、そんなの! むしろ見せ付けてやりたいぐらいだ」

「だったら条件があるわ、わたしも真一って呼んでいいなら」

「もちろん!」


 歯をむき出しにしてニッと笑う。

 真一は唇の性衝動喚起作用に影響を受けない体質である。しかし彼の特性はそれだけではなかった。

 瑠香とセックスしても彼女への興味を失わない体質でもあったのだ。


       〇


 大きな墓地に隣接する古びた洋館。それが瑠香の自宅だった。そこに父親と二人きりで暮らしている。

 母親は瑠香が小さい頃に亡くなった。

 彼女が帰宅したのは夕食の時間をだいぶ過ぎた頃だった。しかし父親はそんなこと気にしないだろう。遅くなるとメールで伝えてあるので、さっさと家政婦の用意した食事をたいらげて自室にこもっているはずだ。

 玄関に入ってからマスクを取った。この時間なら家政婦は帰ってるはずだ。

 深呼吸して新鮮な空気を肺に入れると、縛られていた縄が解けたような開放感を感じた。


「ただいま、真一」

 小声で言ってみた。


「瑠香、おまえ笑ってるのか?」

 居間から顔を出した本多博士が驚きの声を上げた。


「そう? わたし笑ってた?」

 こんな時間まで居間にいた父に驚きながら答えた。自分を待ってたとは信じられない。


「確かにいま笑ってたぞ」

「わたしだって笑うことぐらいあるわ」

「いや、父さんはおまえが笑ったところなんて初めてみた」

「えっ?」

「いままで気がつかなかったのか? 自分が笑ったことのない人間だってこと」


 先ほどまでの幸福感をぶち壊すような一言だった。父親の口から聞くと、あらためて自分が普通とはかけ離れた人間であることを思い知らされた。


「まあいい、桃園さんがみえてるんだ。さっさとマスクをしなさい」

 と言ってまた居間に引っ込んでしまった。

 やはり自分を待ってたわけではなかったのだ。瑠香は軽くため息をついて、ふたたびマスクを装着した。

 自分の顔がまた無表情のプロテクトで覆われたような気がした。


「ごめんなさいね瑠香ちゃん、こんな夜分にお邪魔して」

 居間のドアを開けると、いきなり桃園百合子がまくし立ててきた。


「どうしても処理しなきゃいけない案件が出てきたのよ。例のサポート要員への配置転換の件ね。普通なら研修期間が設けられるんだけど、もう担当エージェントの次のターゲットが決まっちゃってるわよね。時間の余裕がないのよ」

「つまり研修とサポート業務を同時進行でおこなうということですか?」

「さすか瑠香ちゃん、飲みこみが早いわあ。でもそれだけじゃないの。今回は局長の計らいで、計画立案から実行まですべてエージェント自身がおこなうことになったのよ」


 通常は別のセクションが計画立案を行い、エージェントはその計画を忠実に実行するだけである。エージェントが自分で計画を立てるのは異例の事態だ。

 瑠香は地下室で局長とからみあっていた俊夫の姿を思い出した。なんとなくこれは俊夫が望んだことだろうと思った。そのために局長を篭絡したのだ。


「ということはよ、瑠香ちゃんも計画立案段階から彼をサポートしなきゃいけないわけ。これじゃ大学にいってるヒマがなくなっちゃうわよねえ」

「しかもターゲットは二十九人ですから」

「人数からいって、どう考えても試験期間をまたいじゃうわ。そこで本多博士にお願いしてね、大学に休学届を出してもらうことになったわけ」


 瑠香は居間を見回した。いつの間にか父の姿が消えている。おそらく自室にもどったのだろう。


「父はこのことを了承したのですか?」

「そうよ」

 瑠香の手に書類がわたされた。休学届にはすでに父の署名捺印がなされていた。


「あとは瑠香ちゃんの署名捺印だけよ」

 これで真一とはしばらく会えなくなる。瑠香は絶望的な気持ちで休学届を見つめた。

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