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誘蛾灯の女~そのくちびるを見た者はことごとく魅了され、そして死ぬ  作者: メガネを取るとイケメン
第二章

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18. 駄目なやつ

 小田真一は学校の図書館を出て通りに出た。

 児童虐待についての調べものをしていたのだ。カバンの中には借り出した虐待に関する専門書が数冊おさまっている。

 その足で商店街に入った。八百屋の店先を覗いてみると、あいかわらず平日の昼間に小学生が店番をしている。腕のギプスはもう取れていた。


「よう健太、もう腕はすっかり治ったみたいだな」

「ああヘタクソか」

 少年の中で真一はヘタクソで定着していた。坂東健太というのが少年の名前だ。


「ボサボサ頭のねーちゃんとは仲良くやってるかい?」

「生意気いうんじゃないよ」

「へへへ……ところでスーパーボールの腕前はすこしは上がった?」

「いやあ、どうかな」

「持ってるんでしょ? ちょっとやって見せてよ」


 健太に言われてカバンからスーパーボールを取り出した。自分用に買ったものだ。真一はそれを不器用な手つきで地面に叩き付けた。

 ボールは跳ね上がって真一のアゴを直撃。のけぞる彼を尻目に、ボールは転がってどっかに行ってしまった。


「ぎゃはははは! あいかわらずヘタクソだなあ」

 少年は手を叩いて喜んでいる。チャンスとばかりに真一は本題に入った。


「なあ健太、腕の怪我は本当に転んでできたものだったのか?」

「またその話かよ」

 健太はあからさまに嫌な顔をした。


 真一はあれから何度も八百屋を訪れて健太に話しかけていた。

 瑠香がいってた「あの子、たぶん虐待されてる」という言葉が気になったからだ。そして何度も通ううちに健太と親しくなった。

 坂東健太の両親は蒲田で町工場を経営していた。

 しかし取引先から不渡り手形をつかまされたために経営が傾き、両親は健太と妹をつれて無理心中を図った。高尾山へハイキングに行った帰り、人気の無い山道で自動車の排気管と窓をホースでつないで空ぶかししたのだ。

 その結果、両親と妹は死んだが健太だけは奇跡的に生き残った。彼が小学校に上がってまもなくのことである。

 健太には一酸化炭素中毒の後遺症が残った。今のところ特殊学級に入るほどではないが、精神面や知能面での成長が遅れ始めたのだ。

 スーパーボールのような幼稚な遊びを喜ぶのも後遺症の現われかもしれない。

 その後健太は父親の妹夫婦に引き取られた。それが現在の住まい、つまりこの八百屋である。

 八百屋の主人夫婦には健太より三つ年上の息子がいた。成績優秀でスポーツも得意な少年だった。

 そんな家庭にいきなり後遺症を持った子供が転がり込んだのだ。次第に重荷になり、うとましくなったという事も十分あり得る。

 断片的に聞いた健太の話を総合するとこんな感じだった。


「正直に話してくれよ。本当は転んだんじゃないんだろ? この家のひとに……」

「てめえ、いいかげんにしろよ!」

 健太は火がついたように怒り出した。急に爆発する子である。


「心配しなくてもいいんだ。児童相談所というのがあるから。ここでは虐待の相談も受け付けている。児童虐待と認定されれば一時保護所に隔離してくれる。そこにはケースワーカーや心理士がいて、心のケアもしてくれる。ちゃんと本に書いてあるんだから」


 真一はカバンから専門書を取り出そうとした。しかしあせっているのでなかなか取り出せない。しゃべっているうちに頭に血が上ったのである。


「そんな難しい話、分かんないよ」

「東京都の児童相談センターならここから歩いていける距離にある。健太、これからお兄さんと一緒に行こう」


 真一は手を伸ばして健太の腕を掴もうとした。

 だがその手をスルリと抜けて、健太は店を飛び出していった。商店街の人ごみにまぎれてあっという間に見えなくなる。


「お、おい……」

 真一はその場に呆然と立ち尽くした。


「あなた、ちょっとあせりすぎよ」

 聞き覚えのある声にふり返ると、そこには瑠香が立っていた。


「子供は保護者に依存しなくては生きていけない。だから、虐待を人に話したら保護者から見捨てられる、という恐怖心がある。また心の底では大人に対する信頼感が薄いから、助けようとする大人を拒否する傾向がある。本を読んだなら分かってるはずよ」

「分かってるけど……」

 けどできなかった。気持ちばかりあせって、途中で頭から消えてしまったのだ。


「それともあなたが直接通報する? 児童相談所に虐待を通報するのは第三者がおこなってもかまわないはずよ」

「それは……」


 間違いなく虐待がおこなわれている、という確信はまだない。そんな段階で通報していいのか、という迷いもあった。


「行政が子供を正常に育成できない環境と判断した場合、養護施設に送られるんだけど、障害のある健太くんの場合はどうかしら。施設で上手くやっていけるのか……」

 瑠香の言葉がいちいち胸に突き刺さる。自分のふがいなさ、考えの浅さ痛感した。


「まいったな……」

 真一は静かに笑い出した。自嘲の笑いである。


「こう見えてもおれ、地元ではちょっとした秀才あつかいだったんだぜ。でも大学に入ったらおれぐらいのレベルはゴマンといる。それどころか、議論しても歯が立たない奴ばっかりでさ、完全に自信喪失状態だったんだ。おまけに最近は頭に靄がかかって思考力は低下。誰かを救うことができれば、ちょっとは自信回復すると思ったんだけどなあ」

 言ってるうちに情けなさがつのった。比喩でなく、本当に涙が出てきた。


「しばらくその辺をぶらぶらしましょう」

 瑠香は大学と反対方向に歩き始めた。

 真一も催眠術にかかったようについていく。

 陽が沈みはじめていた。二人は夕日を背に浴びながら商店街を歩いた。


「地元の話を聞かせて。どこに住んでたの?」

「江ノ島だよ。いわゆる湘南ボーイってやつだ。そうは見えないけどね。きらめく太陽に輝く海。サザンオールスターズの世界だよ」

「なら、けっこう遊んでたんじゃない?」

「とんでもない! 遊ぶのはおもに観光客。地元民には日常生活ってのがあるから。おれはおおむね真面目な高校生活をおくってたよ」


 しゃべっているうちにスイッチが切り替わってきた。つい数ヶ月前の生活なのに、懐かしい思い出として胸によみがえってきた。


「サーフィンとかやってたの?」

「少しやったことあるけど上達はしなかったな。あんまり好きじゃないや。やっぱり自分の体で泳ぐのがいい。そうそう、夏は海水浴場でライフセーバーのバイトをやったよ」

「そういうのってバイトでもできるんだ」

「よっぽど泳げないやつ以外なら誰でもできるよ。採用試験も簡単だった。ちょっとした泳力検査だけで、そのあとすぐに心肺蘇生の講習をうけた」

「誰かを助けたことあるの?」

「ない!」

 思わず笑いがこみ上げる。心なしか瑠香の目も笑ってるように見えた。


「助けた同僚もいたみたいだけど、おれの前では結局何も起こらなかったなあ。基本的にひたすら監視塔に座って水着のねーちゃんを眺めてるだけだった。ヒマとの戦いだよ」

「わたしは海が苦手だから」

「そういえば、水泳の授業はぜんぶ休んでたんだってね」

「誰に聞いたの?」

 瑠香の目に警戒の色が浮かんだ。


「きみが高校時代に付き合ってた野村くん。彼に会ったって言っただろ?」

「ああ、彼ね……」

 ボソリとつぶやく彼女の声は寂しげだった。


 だんだん瑠香の感情が分かるようになってきた。彼女が表現するようになったのか、自分が読み取れるようになったのか、とにかく分かるようになったのだ。

 そうだ、瑠香が人殺しの超能力者だなんてとんでもない。ちょっと感情表現が苦手なだけの、普通の女の子じゃないか。本当はこんなに豊かな感情を持ってるじゃないか。真一はあらためて心無いクラスメートの中傷にいきどおりを感じた。

 それとともに彼女に対するいとおしさがわいてきた。


「この前のこと、怒ってるんだろ?」

「この前のことって?」

「ほら、ラブホテルの前で……だからおれを無視してたんだろ?」

「それは別に」

「よく考えたらひどいことをした。女のほうから誘うってのは勇気のいる行為だったんだ。それをおれはむげに断った。きみに恥をかかせたんだ」

 真一の声がだんだん大きくなってきた。


「つまらない常識にとらわれすぎてた。順番なんかにこだわるべきじゃなかったんだ。いいじゃないか、セックスのあとで遊園地に行ったって!」

「小田くん、こんな場所で……」


 瑠香にそでを引っぱられてハッと気付いた。商店街の真ん中でラブホテルだのセックスだの、不適切な用語を大声で叫んでしまった。

 真一は顔が真っ赤になった。また彼女に恥をかかせてしまった。


(やっぱりおれは駄目なやつだ……)

 立ちすくむ真一の手を、瑠香がそっとにぎった。そのまま無言で歩き出す。

 彼女に誘導されるようにして商店街を折れ、大学の裏門通りに回った。雀荘やビリヤード場が並ぶガラの悪い場所である。

 そこからさらに路地に入った。二人は無言のまま歩き続け、この前のラブホテルに吸い込まれていった。

 今度は真一も拒否しなかった。


       〇


 バスタオルを落として裸体をさらした瑠香を見て、真一は目を見張った。思わず枕元の調節ダイヤルを回して照明を明るくする。


「やめて……」

 瑠香は両手を使って胸と下腹部を隠した。


「ごめん、本多さんがあんまり綺麗だったから」

 真一はあわててダイヤルを戻して薄暗くした。水着の女性は飽きるほど見てきたが、ここまで見事なプロポーションにはお目にかかった事がない。

 瑠香はすばやくベッドにもぐりこんできた。


「小田くんの体だって、たいしたもんだわ」

 彼女は分厚く盛り上がった大胸筋に手を這わせた。


「海で鍛えた自慢のボディだからね。数少ないおれのとりえだ。ただし泳ぎ以外でこのボディが役に立ったことはない。けんかも弱いし、まったくの見かけ倒しだよ」

 またもや自虐的になる。すると瑠香が胸をギュッとつねってきた。


「イテテ……」

「ごめんなさい、小田くんの体があんまり綺麗だったから」

 ふふふ……とマスク越しに笑い声が漏れた。


「なあ、やっぱりマスクは取らないの?」

「あなたは意志が弱いから、かならずキスしてくるわ」

「信用ないんだな……」

 とは言ってみるが、自分でもマスクがないとやってしまいそうな気がした。

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