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誘蛾灯の女~そのくちびるを見た者はことごとく魅了され、そして死ぬ  作者: メガネを取るとイケメン
第二章

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17. 本部からの辞令

 五日後、瑠香は再び局長に呼び出されて教会に足を運んだ。

 どういう風の吹き回しかは知らないが、エージェントを教会に入れるのをあれだけ嫌っていたコロンボ神父からの呼び出しである。何か事情があるに違いない。

 この前の高瀬和也暗殺のときの不手際が関係しているのだろうか。

 ともあれ瑠香にとっては二度目の訪問なので、勝手知ったるようすで礼拝堂に入った。


「失礼します」

 ノックして事務室のドアを開けるとコロンボ神父の姿が見えず、代わりに桃園百合子がデスクに座って新聞を読んでいた。


「高瀬の死はやっぱり自殺として処理されたみたいね」

 桃園は新聞を投げてよこした。

 読むまでもなく、女流作家を殺して自分も自殺した有名デザイナーのニュースが連日一面のトップを飾っているのはよく知っている。



「それで、わたしが呼ばれたわけは……」

 性急な瑠香の問いに、桃園はいたずらっぽい笑みで返した。


「面白いものを見せてあげる」

 彼女はデスクにおいてあったからっぽの花瓶を手に取ると、受話器のように耳にあてて話しかけた。


「本多瑠香が到着しました」

 するとかすかな機械音とともに床の中央が開いて一メートル四方の穴ができた。穴の端には地下に下りるためのはしごが備え付けてある。


(まるでアメコミ映画の秘密基地だ)

 瑠香はその大げさな仕掛けに目を見張った。機械仕掛けで開く床なんて、まさに映画の世界で、現実感というものがまったく感じられない。


「驚いた……ようには見えないわね」

 桃園は何らかのリアクションを期待していたようだが、瑠香は相変わらず無表情だった。

 本当はそれなりに驚いているのだが、表情に出ないのだ。


「ついてらっしゃい」

 あきらめた桃園は穴のはしごを降りていった。瑠香も黙ってその後を追う。


 そこは教会の土台部分にあたる場所だった。将校会議所として使われていた部屋を改造したのだろう。地上と打って変わり、贅を尽くした空間になっていた。

 中央には大理石の丸テーブルが置かれ、ふかふかのソファがそれを囲む。

 壁ぎわにイタリアから輸入した高級家具が並べられ、反対側の壁には巨大なワインセラーが備え付けてあった。

 床に敷かれているのはくるぶしまで埋まりそうなじゅうたんである。


(なるほど、これが謹厳実直な神父の正体か)

 丸テーブルの奥の席に小柄で貧相な白人が座っていた。

 この教会の責任者であるチャールズ・コロンボ神父だ。彼は今、山盛りにした牡蠣のオリーブオイル漬けを肴にワインをがぶ飲みしている最中である。

 コロンボ神父の隣には美貌の青年、俊夫アンドリュースが座っていた。素肌に白いシーツを巻きつけただけの姿で、だらしなく神父に寄りかかっている。

 彼は皿から牡蠣をつまむと、口にくわえて神父に差し出した。


「ひひひひ……俊夫、可愛いやつだなあ」

 コロンボ神父は俊夫の唇にむしゃぶりつくようにして牡蠣をかじり取り、ワインで流し込んだ。

 表情筋がゆるみきっていて、ただでさえ醜い顔が極限まで醜悪になっていた。俊夫の天使のようなルックスと恐ろしく対照的である。グロテスクを通り越して滑稽とさえ言える眺めだった。

 さすがの桃園女史もあっけにとられて固まってしまった。金魚のように口をぱくぱくさせながら神父の痴態を眺めている。

 神父のほうも、二人が来ているのは分かっているはずなのに止めようとしない。わざと見せ付けて反応を楽しんでいるのだ。


「局長、本多です」

 失語症におちいった桃園の代わりに瑠香がみずから声をかけた。彼女の声にはまったく動揺がみられなかった。ガラスのような目つきも普段通りである。


「ふん……まあ座れ」

 コロンボ神父が急につまらなそうな顔になり、ノロノロと向かいのソファを指し示した。瑠香の様子に何の変化も見られないことが気に入らないらしい。


「たいしたもんだよ、まったく。微表情すら顔に出なくなってるじゃないか。パパに頼んで、顔面に筋弛緩剤でも打ってもらったのか?」


 もちろんそんな事はしていない。神父に心を読まれたくないと思った瞬間、本当に心が空白になってしまったのだ。

 あえて言えば自己暗示の一種だろう。しかし、どうしてそんなことができるのかは自分でも良く分からない。

 彼女が指定のソファに腰掛けるのを確認してから、神父はおもむろに封筒を放り投げた。


「本部からの辞令だ」

 封筒を開けて中の書類を読むと、英文で次のような意味のことが書いてあった。


   ――――――――――――――――――――――――

 前回のミッションのレポートを本部スタッフで分析してみた。

 結果的には任務成功だったが、途中でいくつかの危機的状況が発生している。

 その原因はターゲットが過剰反応を起こしたこと、ターゲットの愛人が気まぐれを起こして帰国の日程を早めてしまったこと、それを察知したサポート要員が急を知らせようとしたとき、たまたま11811号(瑠香)がシャワーを浴びていたことの三点である。

 危機的状況はこれらの偶然が重なったため生じた不可抗力的な出来事であり、エージェントの落ち度ではないことは認められる。

 しかしながら無用の死者を一名出したこと、その死者が社会的地位のある有名人であったことは問題といわざるをを得ない。

 今回の件で浮き彫りになったのは11811号がただ一つの技能しか持たないことである。

 その技能は確かに他を圧倒するほど抜きん出たものであるが、予想外のアクシデントに見舞われた時には手も足も出なくなるという欠点をもつ。

 そこで、この脆弱性をカバーするためにはどうすればいいかを本部スタッフで協議した結果、11811号を一時的にエージェントから外し、サポート要員としての任務についてもらう、という結論に達した。

 サポート要員の立場からエージェントしての基本的な技量を学び、アクシデントに対処できる力を身につけててもらいたい。

 なお、これは教育プログラムの一環であり左遷ではない。あくまでも一時的な措置であることを強調しておく。

   ――――――――――――――――――――――――


 最後まで読んだが、瑠香には何の感慨も浮かばなかった。ただ「そうか」と思うだけである。暗殺であれ、そのサポートであれ、彼女にとっては与えられた作業をこなすことに変わりはない。

 瑠香は書類から顔を上げて神父を見た。彼は待ち構えたようにニヤリと笑うと、


「わざわざ左遷ではないと必要もないのに書いてある意味を考えることだ。これはエージェントのやる気をそがないためのレトリックであり、実質的には左遷で間違いない。いかにも本部のお偉いさんらしい気の使い方だ」

 聞いてもいないのに注釈を加えて、またひとつ牡蠣を頬ばった。


「ナンバー3の表彰をしたばかりというタイミングでこの始末だ。おまえは上司であるわたしの経歴に泥を塗っただけでなく、引き立ててもらったお偉いさんの顔もつぶしたわけだからな。当然の処置だ」

「それでわたしは誰のサポートに付くんですか?」

 瑠香にはうすうす感づいていたが、一応聞いてみた。


「おいおい、この場にもうひとりエージェントがいることに気付いてないのか? 俊夫とはこの前、会ったばかりだろう」

「もうひとり、という言い方はちょっと不正確だと思うよ」

 俊夫は神父の唇に人差し指をあてた。


「だって辞令を受け取った時点で、この女はサポート要員なんでしょ? なら、ここにいるエージェントは僕ひとりという事になる。そこんとこは重要だよ」


 何が重要なのかサッパリ分からないが、彼が序列にこだわる性格なのは先日の出会いで思い知らされている。

 瑠香はこの点で俊夫を刺激してはいけない、と心に決めた。


「というわけでさっそく次の任務だ……桃園」

「は、はい」


 どうやら失語症から回復したらしい桃園女史は、はじかれるように壁際に走った。はめ込まれていたパネルを操作すると、天井からスクリーンがするすると下りてきた。部屋が薄暗くなり、プロジェクターの映像が投射される。

 ワイドショーの映像が流れた。にこやかに司会者の話をきく高瀬和也の顔がアップになった。首をつっても死に切れずに暴れていた姿が瑠香の脳裏に浮かぶ。


「こいつが次のターゲットだ」

 神父がおかしなことを言い出した。


「失礼ですが局長、高瀬和也はすでに……」

「あわてるな、高瀬の隣の男だ」


 そう言われて瑠香はふたたびスクリーンに注目した。

 高瀬の隣には評論家の真壁京四郎が座っていた。甘いマスクと魅力的な低音ボイスを持つ三十代前半の男で、若者のあいだでカリスマ的な人気を誇る新進気鋭の若手評論家だ。


「正確にいえばターゲットはこの人が作った通称“研究会”と呼ばれる団体よ」

 桃園が解説を入れる。


「真壁は半年前、テレビ出演で稼いだ金をつぎ込んで熱海に別荘を買ったの。そこに若い人を集めて私塾を開いた。それが“研究会”。最初は真壁の専門である政治問題を論じるサロンだったのが、だんだん思想的に先鋭化していって、とうとう政府転覆をたくらむテロリスト集団になってしまったってわけ。怖いわねえ」


 政府転覆――つまり革命だ。

 瑠香は思い出した。あの夜、高瀬がバスルームのドアをこじ開けようとしながら「あと一年もすれば日本に革命が起きて、僕は新政府の要職に就く」と言ってたのを。


「メンバーはみんな頭でっかちの若造どもだ」

 神父が二本目のワインを開けながら言った。もうかなり目が据わっている。


「連合赤軍と一緒だよ。議論をすればするほど極端になっていくんだ」

 連合赤軍事件は瑠香も聞いたことがある。

 いまから半世紀も前の話だ。理想に燃えた若者たちが日本に革命を起こそうと立ち上がった。

 だが警察に追われて山奥に逃げ込み、小さな山小屋で議論を重ねるうちに彼らの論理はねじれてきた。貴重なメンバーを次々と粛清し始めたのだ。

 結局メンバー二十九人のうち十二人が殺害された。


「奇しくも“研究会”のメンバーは真壁京四郎をのぞいて二十九人。山小屋に逃げ込んだ連合赤軍と同じ数だ。今回のミッションはこの二十九人を暗殺することにある」

 神父の声が高らかに響いた。


「こりゃ大仕事だ。でも、どちらかというと暗殺というより大量虐殺だね」

 さすがの俊夫も目を丸くしていた。


 それにしても――と瑠香は思う。あれだけエージェントを嫌ってた神父が、なぜ今回に限り二人も教会に入れたのだろうか。

 しかも連絡員を経由させず、その場で作戦指令まで伝える始末だ。この会合には終始違和感がつきまとっている。


(考えられるのは、わたしの無表情が神父の研究心に火をつけた、ということだ。俊夫アンドリュースとの痴態は、わたしから表情を引き出すためのショック療法のつもりだったのかも知れない)

 とりあえずそう結論付けるしかなかった。

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