16. 美貌の青年
「高瀬を気絶させたのはいい判断だわ。無理にでも暗殺を強行していたら、第三者の痕跡を残さないという計画のキモが、おそらく破綻しただろうから。今回のアクシデントは、殺し以外の能力を持たない瑠香ちゃんには少し荷が重かったわね。でも、自分の実力を正確に計れるのはいいことよ」
桃園が廊下に倒れている高瀬を見下ろしながら言った。
高瀬は極度の興奮状態におちいっていた。いつものように音もなく殺すのは難しい状況だ。そうなると近所の住人に通報されるリスクが高まる。
もし瑠香が負傷して現場から離脱できなくなったら、その時点でアウトだ。
「女のほうは駄目だな」
しゃがみこんで山岡絵里子の様子を見ていた安田が顔を上げた。
「頭が割れて脳みそがはみ出してる。息をふきかえす可能性はゼロだ」
「あら残念。この人の小説、好きだったのに」
「へえ、桃園さん、山岡絵里子なんか読んでるの?」
安田が立ち上がって血だまりをピョンと飛び越えた。
「俺も読んでみようかな。面白い?」
「あんたには向かないわよ。基本的に女のグチしか書いてないから」
「うへえ、そういうの苦手」
緊迫感に欠ける会話だが、死体を見るのが日常になってしまうと誰でもこうなる。感覚がマヒしてしまうのだ。
普段の瑠香だったら、二人の会話を興味深く聞いていただろう。安田の意外と人懐こい一面がかいま見られたからだ。こんなにくだけた態度は彼女に対して一度も見せたことがなかった。
しかし瑠香には二人の会話が耳に入らなかった。危機的状況はひとまず脱したにもかかわらず、精神的には緊張状態が続いていた。知らない人間がひとり、この場に混じっていたからだ。
彼はハーフめいた美貌の青年だった。
ほっそりとした長身で、少女マンガのような体型だ。気味が悪いほど整った顔立ちは女にもめったにいないほどの美しさである。
さっきから青年は何もせず、ニヤニヤしながら黙って立っているだけだった。
この人はいったい何者だろう。何しに来たんだろう。瑠香は油断なく青年を観察していた。彼の正体が判明するまでは緊張を解く気になれなかった。
「あらやだ、瑠香ちゃん、この人のこと、そんなに気になるの?」
桃園がおどけた調子で言った。
「ま、美青年だし、無理もないかな」
意味深な目つきで瑠香を見る。何か勘違いしているようだ。
「まいりましたよ、彼女、さっきから熱い視線でぼくを見つめてるし」
青年は調子を合わせるように明るく応えた。ボーイ・ソプラノの涼しげな声だ。
もちろん冗談だというのは分かっている。普通の女の子なら真っ赤になって否定するか、あるいは気の利いたセリフで返すところだろう。
しかし瑠香は決して彼のペースに巻き込まれなかった。相変わらずガラスのような目で青年を見つめ続けた。
感情を表に出さない瑠香に対して、からかうことで反応を引き出そうとする人間は今までに何人もいた。しかし彼女はいつも無反応で通した。
それが彼女にとって、この過酷な世界でおのれを守る唯一の手段なのだ。
「心配しなくても、この人は瑠香ちゃんのお仲間よ」
桃園は根負けしたように言った。
「つまり組織のエージェントですね? それもダーティ・ワーク専門の」
ここで瑠香はようやく桃園に目を向けた。
「そう、ランキングで言えばナンバー4の殺し屋ね」
「はじめまして。ナンバー4の俊夫アンドリュースです」
俊夫と名乗る青年は顔の前で右手をくるくる回しながら頭を下げた。
中世のヨーロッパ貴族がやるようなジェスチャーだが、彼がやると腹立たしいまでに決まっている。
「格下のぼくが光栄にもナンバー3大先生の尻ぬぐい役に抜擢されまして、最初は意外に思いました。ところがですね、ぼくもさっき初めて知ったんだけど、本多さん、あなた調子こいてナンバー3を気取ってるけど、本当は周りがぜんぶ段取りを組んでなきゃ何もできないお人形さんなんだよね」
天使のような顔をして、吐き出す言葉は毒々しい悪意に満ちていた。その目つきは憎しみをあらわにし、刺すように瑠香をにらみつける。
「そんなこと言うもんじゃないわ」
桃園はあわてて彼をたしなめる。
「だって、心臓発作に見せかけて殺すことしかできないんでしょ? そんな欠陥品だから、こういうイレギュラーな事態に対応できないんですよ」
「ごめんね、瑠香ちゃん。でも高瀬和也は必ず殺さなくちゃいけないの。だから瑠香ちゃんができないなら、代わりにできる人を連れてくるのは仕方のないことでしょ?」
桃園はすまなそうに言った。
そういうことか。見慣れない青年が来た理由がようやく分かった。
それにしても俊夫という青年は初対面から瑠香に対して敵意をむきだしにしているが、なぜそんな態度をとるのかよく分からない。
あるいはランキングで瑠香の下に置かれてしまったことが原因かもしれない。しかしそんなことで熱くなる気持ちは彼女には理解できなかった。
一同はキッチンに集まって善後策を話し合うことになった。
俊夫は自分のテリトリーとなると自信たっぷりの態度でしゃべり始めた。身振り手振りを交え、自分の魅力を最大限に生かすべく計算している感じである。
「いちばんいいのは自殺に見せかける方法ですね。つまり痴情のもつれが原因で、カッとなって愛人を絞め殺した。しかし冷静になると自分のしでかしたことが恐ろしくなって自殺する、というストーリーです」
「なるほど、それなら無理がないし、警察も確実にその線で動くと思うわ」
桃園もすっかり感心しているようだ。
「さて、自殺に見せかけるとなると、手首を切るか、睡眠薬か、首吊りかということになります。いちばん確実なのは首吊りですが」
「どうせなら確実な方法がいいわね」
「分かりました、首吊りですね。これは通常、男手が二人必要なんですが……おあつらえ向きに安田さんがいましたね。申し訳ないけど、手伝ってもらえませんか?」
「えっ、俺も手伝うのかよ。そんなの聞いてないぜ」
「何いってんの、今は非常事態なんだから文句をいって場合じゃないでしょ。それにあんた、サポート要員なんだから、手伝うのも仕事のうちじゃないの」
どうやら桃園はすっかり俊夫びいきになったらしい。安田のボヤキをピシャリとはねのけた。
「ちぇっ、分かったよ。やりゃあ良いんだろ」
「あとは首を吊る場所をどこにするかですね。むかしの日本家屋には鴨居というものがありまして、首を吊るのに便利だったんですが、最近の家にはそういうものがありませんからね。ちょっと場所を探してきます」
そう言うと、俊夫は口笛を吹きながらキッチンを出て家の中を探索し始めた。スキップをしているような軽快な足取りで、踊るように歩き回る。
事態がこうなっては瑠香にできることは何もないので、彼女はずっと黙っていた。それが俊夫の気分を高揚させるのだろう。
格上のナンバー3が起こした失敗を、自分が尻拭いするという状況に嬉しさを隠し切れないのだ。
〇
十分後、俊夫が戻ってきた。
「さっき玄関を見てみたら、シャンデリア型の電灯がありました。あれなら人ひとりぶら下げられると思います。ぼくはロープをつるしてるから、安田さんは悪いけど玄関まで高瀬を運んでくれませんか」
「へいへい、重そうだけど仕方ないか」
安田は倒れている高瀬の上半身を抱え上げると廊下を引きずって玄関まで運んでいった。
玄関といっても六畳ほどの空間があり、丸椅子と小さなテーブルまで置かれている。天井は吹き抜けになっていて、上からシャンデリアがぶら下がっていた。
ちょうど玄関に入ったところで、高瀬が失神から目覚めてしまった。
「何だ、君たちは……政府の回し者か?」
自分を抱えているたくましい中年男とハーフめいた美貌の青年を見て、高瀬は不安な声を出した。だがシャンデリアにぶら下がるロープに気がつくと急に表情を変えた。
「おい、そのロープは何だ!」
先端が輪っかになっているので、誰が見ても首吊り用のロープだと分かる。
「待ってくれ、金なら払う。好きなだけやるから、命だけは……」
パニック状態になった高瀬が暴れ始めた。後ろから安田が必死で押さえつける。
「いやだ! 助けてくれ! 死にたくない! 死にたくないよ!」
俊夫はすばやく彼に飛びつくと、みぞおちに親指をつきたてて、第一関節までめり込ませた。途端に高瀬は動きを止めた。同時に声も失い、口を金魚のようにパクパクさせる。
「経絡秘孔というやつです。ここを突くと体がしびれて動かなくなる」
俊夫は、あっけにとられる安田に向かってウインクしてみせた。
二人がかりで高瀬を吊るす作業が始まった。まず安田が足を抱えて高瀬の体を持ち上げる。そして椅子に乗った俊夫がその首にロープをひっかけるのだ。
「よし、離していいですよ」
俊夫の合図で安田は抱えていた手を離した。
吊り下げられた高瀬が手足を振り回して暴れだした。
秘孔を突かれて体がしびれているせいか、一定の間隔でビクンビクンと痙攣しているような奇怪な動きである。
安田は蹴られて尻餅をつき、俊夫も椅子から放り出された。
「痛ってーな、クソジジイ!」
床に叩きつけられた俊夫は思わず罵声を上げた。
「どうなってんだ、死なないぞ!」
「暴れたせいでロープが上手くはまらなかったみたいですね。それでもロープが絞まって窒息したら二、三分で意識を失うはずです」
俊夫の予想に反して、高瀬はいつまでたってももがき続けた。
「……おい、どう見ても三分以上たってるだろ」
「こいつは確か自分自身をブランドの広告塔に見立てて、スリムな体系を維持するためにボディビルで体を鍛えているという話でしたね」
「ああ、資料にはそう書いてあった」
「つまり年甲斐もなく体を鍛えていたのが仇になったというわけです。彼の場合、首の筋肉が強くて心臓も丈夫、そのわりに体重は軽いから、普通よりも意識を保つ時間が長いんです。こりゃ死ぬのに時間がかかるでしょうね。それでもロープからは逃げられないわけだから、いつかは動かなくなるはずです。まあ気長に待ちましょう」
今度は俊夫の言うとおり、五分後に高瀬は動かなくなった。




