13. 人気デザイナー
「今回のターゲットだ」
運転手の安田はダッシュボードから封筒を取ると、後部座席の瑠香に手渡した。
深夜のしめやかな雨の中、車は原宿を西に折れて世田谷区に入ろうとしていた。瑠香は封筒に目を落とし、黙って中身を取り出す。
ターゲットのスナップ写真が数枚入っていた。
その顔には見覚えがあった。人気ファッション・デザイナーとして自身の名を冠したブランドショップを全国に展開させるかたわら、ワイドショーのコメンテーターとしても活躍している高瀬和也である。
同封されている身上調書に目を通す。
DCブランド「KAZUYA TAKASE」は札幌、仙台、東京、横浜、名古屋、大阪、広島、福岡の八ヶ所に店舗があり、さらに香港とハワイにも支店がある。文化服飾学園の特別講師も務めており、高瀬個人の年収は億に達していた。
六年前に妻を亡くし現在は独身。同じく夫を亡くした女流作家と交際しているが、あえて入籍はせず、お互いの異性関係に口出ししない主義をとっている。
「ひとつ質問してもいいですか?」
瑠香が書類から顔を上げ、バックミラー越しに安田の顔を見た。
「何だ」
「今回のターゲットは民間人のようですが……」
「それがどうした」
「安田さんは民間人の警護も担当されるんですか?」
「するわけないだろ。いや、重要犯罪に巻き込まれたとか、その恐れがあるというのなら別だが、高瀬和也にかんしては関係ない」
「それなのに安田さんが手引きをするんですか?」
「不満か?」
安田はイラついた目で瑠香をにらみつけた。侮辱されたと感じたらしい。
「いえ、そういう意味で言ったわけでは」
「おれはこの任務のためにわざわざ休暇まで取らされたんだ。なぜならおまえの特異体質のせいで、サポートできる人間が限られてしまうからな」
「……」
「ナンバー3に昇進した以上、政治家以外のターゲットも担当してもらわないと困る。だからといって他のサポート要員にまでいちいち抵抗力を付けさせるのは手間がかかる。必然的におれが狩りだされる事になった」
「それは……気が付きませんでした」
「確かに民間人のターゲットはおれも初めてだ。だがな、これでも現役のSP隊員だ。おまえなんかよりよっぽど修羅場をくぐってる。分かったら二度と生意気な口を叩くな。おまえは言われた通りやってりゃいいんだ」
苦みばしった顔が怒りにゆがんでいた。
「わかりました。すいません」
瑠香はその怒りを避けるように、ふたたび書類に目を落とした。
安田とは一度ベッドをともにした関係である。彼のいう「抵抗力を付けさせる」ためだ。
瑠香の唇を見た人間は男女を問わず性欲が異常に高まる。しかし一度でも彼女とセックスすると、途端に憑き物が落ちたように関心を失ってしまう。
それどころか同僚としての友情、もっと言えば顔見知りに対する親近感といった感情すら彼女に対して持てなくなるようだ。
安田はタバコ一本を灰にして、ようやく落ち着きをとりもどした。
「民間人なんか、政治家に比べればチョロイもんだ。いままでのように、警護のスキをついたりする必要がないからな。早い話、一人のときをねらって無理やりキスしてしまえばいいんだ」
乱暴な意見だが、それなりに的を得ていた。
ただし無理やりキスするというのは問題外である。抵抗されれば唇を十秒以上密着させることは不可能だからだ。そんなことをしなくても、唇さえ見せれば向こうから迫ってくるのは確実である。
だから一人のときをねらって、これまで通り色仕掛けでせまれば、さほど問題ないように思えた。
〇
車が公園の前で止まった。ジャングルジムやすべり台のある中規模の児童公園だが、小雨のふる深夜なので園内に人影はない。
「公園に入ってすぐ右に公衆便所がある。そこの女子トイレに桃園さんがいるはずだ」
安田の指示に従ってトイレに入ると、あいかわらず近所の主婦としか思えない風貌の桃園が、キャリーバッグに腰掛けて缶ビールを飲んでいた。
「待ってたわよお、いつもの衣装一式、ちゃんと持ってきたから」
桃園は立ち上がると、自分が座っていたキャリーバッグを指し示した。
「高瀬和也はさっきテレビの収録を終えて自宅に向かったはずだから、三十分後には到着すると思うわ。ちなみに自宅はここから百五十メートルぐらいの距離だから、あわてなくても大丈夫よ」
瑠香はうなずくと、キャリーバッグを持って個室に入った。
バッグの中にロングへアのかつらとレディース・スーツが入っていた。かつらは原清三郎暗殺のときに付けていたものだ。
着替えている最中も、ドアの外から桃園の指示が続いた。
「愛人の山岡絵里子はいま旅行中だから、高瀬はひとりで生活しているはずよ。瑠香ちゃんはOLという設定で、会社の飲み会の帰りに倒れたという演技をしてほしいの。倒れるのは高瀬の家のガレージでね」
飲み会の帰りという設定なら、前もってアルコールを入れておく必要がある。
「すると桃園さんが飲んでいたビールは……」
「あはっ、ごめんなさい。瑠香ちゃんに飲ませるために買ったんだけど、待ってるうちにのどが渇いちゃって。でもすこし飲んだだけだから、瑠香ちゃんのぶんも残ってるわよ」
着替え終わって個室を出ると、洗面台の鏡を見ながらかつらを装着した。
さらに桃園から手渡された缶ビールをゆっくりと飲み干す。飲むときは桃園に背を向け、唇が見えないように注意しなくてはいけない。
「酔っ払わないように注意してね。それからハンドバッグも持ってたほうがいいわね。エルメスでよかったら貸してあげる」
私物らしい黒いバーキンが手渡された。
「この天気だと濡れちゃうけど仕方ないわね。それじゃ、成功を祈ってるわ」
そう言うと、桃園はキャリーバッグを引きずりながら帰っていった。
公園の前に止めてあった安田の車はすでにいなくなっていた。予定では高瀬の自宅前に移動して、周囲を見張っているはずである。
公園を出た瑠香は車中で記憶しておいた地図を脳内に浮かべながら、ターゲットの自宅に向けて歩き出した。




