12. 丘の上の教会
その教会は文学部の裏手に位置する大きな公園の中にあった。丘の麓をけずって作られた石造りの古い土台の上に建っている。
土台部分は戦前まで陸軍の将校集会所だった建物である。戦後になってからGHQの指示で封鎖され、その上に教会が建てられたのだ。だからよく見ると土台には入り口や窓をセメントで塞いだ跡が見える。
反対側から見るとその土台部分は丘にかくれ、てっぺんに教会がぽつんと建っているように見えた。
瑠香はその丘を上って教会の正面玄関を入っていった。
礼拝堂では小太りの中年女性がひとりキリスト像の前にひざまずいてお祈りをしていた。低い声でブツブツと何か言っているようだがよく聞き取れない。
瑠香はお祈りが終わるまでその後ろに黙って立っていた。
「あら、早いわね。もう来たの」
祈りを終えて立ち上がった中年女性が驚いた声を上げた。すぐに忘れてしまいそうなほど平凡な顔立ち。連絡員の桃園百合子である。
「声をかけてくれても良かったのに」
「分かりました。次からそうします」
瑠香はあくまで事務的な言葉をかえす。
「相変わらず可愛くないわねえ」
桃園は大げさにため息をつくと、右手の演壇に向かった。演壇のうしろにある事務室のドアをノックする。瑠香も彼女の後ろにひかえた。
「入りたまえ」
中から応答の声が聞こえたので二人は事務室に入った。
そこは十畳ほどの空間に大きなデスクが置いてあるだけのシンプルな部屋だった。正面にすりガラスの大きな窓があり、ドアの並びに本棚とロッカーがある。彩りといえばデスクの上に置かれた花瓶ぐらいである。
そのデスクには白人の神父が座っていた。教会の責任者であるチャールズ・コロンボ神父だ。小柄で貧相な容姿をしていて、威厳のかけらもない男だった。
「局長、本多瑠香をつれてきました」
桃園が緊張した面持ちで瑠香を紹介する。
「ほう、きみが本多博士のお嬢さんか。なるほど、興味深い目をしているな」
「はじめまして……」
瑠香ははじめて会うコロンボ神父に軽い失望感を覚えた。
この男が湾岸戦争当時、アメリカ空軍のパイロットとして活躍した英雄だったとは、にわかには信じられない話だ。ねずみを思わせる異様な風貌に、猜疑心の強そうな小さい目がキョロキョロと落ち着きなく動いている。
コロンボは退役後、伝道の道に入り、神父として日本に赴任してきた。と、みせかけて、実はアメリカ情報機関の極東支局長を務めている。
つまり瑠香を殺し屋として雇っている組織の幹部ということになる。
「わたしは今、非常に不愉快な気分なんだ」
そう言うと、神父は立ち上がって瑠香から背を向けた。
一瞬、聞き違いかと思ったが、そうではないようだ。隣の桃園を見ると、軽くため息をついて目を閉じ、頭をふった。
「わたしが何できみを呼んだか分かるかね?」
「いえ」
「上からの命令で仕方なく、だよ」
神父は背を向けたまま滔々と語りはじめた。
「来日したのは9.11の年だから、かれこれ二十年以上になる。その間わたしは完璧な偽装で神父になりきった。地域社会にも献身的に尽くし、近隣住民からの信頼も厚い。この仮面を維持する秘訣は、決してエージェントを教会に近付けない、ということだ。特におまえのようなダーティ・ワーク専門はな。なぜならそういう奴は大抵、粗暴な肉体派が多くて教会という環境にそぐわないからだ。ここはアメリカではなく日本だから、肉体労働者が教会に行くという社会ではない。そこでわたしは桃園を連絡員にして、すべての指令を間接的に伝えるシステムを作り上げた。エージェントには必ずサポート要員を一名つけるようにし、桃園からサポート要員に、サポート要員からエージェントに指令が伝達される。まさに完璧なシステムといっていい」
神父はずっと窓のほうを向いてしゃべっていた。すりガラスなので外の景色が見えるわけでもないのだが。
劇的効果を狙ってるのか、本当に瑠香のほうを向きたくないのか、現時点では判断がつかない。
「もっとも……おまえは粗暴なタイプでも肉体派というわけでもないようだが、ルールはルールだ。例外をひとつでも認めたらシステム全体が狂ってしまう。ところが上の連中ときたら、こちらの苦労なんかお構いなしだ。わたしの決めた厳格なルールの重要性をまるで理解しちゃいない」
どうやらコロンボ神父は自分の作ったルールを上からの命令で破らされることに憤りを感じているらしい。
しかし瑠香にとっては神父の感情なんかどうでも良かった。興味があるのは、上層部がそこまでして彼女と神父を対面させた理由である。
ここでようやく神父はふり返り、デスクの引き出しから金色の物体を取り出した。直径十センチほどのメダルに太いリボンがついている。
「しかし、まあ、上司の命令は聞かないわけにはいかん」
神父は荒々しくメダルをデスクに叩きつけた。これは何かの勲章のようだ。
「エージェント11811号、本多瑠香」
「はい」
「おまえはこれまでの組織への貢献を評価され、本部から勲章を授与された。これはナンバー3に与えられるメダルだ。受け取れ」
「はい」
しかし神父はいつまでたっても動こうとしない。仕方がないので瑠香は自分でメダルをデスクから取った。
「あまり嬉しそうじゃないな」
「いえ」
「ふん、このわたしがわざわざルールを破って教会に入れたんだ。もっと嬉しそうな反応をしたらどうだ。張り合いがない」
「局長、この娘は感情表現が苦手なのです」
桃園が助け舟を出してくれた。
「ほんとは嬉しいわよね、瑠香ちゃん」
「はい」
「嘘だな、それは」
神父は疑わしそうな目で瑠香をにらみつけた。
「目を見れば分かる。おまえは決して喜んじゃいない、そうだろ?」
図星だった。殺し屋の表彰式なんて茶番もいいとこである。ブラック・ジョークとしか思えない。
その本音をすばやく見抜くとは、貧相な見た目に反して、極東支局長のキャリアは伊達じゃないようだ。
「おまえは答える直前に0.25秒ほど視線が右上を向いた。人間は脳内でイメージを構成するとき、つまり嘘や作り話をするときには視線が右上を向くのだ。それに、おまえの場合はマスクで隠れているので分からないが、答えたあと口元が引き締まった時は、嘘がバレないかと構えている心理状態を示している」
神父のあやつるロジックは、どこかで聞いたことがあった。おそらく微表情分析というやつだろう。行動心理学の一種で、一瞬の表情から心理状態を分析する学問だ。推理小説や犯罪ドラマでよく出てくる。
瑠香はこれ以上、本音を悟られないように目を伏せた。
「それが正解だ。内面を知られたくなければ表情を隠すしかない。しかし、おまえもなかなかのもんだよ。これだけ表情が読みづらい人間は初めてだからな」
節くれだった手が伸びてきた。瑠香の肩をつかむと、グイッと引き寄せる。
瑠香はとっさに右手でマスクを押さえた。
「そのガラスのような目の色を変えるにはどうすればいいんだろうな」
神父は口元に残忍な笑みを浮かべていた。
「おっと、眉にしわが寄ったな。上まぶたが押しあがり、下まぶたがこわばる。これはおまえが今、恐怖の感情を抱いたことを示している。興味深いことに、ここまでやっても目の色だけは変らないんだな」
ここで神父はパッと手を離した。
「もういい、勲章は渡したから、さっさと出て行け」
神父は突然興味を失ったようにデスクに座りなおし、目の前に書類を広げた。
どうやら儀式は終了したらしい。桃園に引っぱられるようにして、瑠香は事務室を出た。
〇
瑠香と桃園はそろって教会の丘を下りていった。ふもとにはグランドがあり、近所の小学校のサッカーチームが練習している。
二人は歩きながら、その様子をなんとなく眺めた。
「ナンバー3って何ですか?」
しばらくして瑠香がたずねた。神父の言っていた「ナンバー3に与えられるメダル」という言葉の意味が分からなかったのだ。
「あら、ひょっとして瑠香ちゃんはまだ知らなかった? うちの組織の殺し屋世界ランキング」
「ランキング……そんなものがあったんですか」
「そうよ、瑠香ちゃんはその栄えあるナンバー3、つまりランキングの第三位ってわけ。たしかナンバー1がイタリアでナンバー2がドイツのエージェントだったわね。いままでの仕事量とその成功率から割り出した公正なランキングなんだから」
やはり茶番だった。どうせハーバードで経営学修士を取った上層部の若手管理職が、エージェントのモチベーションを上げるために考えたことだろう。
もしも情報機関の管理職がドラッカーを読んだら、というわけだ。
局長みずから事務室に招いて勲章を手渡すという段取りも、劇的効果を考えた演出なのだろう。そのために長年のルールを破らされた神父こそいい面の皮である。
「瑠香ちゃん、こんど一緒にお祈りしようか」
唐突に桃園は関係ないことを言い出した。
「それは……また教会に来いということですか」
神父があれだけエージェントを嫌っているというのに、何を考えているのだろう。
「あそこじゃなくても、教会はいくらでもあるでしょ」
「つまり二人で別の教会に?」
「そう、お祈りをしにいくの」
どうやら彼女は本気で瑠香をキリスト教に勧誘しているらしい。
「でも、わたしなんかが何を祈ればいいのか分かりません」
その言葉を予期したかのように、桃園はニッコリ笑った。
「何を祈ればいいかって? ターゲットが天国にいけるように祈るのよ」




