第75話 ある課題
それは、ある晴れた日の出来事だった。
フィンが領主館を訪ねてきた。
「カイル様。農具と魔道具の整備に使っている油について、ご相談があります」
「油?」
「はい。今すぐ困るほどではありません。ただ……最近、消費量の増え方が少し気になります」
領主館の執務室。フィンは手際よく帳簿を机に広げてみせた。
「農具が増えました。荷車も増えました。それに、師匠の魔道具も」
「……クロウさん、そんなに作ったっけ?」
「作りました」
「即答だね」
「作った魔道具は、作って終わりではありません。定期的に分解して、汚れを落として、摩耗を確認して、可動部には油を差します」
「なるほど……」
「一台なら僅かな量です。でも、十台、二十台と増えば——」
「油の消費も積み上がる、か」
「はい。今は大丈夫です。ですが、このままノルデンの機械化が進めば……」
フィンは小さな油壺へ視線を落とした。
「近いうちに、足りなくなると思います」
僕は思わず苦笑し、手元の書類を置いた。
「ちなみにフィン。今まで、その油はどうやって作っていたんだい?」
「領内で細々と育てている油菜から搾っています。昔からある作物ですよ。ただ、栽培している農家はごく一部です」
「石油でしたら海の向こうで……なんて話も聞きますが、ノルデンに油田はありませんしね」
「いや、ないものをねだっても仕方ない。……それにしても、油か」
僕は油壺を手に取り、そっと傾けた。まったりとした黄色の液体が揺れる。
「そういえば……あげパンにも使ってるよな」
「はい。食堂や屋台での消費も、ここ最近でかなり増えています」
料理に使う。
あげパンを揚げる。
灯りにも使う。
農具を手入れする。
そして、機械が増えれば増えるほど、可動部を滑らかに保つ潤滑油が必要になる。
「また、か」
ぽつりと漏れた僕の言葉に、フィンが首を傾げた。
「カイル様?」
「いや。油が減ったんじゃない」
以前のギヤの不足や、チーズの需要爆発を思い出し、僕は深々と息を吐いた。
「ノルデンが、大きくなったんだ」
小さな村だった頃なら、庭先の油菜から搾る量で十分だった。
けれど、農業が育ち、農具が増え、クロウが機械化を進め、あげパンという名物が生まれ……ひとつの発展が、次の需要を引き呼び寄せている。
「よし! だったら油菜の畑をドーンと増やして——」
そこまで言って、僕はハッと口をつぐんだ。
「……いや。待て」
「?」
「食料を作っている畑を、考えなしに油菜へ変えたらダメだ」
あぶない、あぶない。前世の記憶と、この領地で学んできた経験がブレーキをかけた。
酪農の時と同じだ。「足りないからすぐ作れ」で小麦の畑を潰せば、今度は主食の生産量が落ちて本末転倒になる。
「フィン。油を増やすにしても、焦って畑を潰すようなマネはしない。……まず、今ある油菜からもっと効率よく油を搾れないか調べよう。それから作付けだ。休ませている畑や輪作に組み込める場所がないか、農家にも聞いてみたい」
「食用はどうします?」
「そこも分けて考えよう。機械用の油と混ざって、あげパンまで油臭くなったらリーザに怒られる」
「……機械用の需要も、今後さらに増えます」
「だよな。なら今年だけじゃない。三年、五年先まで見て、どれくらい必要になるか計算しよう」
対話しながら課題をひとつずつ整理していくと、フィンの目が感心したように丸くなった。
「……素晴らしいです、カイル様。まさかそこまで見据えてらっしゃるとは」
「一回、ギヤとバターで痛い目を見てるからね……。ところでフィン。師匠のクロウは、この油の話について何か言っていたかい?」
「師匠は『油がないなら、油なしで永久に回るギヤを作ればいい!』と叫んで、金属を擦り合わせまくって火花を散らしていました」
「……想像通りすぎて返す言葉もないよ」
「師匠は作ることに関しては天才です。ですが、たまに発想があさっての方にいってしまいます」
「……うん」
「そこは否定してください、カイル様」
「いやあ……否定できないのがクロウのすごいところであり、頭の痛いところだからね……」
技術革新を爆発的なスピードで進めるクロウ。
そして、増えた機械を静かに磨き、油を差し、維持費と運用計画を計算するフィン。
破天荒な天才と、超現実的な苦労人。この二人が揃って初めて、ノルデンの『工業化』は地に足をつけて進んでいくのだ。
「よし、フィン。まずは現場を見よう。今の搾油機を見せてくれるかい?」




