第74話 新しい乾燥小屋
「乾燥小屋の増設か……! 待ってくれ、カイル様!」
混乱の渦中から這い出してきたクロウが、ズレた眼鏡を指で押し上げながらカイルの元へ駆け寄ってきた。
「大倉庫の横にある古い資材置き場があっただろ!? 屋根の骨組みはまだ生きている! あそこに風の魔石を三つ……いや五つぶち込んで、強風で一気に水分を吹き飛ばす『強制換気型乾燥小屋』を作れば、半日で立ち上がりますよ!」
「頼めますか!? クロウさん!」
「任せてください! フィン! 中級の魔石を五個持ってこい!」
「師匠」
「なんだ、フィン!」
「五つも入れたら、乾燥させる前に麦ごと吹き飛びます」
「…………」
「この前、バターで同じことをしたでしょう」
「あれは……回転数の調整をだな!」
「リーザ様をクリームまみれにしたでしょう」
「ぐっ……!」
完璧な正論を叩きつけられ、クロウが言葉を詰まらせて黙り込んだ。
(……強いな、この弟子)
カイルが密かに妙な感心をしていると、フィンはこちらへ向き直り、礼儀正しく頭を下げた。
「カイル様。それと、もう一つお伝えしたいことがあります」
「ん? 何だい、フィン」
「先ほど『すぐに粉に加工する』とおっしゃいましたが……小麦を一度に大量の『粉』にして溜め込むのは、やめた方がいいと思います」
「どうして?」
「粉にすると空気に触れる面積が増えて湿気を吸いやすくなりますし、酸化して味も落ちます。それに……工房のような閉じた場所で大量の粉が舞って、そこに火でも入ったら——」
そこまで聞いて、カイルの背筋にスッと冷たいものが走った。
「……! 粉じん爆発……!」
「フンジン……?」
「いや、こっちの話だ」
カイルはハッと息をのんだ。
豊作の歓喜と目の前のパニックで、前世の基礎的な知識がすっぽり抜けかけていた。フィンの言う通りだ。粉にして溜め込むのは自殺行為に等しい。
(クロウの閃きも凄いが、フィンのこの安全管理意識と観察力……ノルデンに本物の『技術者』が育ってきている)
カイルは頼もしさに胸を熱くしながらも、すぐに思考を切り替えた。
「フィンの言う通りだ。粉にして溜め込むのは危険すぎる。……だが、じゃあどうする? 倉庫は溢れている。粒のまま野積みすれば、秋露や一雨で一発で全滅だ……」
焦るカイルの横で、それまで静かに見守っていたリーザが、ふっと柔らかく微笑んだ。
「カイル様。……あちらをご覧ください」
リーザが指さしたのは、刈り取りが終わったばかりの広大な黄金色の畑だった。
そこでは、作業を終えた老農夫たちが、刈り取った麦束を幾重にも重ね、木枠に手際よく吊るし上げているところだった。
「あれは……」
「ノルデンの古い農家が、個人的な庭先でやっていた干し方ですわ」
(あれは……ハザ掛けだ!)
澄み切った秋空の下、木と竹で組んだ架台に、規則正しく逆さまで吊るされた黄金色の麦束。
「そうか……! 湿気の少ないこの秋晴れの風なら、わざわざ狭い倉庫に詰め込まなくても、外で最高の状態で乾燥させられる!」
「ええ。粒のまましっかりと太陽と風に晒して水分を飛ばせば、数ヶ月は傷みません。……それに、外に吊るしておけば、倉庫の空きを待つ間の最高の『天然の保管庫』になります」
リーザの言葉に、カイルの思考が一気にクリアになった。
「よし! クロウ、フィン! 乾燥小屋の増設と並行して、全収穫地に『ハザ掛け用の大型架台』を急造させてくれ! 魔石はふたつだぞ!」
「二個ですね、了解です!」
「……ちぇっ、三個ならもっと早く乾くのに」
不満そうにブツブツ言うクロウの首根っこをフィンが引っ張りながら、二人は大工たちの元へと走っていく。麦はすべて『粒』のままカリッカリになるまで天日干しだ。
「そしてセムラ! 倉庫へ運び込むのは乾燥が完了した玄麦からだ! パン工房には『その日使う分だけ』の挽きたてを毎日回す!……それとヴェルデ豆だが——」
カイルは、台車の上で丸々と太った鮮やかな緑色のサヤを見つめ、ニヤリと口角を上げた。
「水煮にして塩を効かせ、大樽で固く密封して保存食にする。……いや、一部はすり潰して『ペースト』にし、塩蔵発酵を試そう。パンのペーストにもなるし、長期保存に耐える最高の特産品になるはずだ!」
矢継ぎ早に出されるカイルの指示に、戻ってきたセムラと周囲の作業員たちの目が輝いた。
「ただの豊作じゃ終わらせない。……収穫、乾燥、加工、そして計画的な流通。ノルデンの食料革命は、ここからが本番だぞ!」
『「「おーっ!!」」』
地響きのような歓声が、秋の青空へ突き抜けていく。
◇
それから数日後。
ノルデンの大地には、見渡す限りの「黄金色のハザ掛け」が整然と立ち並んでいた。
そよ風が吹くたびに、カサカサと心地よい音を立て、お日様の香ばしい匂いが領内中に満ちていく。
その日の夕方。
新しく増設された乾燥小屋の脇で、挽きたての新鮮な小麦粉をいっぱいに詰めた麻袋を荷車に積み込みながら、メリアとエマが弾んだ声を掛け合っていた。
「すごいよメリア先輩! 見て、この挽きたての粉……まだほんのり温かくて、すごーく良い匂いがする!」
「ふふ、本当ね。カイル様が『一番美味しい状態で焼いてほしい』って、毎日こうやって挽きたてを運んでくださるんです職人のみなさんのおかげね」
「今夜の仕込みが楽しみだな……! 明日の朝、街のみんなに最高の焼きたてパンを食べてもらおうね!」
夕日に照らされた寮の窓からは、ぽつぽつと温かな灯りがともり始めていた。
もう、明日のパンに怯える者も、寒さに震える者もいない。
豊作の先にある「新しい豊かさ」を抱きしめて、ノルデンの街は、ゆっくりと、けれど確かに新しい朝へと向かって進んでいた。




