第73話 秋の収穫
秋晴れの空の下、黄金色に波打つ畑の向こうから、汗を拭った領民の弾んだ声が飛んできた。
「すごいですよ、領主様! 去年とは身体の疲れ方が全然違います!」
ゴウンゴウンと軽快な音を立てながら、クロウの工房で改良を重ねてきた小型魔道農具が、小麦畑をゆっくりと進んでいく。
もちろん、すべてを自動で収穫してくれるような大層な代物ではない。人間が後ろから押して歩く必要もあるし、畝の端や細かな場所では、相変わらず鎌を使って手作業で刈り取る。
けれど——負担が、まるで違う。
「去年なんて、この辺りまで刈った頃には腰が悲鳴を上げてましたからね!」
「父ちゃん、去年は夜になったら飯も食わずに泥のように寝てたもんな!」
「お前、それは言うな! 恥ずかしいだろ!」
どっと明るい笑い声が畑一面に弾けた。
通りかかったカイルも、思わず目元を緩ませる。
(そうか……)
夏にも野菜の収穫はあった。けれど、秋の収穫は規模も意味もまるで違う。
見渡す限りの黄金色の小麦。
しっかりと実を太らせ、赤褐色のサヤをつけたルージュ豆。
そして、春に土壌改良を行った畑では、鮮やかな緑色のヴェルデ豆も見事に実っていた。
春から泥にまみれ、カイルたちが投資し、育ててきたノルデンの作物が、次々と収穫の時を迎えていた。
「おーい! そこの兄ちゃん!」
そのとき、畑の向こうから野太い声が響いた。
声の主は、農夫のベルクだった。
日に焼けた顔に満面の笑みを浮かべ、魔道農具のそばに立つ一人の青年へ大きく手を振っている。
「よう! クロウの弟子! こいつぁ本当に助かってるぜ!」
「……えっ?」
声をかけられた青年が、びくりと肩を跳ねさせた。
銀色がかった淡い青髪に、少し大きな丸眼鏡。
細身の身体に作業用の上着を羽織り、手にはびっしりと数字の書き込まれた記録帳を抱えている。
彼の名は、フィン。
クロウの工房で働く、若い見習い技師だ。
「あ、あの……フィンです。僕の名前……」
「ああ、そうだったな! フィン!」
ベルクは豪快に笑った。
「いやぁ、すまねぇ! で、フィン! こいつのおかげで腰がずいぶん楽になったぞ!」
「そ、そうですか……!」
「去年なんざ、刈り取りが終わる頃にはみんな腰を押さえて歩いてたからな! 今年はまだまだ働けそうだ!」
ベルクが魔道農具の車体を、ぽんぽんと叩く。
フィンは一瞬、嬉しそうに目を輝かせた。
けれど、すぐに手元の記録帳へ視線を落とす。
「……あ、ありがとうございます。でも、まだ改良点がありまして……」
「ん?」
「土が回転軸に入り込むと、刃の動きが鈍くなるんです。それに、魔石の消費量も想定より少し多くて……。あと、車輪の幅を調整すれば、畝の端でも使いやすくなると思うんですけど……」
「…………」
「師匠にも相談しているんですが、まだ試作段階ですし、僕の計算が間違っている可能性も——」
「おいおいおい!」
ベルクが、がしっとフィンの肩を掴んだ。
「ひゃっ!?」
「まずは喜べよ、兄ちゃん!」
「えっ、あ、あの……!」
「俺たちゃ助かってんだ! だったら、まずは『よかった』でいいだろ!」
そう言って、ベルクは大きな手でフィンの頭をわしゃわしゃと撫で回した。
「ひぃっ!? め、眼鏡! 眼鏡が落ちますっ!」
「はっはっは! 細けぇこと気にすんな!」
「き、気にしますよぉ!」
周囲の農夫たちから、また笑い声が上がった。
少し離れた場所でその光景を見ていたリーザも、口元を押さえて微笑んでいる。
「ふふっ。ずいぶん賑やかですわね」
「ああ。フィンもすっかり捕まっちゃったな」
カイルは苦笑しながら頷いた。
クロウが設計し、工房の仲間たちが形にして、フィンが現場で何度も調整を重ねてきた魔道農具。
その成果を、実際に使っている農夫たちが喜んでいる。
机の上の計算だけでは、分からないことがある。
もちろん、フィンの指摘する改良点も大切だ。
けれど、今この瞬間、彼の仕事が誰かの役に立っていることも、また確かな事実だった。
「……あの、ベルクさん」
「おう?」
「……本当に、楽になりましたか?」
フィンが、おずおずと尋ねた。
ベルクは一瞬だけ目を丸くしたあと、にっと笑った。
「当たり前だろ!」
そして、畑で働く仲間たちを顎で示す。
「見てみろよ。去年の今頃は、みんな疲れ切って口も利けなかったんだぜ? それが今年は、あんなに笑ってやがる」
「…………」
「ありがとな、フィン」
その言葉に、フィンはしばらく俯いていた。
やがて。
「……はい」
小さく頷いた彼の口元に、照れくさそうな笑みが浮かんだ。
「……もっと、いいものを作ります」
「おう! 期待してるぜ!」
ベルクが再び大きな手を振り上げると、フィンは慌てて眼鏡を押さえた。
「も、もう頭は撫でないでくださいっ!」
畑に、また笑い声が弾けた。
収穫作業は、これまでにない勢いで進んだ。
刈り取られた小麦は束ねられ、脱穀され、黄金色の粒となって袋に詰め込まれていく。
ルージュ豆もヴェルデ豆も、実の詰まったサヤが次々と収穫されていった。
同じ人数でも、以前よりずっと広い畑の作業を進められる。
しかも、作業を終えた農夫たちには、まだ笑い合うだけの元気が残っている。
(……これが、生産性を上げるってことなんだよな)
ただ収穫量が増えるだけじゃない。
働く人の身体を守り、時間を生み出すことにもつながっている。
「カイル様!」
帳面を片手にしたセムラが、普段の厳格さを忘れて駆け寄ってきた。
「今年の収量は、間違いなく過去最高……いえ、ノルデン開領以来の記録となるやもしれませんぞ!」
「そうか……! よかった、本当に……っ」
荷車に山積みにされた作物の袋を見上げ、カイルは胸がいっぱいになるのを感じた。
これで、冬を越すための食糧にも十分な余裕ができる。
パン工房へ回す小麦も、来年の作付けに使う種子も確保できそうだ。
かつて、明日食べるパンさえ心配していた領地が。
今は、これほどの実りを手にしている。
積み上がっていく作物の袋。
次々と領主館の横にある大倉庫へ運び込まれていく荷車。
カイルは満足感に浸りながら、その光景を眺めていた。
……だが。
「……あれ?」
ふと、妙なことに気づいた。
倉庫の前で、荷車が長い列を作っている。
しかも、いつまで経っても動かない。
「……セムラ?」
「はっ?」
「あの荷車、さっきから止まってないかい?」
「……む?」
二人が顔を見合わせた、そのとき。
「領主様ーっ!」
倉庫の中から、作業員が慌てて飛び出してきた。
「すみません! 大倉庫が……もう天井までいっぱいで、一袋も入りません!」
「……え?」
「第二倉庫も、去年からの備蓄とルージュ豆で埋まってます! これ以上運び込まれても、置く場所がありません!」
「…………」
カイルは、目の前の荷車を見た。
山積みの小麦。
その向こうには、まだ収穫を待つ畑が広がっている。
(……待て)
もう一度、倉庫を見る。
(これ……どこにしまうんだ……!?)
考えてみれば、当然だった。
ノルデンの倉庫は、これまでの少ない収穫量を前提に使われてきたものだ。
今年は違う。
土壌改良と輪作によって収穫量が増え、さらに魔道農具のおかげで、例年より早い速度で作物が運び込まれている。
作ることには成功した。
収穫することにも成功した。
……なのに。
(しまう場所が、足りない……!)
カイルは思わず額に手を当てた。
人が増えたときには、住む家が足りなかった。
そして今度は、作物が採れすぎて倉庫が足りない。
まったく。
この街は、一つ問題を解決するたびに、次の問題が顔を出してくる。
「カイル様……どうなさいますか?」
セムラが、不安そうに尋ねた。
カイルは、もう一度、黄金色の畑を見渡した。
農夫たちは笑っている。
フィンは記録帳を抱え、次の改良について考えている。
荷車には、今年の実りが山ほど積まれている。
……そうだ。
これは、去年までには考えられなかった悩みだ。
「……セムラ」
「はい」
「まずは、今ある作物を雨に濡らさないようにしよう。空いている建物を調べて、乾燥と保管に使える場所を確保するんだ」
「承知しました!」
「それから、乾燥小屋の増設を急ごう。小麦は状態を確認しながら、一部を製粉してパン工房へ回す。ヴェルデ豆も、乾燥や加工で長く保存できないか試したい」
「……! すぐに手配いたします!」
セムラが勢いよく駆け出していく。
カイルは、倉庫の前に並んだ荷車を見つめた。
収穫量が増えれば、保管する場所が必要になる。
保管できるようになれば、今度は加工する設備や、商品を運ぶ仕組みが必要になるだろう。
ただ作物を育て、食べるだけではない。
余ったものを保存し、加工し、必要とする人のもとへ届ける。
そうして初めて、今年の豊作を来年以降の豊かさにつなげられる。
「……よし」
カイルは、小さく拳を握った。
せっかくみんなが育てた作物だ。
一袋だって、無駄にはしたくない。
秋の実りを前に、ノルデンはまた一つ、新しい課題に向き合おうとしていた。




