↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
スキル『魔石生成』で追放された僕、国から役に立たないと切り捨てられた辺境で「あんぱん」を作ります ~貧困領地が大発展していくまで~  作者: きいろい なつ
カイル(是清)の真価

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

92/157

第69話 ヴェルナーの最終確認


 ノルデン領主館。


 特別査察が始まってから、幾日かが過ぎていた。

 終了期限の定められていない査察。

 しかし、帳簿の照合も、納税記録の確認も、すでに一通り終わっている。

 残るは、領内で流通する引換券についての最終確認だけだった。


 執務室の机には、分厚い帳簿が何冊も積み重ねられていた。

 その一冊を閉じたヴェルナーは、向かいに座るカイルへ静かに視線を向けた。


「……納税記録、領内の取引記録、引換券の発行台帳。いずれも確認しました」


「はい、ヴェルナーさん」


「増額された税も、期日内に全額納付されています。帳簿の不一致も、今のところ見当たりません」


 ヴェルナーは淡々と告げた。

 だが、その手はまだ最後の一冊から離れていない。


「しかし、カイル殿。一点、確認しておきたいことがあります」


「何でしょう?」


「この引換券についてです」


 ヴェルナーは机の上に、一枚の紙を置いた。

 領主印と通し番号が記された、ノルデン領内で流通する引換券。


「領民はこれを使って商品を買い、商人は代金として受け取っている。つまり、事実上の決済手段として機能していますね」


「はい。ただし、王国の貨幣として発行しているわけではありません。領内での使用を前提とした、銀貨との引換券です」


「承知しています。王国貨幣を模倣した形跡もありません」


 ヴェルナーは一度頷いた。


「ですが、問題はそこではありません。カイル殿」


 細い指が、引換券の通し番号をなぞる。


「仮に、これを持つ領民や商人が、一斉に銀貨との交換を求めた場合はどうなりますか?」


 執務室に、短い沈黙が落ちた。

 カイルは目を逸らさずに答えた。


「……交換の請求が準備額を超えれば、応じられなくなります」


「その危険性は認識しているのですね」


「はい」


 あっさりと認めたカイルに、ヴェルナーの眉がわずかに動いた。


「では、なぜ発行を続けているのですか?」


「領内の商いを止めないためです」


 カイルは机の上の帳簿を開いた。


「搬出制限によって、領外から入る銀貨が減りました。一方で、税の納付には銀貨が必要です。これまでどおり領内の取引にも銀貨を使い続ければ、手元の銀貨が不足し、仕事があっても賃金を払えなくなるおそれがありました」


「それを、引換券で補ったと」


「はい。ただし、無制限に発行していいわけではありません」


 カイルは別の台帳を差し出した。


「こちらが発行残高と交換準備の記録です。新たに発行するたびに残高を更新し、交換に備えた銀貨を別に管理しています。発行残高が交換準備を超えないことを、毎日確認しています」


 ヴェルナーは台帳に目を落とした。

 発行した日付、通し番号、額面。

 交換によって回収された引換券も、別の欄に記録されている。


「……確かに、帳簿上は発行残高に見合う準備が確保されています」


「……あーっ! 難しいぜ!」


 突然、部屋の隅から声が上がった。

 護衛として扉のそばに控えていたジークが、頭をがしがしと掻いている。


「つまりだ! ちゃんと数の管理はしてるし、いっぱい作りすぎてもいねえ! それで合ってるか、カイル!?」


 カイルは思わず笑みをこぼした。


「うん。大体そんな感じだよ、ジーク」


「だったら最初からそう言ってくれよ! 難しい言葉ばっかりで、頭が痛くなってきたぜ……」


「……ジーク殿」


 ヴェルナーが静かに口を開いた。


「今のお話は、領民の財産に関わる重要な確認ですよ」


「わ、分かってるって! だから必死に聞いてたんだろ!」


 ジークは慌てて背筋を伸ばした。

 ヴェルナーは一瞬だけ彼を見つめ、それからカイルへ視線を戻した。


「……では、もう一点。帳簿の数字が正しくとも、引換券を持つ者が一斉に交換を求めた場合、窓口で混乱が生じる可能性がありますね、カイル殿」


「はい。そこも注意しているところです。銀貨を用意するだけでは、十分じゃありませんから」


 カイルは頷いた。

 

「どういう意味ですか?」


「帳簿に銀貨があることと、交換を求める人が安心してくれることは、別だからです」


「……なるほど」


「例えば、誰かが『もう銀貨に換えてもらえないらしい』と言い始めたら、どうなると思いますか、ヴェルナーさん」


「……不安になった者が、先を争って交換を求めるでしょうね」


「はい。たとえ準備が足りていても、一度に大勢が押し寄せれば、窓口は混乱します。そこで対応を誤れば、本当に信用を失ってしまう」


 カイルは静かに続けた。


「だから、発行量だけでなく、交換の記録も公開できるようにしています。引換券を持っている人には、定めた条件で銀貨と交換する権利がある。その約束を、領主である僕自身が守らなければなりません」


 ヴェルナーはしばらく黙っていた。

 やがて、別の帳簿を開く。


「……では、交換準備に不足が生じた場合は?」


「新たな発行を止めます。まずは不足の原因を調べ、領の支出を見直します」


「領民への支払いを止めるのですか?」


「それは、できる限り避けたいです」


 カイルは首を横に振った。


「引換券を増やせば、一時的には支払えるかもしれません。でも、交換できる見込みのない紙を渡すことになれば、働いてくれた人たちを裏切ることになります」


「……なるほど」


「それなら、事業の進め方を調整するべきです。必要な仕事を見極めて、無理に支出を増やさない。少なくとも、支払う約束だけを積み上げるようなことはしたくありません」


 ヴェルナーは手元の引換券を見つめた。


「カイル殿。あなたは、この仕組みが失敗する可能性を認めるのですね」


「もちろんです」


 カイルは即答した。


「失敗する可能性があるから、毎日数字を確認しています」


「…………」


「危険がないと思い込んだときが、一番危ないですから」


 ヴェルナーは何も答えなかった。

 ただ、もう一度帳簿を開き、発行残高と交換準備の数字を照合する。

 そして、ゆっくりと帳簿を閉じた。


「……分かりました」


 彼女は机の上の書類を整えた。


「現時点で、発行記録に不審な点はありません。交換準備についても、提出された記録と現物の確認結果に矛盾は認められません」


「ありがとうございます」


「ただし」


 ヴェルナーは、きっぱりと言葉を継いだ。


「この引換券が、将来にわたって安全であると保証するものではありません」


「はい。それは承知しています」


「私が確認したのは、あくまで現在の運用状況と、法令への適合性です」


 カイルは静かに頷いた。

 ヴェルナーは新しい羊皮紙を取り出し、羽根ペンを手に取った。


「……カイル殿。最後に、一つだけ」


「はい?」


「あなたは、なぜそこまでして、この仕組みを維持しようとするのですか?」


 カイルは少しだけ考えた。

 そして、窓の外へ視線を向けた。

 通りでは、荷車を押す男たちが声を掛け合っている。

 工房の前では、出来上がった品を受け取る商人の姿が見えた。


「……あの人たちには、仕事があります」


 カイルは答えた。


「畑で作物を育てる人。工房で品物を作る人。それを運んで、売る人」


「ええ」


「みんな、働いているんです。それなのに、銀貨や金貨が足りないというだけで、その仕事が止まってしまうのは……もったいないと思いました」


 ヴェルナーは、窓の外へ目を向けた。


「……なるほど」


 短く答え、再び机へ向き直る。


「ですが、その思いだけでは、財務上の問題は解決しません」


「はい。ですから、ヴェルナーさんに数字で確かめていただきました」


 その答えに、ヴェルナーのペン先が一瞬だけ止まった。

 やがて彼女は、何事もなかったかのように書類へ向き直った。


「……では、最終報告書を作成します」


 さらさらと、羽根ペンの音が響く。

 税の滞納なし。

 帳簿の虚偽記載なし。

 王国貨幣の偽造なし。

 引換券の発行および交換準備について、現時点で重大な違反は認められない。

 そして、最後の一文。


『本官は、当該査察を継続する財務上の合理的理由を確認できない』


 ヴェルナーは筆を置いた。

 署名を記し、書類を封筒に収める。


「……これが、私の調査結果です」


 カイルは深く頭を下げた。


「ありがとうございました、ヴェルナー査察官」


「礼には及びません。私は、確認した事実を報告するだけです」


 彼女は静かに立ち上がった。


「なお、査察の終了と搬出制限の解除は、王都で正式に決定されるまで確定しません。現時点では、従来の制限に従ってください」


「はい。承知しています」


「それでは、失礼いたします」


 ヴェルナーは一礼し、執務室を後にした。

 残されたカイルは、机の上に置かれた一枚の引換券を手に取った。

 薄い紙。それ自体に、大した価値があるわけではない。

 けれど。


(……これを受け取ってくれる人たちがいる)


 その事実を、忘れてはならない。

 カイルは引換券をそっと机に戻した。

 ノルデンの商いは、今日も続いている。



 ◇



 数日後。

 王都・王立財務院。

 ガルシアのもとに、ノルデンから一通の報告書が届いた。

 差出人は、彼自身がその厳格さを買って送り込んだ特別査察官、ヴェルナー。


『ノルデン領における特別財務査察・最終報告』


 ガルシアは、羊皮紙の封を解いた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。