第67話 紙一枚の信用
数日後。
クロウが徹夜で仕上げた細密木版によって印刷され、鮮やかな領主印と通し番号が押された「引換券」が執務机の上に積み上がっていた。
「これを……給金として払うのですか!?」
完成した紙の束を目にしたセムラが青ざめる。そこへ、腕を組んだローグが静かに入ってきた。
「待て。ひとつ聞かせろ、カイル」
「何、ローグ?」
「もし……もしだ。全員が一斉に『紙なんかいらねえ、硬貨に換えろ』って領主館へ押しかけてきたら、どうする?」
「…………」
「後で硬貨に交換するって約束して配るんだろ? だったら、あり得るぞ」
警備隊長らしい、現実的で容赦のない指摘。セムラがハッと息を呑む。
カイルは誤魔化すことなく、静かに頷いた。
「……そうなったら、もたない」
この紙は魔法の解決策ではない。手元の現金が枯渇しているからこそ発行するのだ。全員が一度に換金を求めて押しかければ、その瞬間にパンクする。
「だから、事前にしっかりとお触れを出す。査察の状況、この紙の仕組み、そして金・銀・銅貨に合わせた券種を用意すること。……『査察終了後に硬貨と交換する。ただし、それまででも一定額までは領庁で随時交換を受け付ける』と明記するんだ」
「えっ!? 交換を受け付けるのですか!?」
「『いつでも換えられる』という安心感がない紙なんて、誰も使ってくれないよ」
事前のお触れが領内に張り出され、騒然とする中。
カイルはジークだけを伴い、中央市場へと足を運んでいた。
お触れを読んだ領民たちが、不安と好奇の混ざった視線で見守る中、カイルは馴染みのパン屋の屋台へ歩み寄った。
「お店のパンを、警備隊用に十個もらえるかい?」
「あ……はい! 銅貨三十枚になります」
「支払いは……これで頼むよ」
カイルがカウンターに置いたのは、「ノルデン紙」——『銅貨枚三十相当の引換券』だった。
「……っ」
店主の手が止まる。お触れで見た実物。精巧な印章と通し番号が刻まれた紙。
店主はチラリとカイルの目を見た。困窮していた自分達を導いてくれた領主の澄んだ瞳。
「……分かりました。お持ち寄りください」
店主の手からパンを受け取った。
代わりに残ったのは、三枚の紙。
たった、それだけだった。
けれど——ノルデンで初めて、硬貨を使わずに商売が成立した瞬間だった。
だが、安堵も束の間。
翌朝、領庁の玄関前には、緊張した面持ちの領民が数十人も詰めかけていた。
「おい、ローグ! ほら来たぞ!」
ジークが焦った声をあげる。領民たちの手には、昨日給与として配られたばかりの《引換券》が握られていた。
「やっぱり紙なんて怖い!」「本当に硬貨に換えてもらえるのか!?」
ローグが懸念していた通りの事態——『取り付け』の波が、早くも押し寄せていた




