番外編 草と紙
そうなるよね、って話。
「カイル様。今月の紙代でございます」
執務室に現れたセムラが、恐ろしい厚みの帳簿と請求書を机の上に置いた。
「うん……え?」
「今月の、紙代でございます」
「二回言わなくても聞こえてるよ!」
カイルは頭を抱えた。
職業紹介所ができ、移住者が増え、新しい工房が立ち上がり、警備隊も組織化された。町が活気付くのは素晴らしいことだが、それと引き換えに膨大な「記録」が生まれていた。
住民台帳、求職票、求人票、帳簿、納税記録、資材の発注書……。
(町が豊かになるって、食糧や家屋を増やせば終わりじゃないんだ。人が増えれば、記録が増える。記録が増えれば……紙まで必要になるのか)
王都から運ばれてくる紙は、輸送費も乗ってとにかく高い。
「セムラ……ノルデンでも紙を作れないかな」
「紙、でございますか? 既存の製紙職人を頼れば作る手順自体は可能でしょうが……王都のような高級紙に使う原料は、この地にはございませぬぞ」
「高級じゃなくていいんだ。とにかく安く、自分たちで調達できる材料で試してみよう」
◇
「できた……!」
数日後、地元の職人と試行錯誤して漉き上げた試作品を、カイルが慎重に持ち上げた。
——ビリッ。
「…………」
「破れましたな」
「……分かってるよ」
地元で安く調達できる原料だけですいた紙は、カイルが求める強度には全く届かなかった。軽く引っ張るだけで破れ、インクも滲む。何度も人の手を行き来する求職票や、長期保存する台帳にはとても耐えられそうになかった。
(王都と同じ材料を使ったら高くなる。ノルデンにあるもので、丈夫な紙を作れないかな……)
カイルが思案に暮れていると、セムラが溜め息をついた。
「そう都合よくはいきませぬな。そういえば、農家からも別の苦情が届いております。……グラスハルト草の勢いが凄まじく、畑を侵食して困っていると」
「グラスハルト草かぁ……」
ノルデンの荒地や街道脇に自生する多年草だ。とにかく生命力が強く、茎が極めて硬い。家畜も食べず、刈っても刈っても深い根からすぐに生えてくる、農民にとっては完全な厄介者だった。
「家が足りないと思ったら木が足りなくなって、紙が足りないと思ったら今度は草が余ってる……」
「世の中、なかなか都合よくはいきませぬな」
「……ん?」
カイルの動きが止まった。
「セムラ。今、なんて?」
「都合よくはいかない、と」
「違う。その前」
「草が余っている……?」
「…………」
足りないものと、余っているもの。
カイルの頭の中で、ふたつのピースが急速に引き合っていく。
カイルは図書館へ走り、植物誌をめくった。
『グラスハルト草——寒冷地に自生する多年草。茎は極めて強靱。内部には長く強い繊維を持ち——』
「……繊維?」
カイルの指が止まる。
前世のぼんやりとした記憶が頭をかすめた。
(そうだ。日本の紙幣だ。普通の紙とは違って、何度折り曲げ、人の手を渡っても簡単には破れない丈夫な紙……。確か……三椏とか、植物の強い繊維を使っていたはずだ)
前世の知識だけで完璧な製紙法が出せるわけではない。だが、記憶はカイルに「どこを試せばいいか」という方向を提示してくれていた。
「これなら……いけるかもしれない!」
そこから、職人たちとの実験が始まった。
グラスハルト草の硬い茎を蒸し、叩き、繊維を取り出して既存の紙原料に混ぜ込む。
一回目。草の繊維を入れすぎた。
「…………」
「カイル様」
「うん」
「これは紙なのでしょうか」
「……僕も今、それを考えてた」
ゴワゴワで硬い。文字を書こうとするとペン先が引っかかり、紙というより薄い木板だった。
覗き込んだジークが、鼻で笑う。
「なんだこれ。紙っていうより薄い板じゃねえか」
「……次!」
二回目。反省して繊維を細かく裁断しすぎた。
——ビリッ。
「元に戻ったな」
「ジーク、黙ってて」
三回目、四回目……。
混ぜる割合、繊維の長さ、水での晒し方、漉き方を変えて何度も試作を重ねた。
「……できた」
数日後。職人が恐る恐る出来上がった紙を持ち上げた。
これまでの試作品より薄い。カイルは受け取ると、両端を持ってぐっと引っ張った。
「……破れない」
さらに力を込めて引く。
「やっぱり破れない……!」
折っても耐え、インクのノリも悪くない。
そして窓からの光に透かすと——グラスハルト草の銀白色の長い繊維が、紙の中に美しい細い筋となって浮き上がった。
「やりましたな、カイル様!」
「いや、僕じゃないよ」
カイルは照れくさそうに笑って、隣に立つ職人たちに視線の先を向けた。
「僕が言ったのは『この草の繊維を使えないか』って、それだけだからね。混ぜる割合も、繊維のほぐし方も、漉き方も、全部この人たちが試行錯誤して考えてくれたんだ」
「それでもよ」
横で見ていたジークが、完成した紙を指先でパチンと弾いた。
「誰も見向きもしなかった雑草だろ、これ? 農家からすりゃ、抜いても抜いても生えてくる邪魔者だ。それを見て『紙に使えるかも』なんて普通考えるか?」
ジークは感心したように言った。
「やっぱ、すげえな。カイルは」
「あはは、そんなことないよ」
カイルは頬を掻きながら、出来上がった紙を再び光へと透かした。
「グラスハルト草のおかげさ。この草には最初から、こんなに丈夫な繊維があったんだ。僕は何も与えてないよ」
透かしの中で、銀白色の繊維が美しく煌めく。
「ただ、使い道を見つけただけだ」
「…………そうかよ」
ジークの小さく呟いた声は、いつもの彼にしては妙に静かだった。
「ジーク?」
「いや……なんでもねえ」
ジークは「変な奴」と笑うカイルから視線を外し、自分の右手をじっと見つめた。
(……使い道を、見つけただけ、か)
剣を握れば知らないはずの技が出る。
菓子を見れば知らないはずの手順が浮かぶ。
自分でもわけの分からない、胸の奥にある妙な感覚。
(……じゃあ、俺のこれは何なんだろうな)
答えはまだ出ない。だが、その右手を握りしめるジークの表情に、焦りはなかった。
◇
畑の端。刈り取られたグラスハルト草の束を積み上げながら、農夫が嬉しそうに汗を拭っていた。
「まさか、こんな邪魔な草を金出して買い取ってくれるとはなぁ! 畑は綺麗になるし、小遣いにはなるし、助かるよ領主様!」
通りかかったカイルは一本のグラスハルト草を手に取り、ふっと目を細めた。
「これで職業紹介所の登録用紙をケチらなくて済むね」
「そこですか」
セムラが呆れたように言うが、カイルにとっては大真面目だった。
農家は雑草を処分して現金を得る。
製紙職人には新しい仕事が生まれる。
王都から高い紙を買わずに済み、行政コストが下がる。
かつて誰も価値を見出さず、邪魔者扱いされていた雑草が、ノルデンの行政と産業を支える一歩となった。
(価値がないんじゃない。まだ、使い道を見つけていなかっただけなんだ)
「さて……次は何が使えるかな」
カイルは秋晴れの空を見上げ、楽しそうに微笑んだ。




