第61話 家に灯りがともる日
旧市街の一角に、木槌を叩く乾いた音が連日響き渡り、半月が過ぎた。
「よし、この三軒はこれで終わりだ!」
ガルドの太い声が路地に響き渡る。
完成した家々は、王都の貴族街にあるような新品ピカピカの邸宅とは程遠かった。補修された花崗岩の壁には昔の傷痕がそのまま残っているし、付け替えられた木製の扉や窓枠も、手元にある材木を組み合わせて作ったため、どこか無骨で歪だ。
けれど——壊れていた屋根は綺麗に葺き直され、窓には新しいガラスが嵌め込まれている。
「すごい……! 本当に半月で住めるようになったんだね」
検分に訪れたカイルが感嘆の声を漏らすと、ガルドはフンと鼻を鳴らした。
「そりゃそうだ。骨組みと壁が生きてりゃ、大工仕事なんてこんなもんだよ。……で、約束通り、最初の入居者がやって来たぜ」
ガルドが視線を向けた先では、パン工房の寮から引っ越してきた職人一家が、荷車から荷物を運び出しているところだった。
「リーザ、それ一人で持つものじゃないよ!?」
「ですが、カイル様! このくらいでしたら、私一人で運んだ方が早いですし……」
「身体強化を基準にしないでくれ! 荷台が傾いてるから!」
大きな木箱をひょいと軽々と抱え上げるリーザにカイルが慌てて突っ込みを入れる。連日の難しい議論続きだった旧市街に、どっと明るい笑いが起きた。
そんな賑やかな喧騒の中、小さな足音がトントンと駆け寄ってくる。
「お父さん! 僕の部屋あるの!?」
父親の手を引っ張りながら目を輝かせる男の子に、荷物を降ろしていた職人は苦笑いを浮かべた。
「お前だけの部屋じゃねぇ。弟と一緒だ」
「えーっ! 弟、寝相悪いから嫌だなぁ!」
「文句言うな。寮の狭い相部屋よりずっと広いんだから、感謝して大事に使え」
「はーい!」
元気に返事をした男の子は、まだ木の手触りが新しい扉を嬉しそうに開け、新居の中へと飛び込んで行った。
そのやり取りを少し離れた場所から見ていたカイルは、ふと足を止めた。
(……家って、壁と屋根だけじゃないんだな)
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
昨日までの自分は、住民台帳の数値を見て「三十世帯分の収容数」と計算していた。ただの人口増加を処理するための『インフラ』として家を捉えていたのだ。
けれど、こうして家族が荷物を運び込み、子どもが部屋を跳びはねる姿を見て、カイルはハッとさせられた。
自分たちが直しているのは、単なる石と木の箱ではない。
誰かが安心して眠り、食卓を囲み、家族の思い出を重ねていく『人が暮らす場所』そのものなのだと。
その日の夕方。
カイルは一人、旧市街を見渡せる小高くなった道の上に立っていた。
かつて人々が逃げ出し、夜になればただ冷たい闇だけが広がっていた廃墟の区画。
その暗がりの中に——ぽつり、ぽつりと、橙色のやさしい灯りが三つ、灯っていた。
暖炉に薪がくべられ、煙突から一筋の煙が立ち上っている。
「……人が、戻ってきた」
カイルは思わず呟いた。
ほんの三軒。小さな一歩だ。
けれど、長年死んでいた街区に、確かに新しい生命の灯がともった瞬間だった。
翌朝。
昨日の余韻も冷めやらぬ執務室に、朗報が飛び込んできた。
工房の寮に空き部屋が三つできたことで、募集を出していた外部の大工職人三名が、早くもノルデンに到着したのだ。
「よし! これで修繕のスピードをもっと上げられるぞ!」
カイルの言葉通り、作戦は劇的な成果を上げた。
寮に入居した外部の職人たちが即座に現場に加わり、ガルドの手足となって働き始めたのだ。
三軒だった空き家の修繕は、五軒、八軒……と、目に見える速さで増えていく。
寮の家族が新居へ移り、空いた部屋にさらに新しい職人や技術者が入る。
カイルの狙った循環が完璧に噛み合い、街の復興スピードは一気に跳ね上がった。
——だが、その「成功」からわずか十日後のことだった。
「領主様。ちょっと来てくれ」
難しい顔をしたガルドが、カイルを製材所へと呼び出した。
現場へ足を踏み入れたカイルは、広大な木材置き場を見渡して、思わずパチパチと瞬きをした。
「……ん?」
「『ん?』、じゃねぇよ」
ガルドが呆れたように溜息を吐き、山積みになっていたはずの丸太や挽き板の棚を指さした。
あんなにあったはずの材木が、驚くほどスカスカに減っていたのだ。
「職人が増えて作業が速くなったから、木材の消費もそれだけ速くなったんだ。この調子でやったら、冬の補修に回す材まで食っちまうぞ」
「…………」
カイルは、すっかり寂しくなった木材置き場を見つめた。
「だったら、山からもっと——」
そう口にしかけて、止まる。
街の背後に広がる深い森を見れば、木はいくらでもあるように思える。
けれど、本当にそうなのだろうか。
(いや……待て)
人手が足りないから、人を増やした。
その結果、今度は木材が足りなくなった。
ここで何も考えず伐採量まで増やしたら、また別の何かが足りなくなるのではないか。
「ガルド。いったん修繕の件数を絞ろう」
「……いいのか?」
「うん。冬までに必要な補修材には手をつけない。それと、新しい家は緊急性の高い世帯から順番に回す。森から追加で木を切り出すのは——その前に、今の伐採量と山の状態を調べてからだ」
ガルドは少し意外そうにカイルを見つめ、それからニヤリと笑った。
「へえ。てっきり『木こりを増やそう!』って言い出すと思ったぜ」
「……僕だって少しは学習するよ」
「どうだかな」
「ひどいな!?」
その帰り道だった。
「……あれ?」
カイルはふと足を止めた。
街の向こうに広がる畑が、いつの間にか夏とはまるで違う色に染まっている。
風が吹く。
たわわに実った麦穂が、一斉にざわりと頭を垂れた。
「もう……そんな時期か」
バター不足に、住宅不足に、職人不足。
毎日そればかりを追いかけているうちに、季節は確実に進んでいた。
ノルデンに、収穫の秋がやって来る。
「今年は忙しくなりそうだな……」
黄昏時の畑を眺めて呟いた時、後ろから足音が近づいてきた。
「カイル様」
セムラだった。息を切らすでもなく、淡々とした足取りでこちらへ歩いてくる。
「どうしたの?」
「領主館に届け物です」
差し出されたのは、一通の文だった。
「手紙?」
「王都からです」
受け取った封筒は手触りの滑らかな上質紙で出来ていた。
中央の赤い封蝋には、見覚えのある紋章が刻まれている。
「……内務省」
赴任のあの日、自分に辞令を手渡した男の顔が浮かぶ。薄紫の髪に、眼鏡の奥からこちらを値踏みしていた冷ややかな目。
「……ガルシアか」
「内務尚書から、ですかな」
「たぶんね」
封蝋に指をかける。
だが、割る直前で指が止まった。
王都から遠く離れたこの地で、ただ必死に目の前の問題を片づけてきた。
畑を立て直し、物を作り、仕事を増やした。人が集まり、家が足りなくなり、それを直した。
懸念はまだ山ほどある。
けれど、自分が来た頃の死んだようなノルデンとは、明らかに違う。
背後で、麦穂がざわめく音を聞きながら、手の中の封筒をじっと見つめた。
「……さて」
爪を立てる。
「今度は、何だ」
パキッ、と乾いた音を立てて、赤い蝋が割れた。




