第58話 鶏と卵の家づくり
「本当に……一軒も空いてないな」
補修された石畳を踏みしめながら、僕は小さく息を吐いた。
宿屋の軒先には『満室』の札が掲げられ、申し訳なさそうに頭を下げる主人の姿がある。通りを歩けば、大きな荷袋をいくつも抱えた家族連れが、どこか途方に暮れた様子でたたずんでいた。
「信じられねえな……」
横を歩くジークが、物珍しそうに街並みを見渡す。
「俺が出て行った頃は、空き家なんて腐るほどあったんだぞ。宿屋だってガラガラで、いつ潰れてもおかしくなかったのに」
「それが今じゃ、隣町へ引き返すか迷う人まで出ている。せっかくノルデンを選んでくれたのに、住む場所がないなんて……」
胸が痛む。
住民台帳の数値を頭の中で弾く。現在の流入速度を考えれば、十軒程度整備したところで焼け石に水だ。最低でも三十世帯分の住居を至急確保しなければならない。
「新しく建てるしかないか」
そう決断した僕は、その足で領地唯一の大工工房へと向かった。
◇
カンカンと木槌の音が響く工房で、長年ノルデンの職人たちを束ねてきた大工頭のガルドは、突然乗り込んできた僕の要求を聞くと、太い腕を組んで鼻で笑った。
「三十世帯分の家だと? そりゃ無理な相談だな、領主様」
「どうしてだい? 費用なら領地の予算から出す。木材も——」
「金の問題じゃねぇんだよ」
ガルドは削り節の舞う作業場の隅を顎でしゃくった。
「第一に材料だ。うちの製材所に残ってる材木は、日々の補修や家具作りに使う分で手いっぱいだ。三十世帯分の柱や板材を山から切り出して、乾かすだけで何ヶ月かかると思ってんだ?」
「乾燥の工程か……」
「それだけじゃねぇ。もっと根本的な問題がある。……人間だ」
ガルドは自分の無骨な手を突き出してみせた。
「今、ノルデンでまともに家を建てられる大工職人は、俺を含めてたったの十人だ。水路の補修や工房の修繕をこなしながら新築を建てるとなると、完成する頃にはその移住者の孫が成人してらぁ」
「くっ……なら、王都や隣領から熟練の大工職人を臨時で雇い入れよう。給料を高めに設定して募集をかければ人は集まるはずだ」
「職人を呼ぶ? そりゃ結構だ。で、領主様」
ガルドは口の端をひょいと吊り上げた。
「そいつら、どこに寝泊まりさせるんだ?」
「…………」
言葉が詰まった。横からジークが呑気に口を挟む。
「広場にテントでも張らせりゃいいんじゃねぇか?」
「寒冷地のノルデンで野宿させろってか? アホ抜かせ」
ガルドが一蹴し、ジークは「ぐっ」と口をつぐんだ。
「ただでさえ宿も家も足りねぇんだ。仕事のために遠くからやって来た職人どもを野宿させるわけにもいかねぇ。家が足りねぇから職人を呼ぶ。だが、呼んだ職人を住ませる家がねぇ。——さて、どうする?」
家を建てるには職人がいる。
職人を呼ぶには、その職人が暮らす場所がいる。
だが、その家を建てる職人がいない。
「……鶏と卵だな」
「そう言うこっちゃ。もう少し頭を使ってくれよ、カイル様。その頭はお飾りか?」
「……すまない」
「おい、領主に言いすぎだろ!」
ジークが眉をひそめると、ガルドは容赦なく矛先を向けた。
「お前も横で突っ立ってないで少しは頭使え、赤毛」
「俺は護衛だっつーの!」
「護衛なら領主様が明当違いなこと言い出したら止めろ。……悪いが、こっちも仕事が詰まってんだ。考えがまとまったら出直してきな」
シッシッと手を振られ、僕とジークは追い出されるように工房を後にした。
◇
「なんなんだよあのおっさん、偉そうに……」
執務室への帰り道、ジークがぶつぶつと文句を溢している。
だが、ガルドの言い分はぐうの音も出ないほど正論だった。
(パン工房では工程を細分化して人手を増やせた。
水路の工事も、専門職と一般の力仕事を分けることで乗り切った。……けれど、建築はそうはいかない)
基礎や柱の組み立ては、素人を何十人集めたところで大工の代わりにはならない。失敗すれば住む人の命に関わる。過去の成功法則が、そのままでは通用しないのだ。
執務室に戻った僕は、机に両肘をつき、組んだ手の上に顎を乗せて窓の外を眺めた。
「どうすんだ? 王都から大工職人でも連れてくるか?」
ジークが壁に背を預けながら尋ねてくる。僕は答えず、静かに街並みを遠目になぞっていた。
(待てよ……)
視線が、ふと街の各所に点在するある建物で止まる。
長年放置され、誰も住まなくなった古びた石造りの空き家たち。
先ほど見てきた、削れた石畳をひとつずつ埋めていた道路工事の光景。
そして——かつて放置された古い宿屋を改装して、現在の『職業紹介所』を作り上げた時の記憶。
バラバラだったピースが、脳内で急速に噛み合っていく。
(新しく家を建てる……その考え自体に囚われていたんじゃないか?)
「……カイル?」
ジークが訝しげに首を傾げた。僕の口元に自然と笑みが浮かぶ。
「……新しく建てるのが無理なら、建てなきゃいいんだ」
「は? 何言ってんだ、家が足りねぇんだろ?」
「そうだよ。だから——直すんだ」




