第57話 増える足音と、新しい悩み
補修されたばかりの綺麗な石畳の上を、ガタゴトと小さな音を立てて荷車が通り過ぎていく。
大がかりな再開発ではない。長年の放置で欠けていた石畳を埋め、水たまりのできる窪みを補修していく——そんなささやかな手入れが、着実に街の景色を変えつつあった。
焼きたてのあんパンを抱えて走る子どもたち。その傍らを、見慣れない旅装の家族連れや大きな荷物を背負った若い男たちが、物珍しそうに見上げながら通り過ぎていく。
静まり返っていた街道に、賑やかな足音が戻っていた。
◇
領主館の執務室。
窓からの喧騒を聞きながら、僕は届いたばかりの住民台帳を調べていた。
ペラリと紙をめくる手を止め、ふと眉をひそめる。
「……住民が、増えている?」
「ええ。監査が無事に終わったという噂や、ノルデンが暮らしやすくなった評判を聞いて、周辺から移住してくる人が増えているようです」
セムラの言葉に、僕は小さく頷いた。
空き家だらけだった街に灯りが戻りつつある。前世でも、復興の波に乗って人が集まり始める街を何度も見てきたが、こういう変化はいつ見ても悪くない。
そこへ、トントンと軽いノックの音がした。
「入るぞ」
警備の仕事を終えたローグが入ってくる。
「やあ、ローグ。いつもご苦労様」
「ふん……それが仕事だからな」
そっぽを向くものの、その表情は以前よりずっと柔らかい。
「確かに人は増えたな。市場でも、移住してきた奴らに道を訊かれることが増えた」
「現場でもそうなんだね。……そういえば、お母さんの体調はどうだい?」
「おかげさまで、だいぶいい。……今はパン工房でルージュ豆の仕分けを手伝い始めた。短時間だけどな」
「そうか。工房も助かっているよ。工程を細かく分けた甲斐があったな」
重労働を一人が抱え込むのではなく、作業を細分化してそれぞれの体力に合わせる。
王都では療養するしかなかった人が、ここで自分の足で立ち、社会に関わっている。街が豊かになるというのは、こういうことだ。
「……母さんが自分から働きたいって言い出すとは思わなかったけどな」
「最初は止めたの?」
「当たり前だ。だが……『自分にもできることがあるのが嬉しい』なんて言われたら、何も言えねえよ」
ローグが気恥ずかしそうに頭を掻いた、その時だった。
「よぉ、カイル! 明日の予定だけど——」
ノックもなしに扉が開く。
「……ジーク」
ローグの眉間にあからさまな皺が寄った。ジークは意に介さず、僕の机まで歩いてくる。
「明日の視察、北街道の方だろ? 朝のうちに出た方がいいぜ。午後になると荷馬車が増えて通りにくくなる」
「ちょうど良かった、ありがとうジーク」
「へへっ、護衛の仕事だからな」
「……お前」
ローグがじっとジークを睨む。
「ちゃんと仕事はしてるんだろうな? さっき中庭で口を開けて寝てたろ」
「休憩中だよ!! 見てんじゃねぇよ!」
「警備隊長だからな」
「暇なのかお前は!」
「……二人とも、仲良くしてね」
「「してねえ!」」
「息ぴったりだな……」
僕はため息をついた。模擬戦以来、顔を合わせればこれだ。もっとも、本気で嫌い合っているわけではないのも分かっている。
「じゃあ俺は警備に戻る」
ローグは踵を返し、扉に手をかけたところでちらりとジークを見た。
「……カイルを頼むぞ」
「……任せとけ」
一瞬だけいつもの軽い笑みを消して答えたジークを見届け、ローグは部屋を出て行った。
「……過保護だな、あいつ」
「君のことも心配なんだよ」
「……絶対あいつの前で言うなよ」
釘を刺すジークに、僕は苦笑した。
さて——気を取り直して、再び台帳に目を落とす。
数字を追ううちに、ひとつの問題が浮かび上がってきた。
「空き家はどれくらい残っている?」
その言葉を聞いたセムラが台帳を確認する。
「以前からあった空き家は、ほぼ埋まりつつあります。このペースが続けば、近いうちに完全に家が足りなくなりますな」
「……今度は住居か」
「俺がここを出てった頃は、空き家なんて腐るほどあったのにな」
窓の外を見ながらジークが呟く。かつてこの街を去った男の言葉だからこそ、妙な真実味があった。
僕は肘をつき、考えを巡らせる。
(家が足りない、か……)
「……寮を建てるかな」
「寮、ですか?」
「前にパン工房や水路の工事で人を集めた時と同じさ。あの時も住む場所がない人のために作っただろう?」
「ええ。おかげで職人たちが定着してくれました」
「なら、今回も同じように——」
そこまで言って、僕は思考を止めた。
(……いや、違うな)
過去の成功をそのまま当てはめようとしていた。
あの時集まったのは、出稼ぎの単身者たちだ。だから簡易的な寝床と食堂があれば事足りた。
だが、いま街を歩いているのは誰だ?
子どもを連れた母親。店を始めようとやってきた夫婦。
先日も、工房の寮に住む若い職人から照れくさそうに相談されたばかりだ。
『領主様。俺、この街で知り合った子と所帯を持つことになりまして。……でも、夫婦で暮らせる家がどこにも空いてないんです』
雇用が生まれ、人が定着し、街で家族ができる。
彼らが求めているのは、寝るためだけの部屋ではない。
「……寮じゃ駄目だ」
「カイル?」
「必要なのは、一時的な寝床じゃない。この街でこれからずっと『暮らしていくための家』だ」
「……なるほどな。根を張りたい奴が増えたってことか」
ノルデンはいつの間にか『出稼ぎに来る場所』から『人生を築く場所』へ変わりつつある。なら、用意すべきインフラも変わらなければならない。
「よし、実際に街へ出よう。どれくらい切迫しているのか、自分の目で確かめたい」
「かしこまりました。すぐにお供を——」
「必要ねえよ。そのために俺がいるんだろ?」
ジークがニッと笑って自分の胸を叩いた。
「んじゃ行こうぜ領主様。新しい家を建てる場所探しだ」
「まだ建てるって決めてないよ。まずは実態調査」
「……相変わらず固ぇなぁ」
「曖昧に進めると後で計画が破綻するんだ。一番大事なところだよ」
——だが、この時の僕はまだ知らなかった。
ジークとともに街へ出た先で待っていたのは、単なる「家不足」という数字の計算だけでは済まない問題だったということを。




