第7話 カイル、砂糖の代わりを見つける
ルージュ豆のスープが領民たちの胃袋と心を掴んでから、ノルデンの空気は一変した。
「カイル様、おはようございます! 本日の水路工事、予定より早く終わりそうです!」
「領主様、こっちの畑の土も最高に仕上がりましたぜ!」
広場に行けば、領民たちが極上の笑顔で声をかけてくる。
かつて僕の胸ぐらを掴んだ男にいたっては、今や率先して作業車の泥を拭き、誰よりも熱心に働いてくれていた。
「皆の作業効率が爆発的に上がっているね。信頼という無形の資産が、これほど早く実体経済に結びつくとは嬉しい誤算だ」
泥のついた作業着のまま、僕は満足げに頷いた。
現金支給の雇用によって領民の懐が温まった結果、市場には以前より露店が増え、久しく聞かなかった客引きの声まで戻り始めていた。
経済の血液たるお金が、見事にこの領地を巡り始めたのだ。
* * *
そして今日、領主館の厨房では、ルージュ豆を使った「最初の特産品」の試作が最終段階を迎えていた。
「カイル様、これはいったい……?」
リーザが不思議そうに覗き込む大きな鍋の中。そこには、数日前に食べたスープとは明らかに違う、極限まで煮詰められてツヤツヤと黒光りする「塊」があった。
ルージュ豆の持つ本来の甘みを抽出し、水分を飛ばして練り上げたもの【餡】の完成である。
「これを『ルージュ餡』と呼ぶ。リーザ、少し味見をしてくれないかい?」
「はいっ」
スプーンですくい、小さな口へ運ぶリーザ。その瞬間、彼女の美しい瞳がこれ以上ないほど大きく見開かれた。
「んむっ……! な、なんですのこれ……! 濃厚で、とろけるように甘くて……それでいてルージュ豆の香ばしさが口いっぱいに広がって……美味しいですわ!」
「だろう? 僕が考えた、新しいスイーツさ」
これなら王都の貴族や大商人が大金を叩いてでも欲しがる最高級の特産品になる。
だが、僕は大鍋の餡を見つめながら、少しだけ顎に手を当てた。
(美味いが……まだ『本物』には一歩足りない。あの、脳を揺さぶるような強い甘み……やはり、圧倒的に『砂糖』の量が足りんのだ)
この世界において、南方の国から輸入される砂糖は金と同等の価値を持つ高級品だ。今の財政では、あんぱんを大量生産するほどの砂糖は到底買い占められない。
(ううむ、やはり国内で自給するしかないか。しかし、この冷涼な辺境でサトウキビは育たんし……)
僕が腕を組んで考え込んでいると、隣でリーザが「あ!」と声を上げた。彼女の手には、王都の実家から持ってきたという植物図鑑や農学の本が握られている。
「カイル様! もしかして、甘みが足りないとお悩みでしたら、この本に載っている『シロカブ』が使えるかもしれませんわ!」
「シロカブ?」
リーザは本を片手に、熱心にページを指差しながら説明してくれた。
「はい! このシロカブは、本来は北方の冷たい土地で育つ根菜なのですけれど、ごく稀に驚くほど甘い実をつける個体があるそうですの。ただ、非常に土の栄養を吸う野菜なので、これまでの荒れ果てたノルデンの土では絶対に育たなかったのですが……」
リーザは窓の外に広がる、ふかふかになった豊かな緑の畑を見つめて微笑んだ。
「カイル様がルージュ豆を植えてくださったおかげで、今のノルデンの畑は、見違えるほど土が良くなっていますわ! 今のこの土壌なら、このシロカブを美味しく育てられるのではないでしょうか!?」
本の図版に描かれたそのシロカブの特徴を見て、僕の脳内に電撃が走った。
間違いない。これは前世で北海道などの寒冷地で大成功を収めた糖料作物——『テンサイ』の同類だ!
ルージュ豆が土地を肥やし、その肥えた土地でシロカブを育てる。
作物を順番に入れ替えて土地を使う――前世でいう『輪作』だ。
「ありがとうリーザ! そうだったのか、これならいける!」
「きゃっ!?」
嬉しさのあまり、僕は思わずリーザの両手を握りしめていた。リーザは真っ赤になって俯いてしまったが、僕の胸の高鳴りは止まらない。
ルージュ豆が土地を肥やし、その肥えた土地で砂糖の原料を作る。完璧な二毛作のローテーションだ。これらが合致したとき、何が起こるか。
(これであんぱんの大量生産も夢じゃないぞ……!)
脳内に広がるのは、ふっくらと焼き上がった黄金色のパン生地の中に、限界まで甘く練り上げられた極上のルージュ餡がぎっしりと詰まった、あの完璧なる姿。それを領民たちが笑顔で頬張り、王都の商人がよだれを垂らして買い漁る未来の想像図だ。
「よし! すぐにシロカブの種をかき集めよう! ノルデンを、世界一甘くて豊かな領地にするぞ!」
「はい、カイル様!」
僕たちの歓喜の声が、活気を取り戻した領主館に響き渡った。




