第54話 仕事の探し場所と、新しい窓口
「——で、僕のところへ来た、と」
「おう!」
領主館の執務室。
僕は目の前に座る青年を眺めていた。
日に焼けた肌、使い込まれた革鎧、腰の長剣。背にはこの辺りでは見慣れない型の魔道武器まで担いでいる。
ジークと名乗った青年は、数年前までノルデンに住んでいた元住民らしい。
「仕事がないわけじゃないんだよ、領主様!」
「だろうね。むしろ今は、どの現場も人手不足なくらいだよ」
「だろ?」
ジークが身を乗り出した。
だが、そこで何かを思い出したように動きを止めた。
「……そういや、カイル様よ」
「ん?」
「街で聞いたんだけどさ」
ジークは何気ない口調で続けた。
「ルージュ豆を食えるようにしたのも、あんパンってのを考えたのも、あんただって?」
「——」
心臓が、一度だけ強く鳴った。
「……どこで聞いた?」
思ったより低い声が出た。
「どこって……街中で聞けるぜ? パン屋のハンスなんて、あんたの話ばっかりだったぞ」
「…………」
背中を、一筋の冷たい汗が伝った。
これまで誰も、そんなことを疑問には思わなかった。
僕が幼い頃から畑に入り浸っていたことは、家族も知っている。
ルージュ豆だって、何年もかけて育ててきた。
だから皆、僕が新しい食べ方を考案したところで、「またカイル様が何か始めた」程度にしか思わなかったのだ。
だが——目の前の青年は違った。
「妙なんだよな」
ジークが呟いた。
「何がだい?」
「いや」
こちらを見る。先ほどまで快活に笑っていた青年の目から、完全に笑みが消えていた。
「俺、生まれた時からここに住んでたからさ。ルージュ豆なら知ってるんだよ」
「…………」
「あれ、昔は誰もまともに食おうとしなかっただろ?」
「そうだね」
「なのに、帰ってきたら、菓子になってる。パンの中にも入ってる。おまけに街じゃ、見たこともない機械まで動いてる」
ジークが椅子の背にもたれた。
「ずいぶん変わったよな、この街」
「それは領民や職人たちが——」
「そういう話じゃねえよ」
遮られた。
「…………」
ジークの黒い瞳が、まっすぐ僕を射抜く。
「なあ、カイル様」
その声から、先ほどまでの軽さが消える。
「——あんた、その知識をどこで知った?」
「…………!」
なんだこの威圧感は。
殺気とは違う。
ローグと初めて対峙したときに感じた、命を奪う者の気配とも違う。
もっと奇妙な——こちらの正体を見透かされているような感覚。
「……何を言っているんだい?」
僕は努めて平静を装った。
「昔から農業が趣味でね。ルージュ豆も長いこと研究していた。たまたま美味しく食べる方法を見つけただけだよ」
「……たまたま、ねえ」
ジークが目を細める。
「そうとも」
「ふーん」
視線が外れない。まずいな。この男——。
(何かを知っている……?)
いや。僕が高橋是清だったことなど、知るはずがない。なら、なぜ——。
「まあ、いいや!」
「……え?」
突然、ジークがいつもの調子に戻った。
「俺は仕事を探しに来ただけだからな!」
「…………」
「そんな怖い顔すんなって、領主様!」
(誰のせいだと思っておるんだ……!)
僕は内心で毒づきながら、額に滲んだ汗をさりげなく拭った。
だが——話はそれで終わらなかった。
「でだ! 仕事がないわけじゃないんだよ、領主様!」
「……さっきも聞いたよ」
「だったら、なんで仕事そのものを探す場所がねえんだ?」
「…………」
今度は別の意味で、僕は言葉を失った。
「パン工房で働きたきゃパン工房へ行く。農家なら農家、商店なら商店。そりゃ昔の小さな街ならそれでよかったよ。俺だってそうしてた」
「うん」
「でも今は店も工房も増えてるだろ? 俺みたいに外から帰ってきた奴や移住者は、どこが何の仕事を募集してるのかさっぱり分からねえんだよ」
僕はあごに手を当てて、少し思案した。
「ジーク。……それ、君だけが困ったのかな?」
「んなわけあるか! 昨日だけでも、俺みたいに仕事を探して街を一日中歩き回ってる奴を三人見たぞ。逆に市場じゃ『荷運びが足りねえ!』って店主が叫んでた」
(……そうだったのか)
一人の不満ではない。これは街全体の構造的な問題だ。
これまでは産業を立ち上げ、雇用を生み出すことばかりに集中してきた。パン工房、農業、警備隊、建設、輸送。それぞれが必要に応じて個別に人を募集してきたのだ。
(ノルデンは、もう昔の規模じゃないんだ)
これまでは街が狭く、顔見知り同士の直接雇用や口コミでなんとかなっていた。だが、規模が大きくなった今、求職者は仕事に辿り着けず、求人側は人手不足に喘ぐという致命的なミスマッチが起きている。
外を見て帰ってきたジークだからこそ気づけた、発展の陰にできた「穴」だった。
「ほかの大きな領地には『ギルド』ってのがあったぜ」
ジークが思い出そうとするように天井を見上げた。
「商人組合やら職人ギルドやら冒険者ギルドやら、職種ごとにそういう集まりがあってさ。仲間入りすれば仕事を紹介してもらえたり、酒場の掲示板に依頼が貼ってあったりしたんだ」
「なるほど……ギルドか」
ギルドや各種組合。前世の知識でも、人を求める側と探す側を仲介する組織の存在は知っている。
(だが、ギルドは専門職や同業者同士の助け合いには強いが、入り口が職種ごとにバラバラだ。それに、一般の移住者や『普通の仕事を探したい人』には敷居が高い……)
商人、農家、パン工房、荷運び、建設作業員、そして魔獣討伐。
今のノルデンに必要なのは、職種ごとに孤立したギルドではなく、誰もがフラッと立ち寄れる場所だ。
「……だったら、それらを一か所にまとめればいい」
「一か所に?」
「そう。仕事を探す人が、まずそこへ行けばいいようにするんだ」
そう言いながら、僕は羊皮紙にペンを走らせた。
求人を一元化して集める。求職者を登録する。条件の合う両者を引き合わせる。
そこまではいい。
「…………」
急に僕のペンが止まった。
「どうした?」
「いや……これ、思ったより難しいな」
「は?」
書き進めるほど、いくつもの「課題」が湧き上がってきたのだ。
箱だけ作ればいいわけじゃない。護衛や魔獣討伐まで扱うなら、誰にでも仕事を紹介するわけにはいかない。
危険な作業を頼む際、志願者の腕前や実績は誰がどう判断する?
もし仕事を途中で放り出されたら? 逆に雇い主が報酬を踏み倒したら誰が保証する?
ただ人を集めるだけでは駄目だ。人と仕事を結びつける以上、そこには信頼と約束を担保する「制度」が必要になる。
「ジーク」
「おう?」
「君がいた街のギルドについて、もっと詳しく聞かせてくれないか? 依頼の受け方とか、トラブルが起きた時の対応とか」
「……俺、仕事探しの相談に来ただけなんだけどな?」
「ちょうどいいじゃないか。実際に他領のギルドを使ってきた経験者が、今ここにいるんだから」
「領主ってみんなこんなに人使い荒いのか!?」
ジークは頭をガシガシと掻きながらも、どこか楽しそうに呆れ顔を浮かべた。
「さっそく調査開始だ。ジークの体験談だけじゃなく、街の商人や職人たちの意見も集めよう」
それから一時間ほど、僕らは他領のギルドの仕組みや制度の穴について議論を交わした。ジークの現場目線の意見はどれも鋭く、制度の枠組みを作る上で大きな助けになった。
「よし、今日はここまでだ。助かったよ、ジーク」
「へいへい。また明日な、領主様」
ジークはひらひらと手を振りながら、執務室の扉を開けた。
「じゃ、またな。カイル様」
「ああ」
バタン、と扉が閉まる。
「…………」
僕は一人残された部屋で、重い溜息をついた。
(……妙な男だ)
外の世界を知る冒険者。現場の不便さに気づく観察眼。
……それだけではない。あの瞬間、彼が見せた「踏み込んでくるような気配」。
まるで、僕の正体を疑っているかのような——。
◇
一方、領主館の廊下を歩くジークもまた——。
「…………」
無意識のうちに、自分の右手を見つめていた。
剣を初めて握った日のことを思い出す。
誰にも教わっていないはずなのに、分かっていた。
足の運びも。間合いも。刃を振る角度も。
そして……あの日食べた、あの甘いパンの味も。
まるで、ずっと昔から身体が覚えていたみたいに。
「……たまたま、か」
ジークは鼻で小さく笑った。
「だったら俺も、“たまたま”剣が得意なだけなんだけどな」
夕闇が迫る館の廊下で、ジークの瞳が一瞬、深く冴え渡っていた。




