第52話 明日完成する領地はない
試行錯誤の末、適切な回転数を細かく制御できる『魔道撹拌機』が完成した。
滑らかに撹拌されるクリームは、人間の手でやるよりも遥かに均質で、短時間で最高のバターへと変わっていく。
「こりゃ楽だ! 今まで腕が上がらなくなるまで回してたのが馬鹿みたいだぞ!」
「力仕事がいらなくなった分、一日で作れる量が段違いになりました!」
現場の職人たちからは大絶賛の声が上がり、カイルもほっと胸を撫で下ろした。
これでパン工房や商店へのバター供給も一時的には安定するはずだ。
……ところが。
数日後、さらなる「壁」がカイルを待ち受けていた。
「カイル様」
「今度こそ何……?」
執務室に現れたリーザの手に握られた帳簿を見て、カイルは引きつった笑みを浮かべた。
「ギヤミルクが、足りません」
「…………」
「カイル様?」
「いや。……うん、そうなるよね」
加工側のら手作業による撹拌の限界を解消した結果、今度はギヤミルクの限界が直に露わになったのだ。
撹拌機がいくら効率よく動いても、元となるミルクがなければバターは作れない。
(やっぱり、根っこの頭数を増やさないとどうしようもないか……)
以前の僕なら、また「どうにかして短期間でギヤを調達できないか」と頭を抱えて焦っていたかもしれない。
だが、カイルは深く息を吐くと、静かに頷いた。
「……よし。なら、これは急いで解決しないでおこう」
「え?」
予想外の言葉だったのか、リーザがパチクリと目を瞬かせた。
「急いで解決しない、ですか?」
「うん。ギヤを増やすのには時間がかかる。だったら、しっかり時間をかけよう」
「時間を……ですか」
「そう。短期的には魔道撹拌機で加工効率を上げた。今できる限界までは到達したんだから、ここから先の根本的な解決……酪農そのものを大きくするには、焦っちゃダメだ」
カイルは執務机を離れ、窓辺へと歩み寄った。
視線の先、秋の心地よい風が吹き抜ける牧草地では、ギヤ群がのんびりと草を食んでいる。
「新しい飼料作物を育てて、牛舎を整えて、安全に繁殖できる環境を作る。必要なら近隣の領地から少しずつ質の良い個体を分けてもらう。……そうやって数年かけて、ノルデンの酪農をじっくり育てていこう」
「数年……すぐには結果が出ませんよ?」
「いいんだ。領地ってさ、明日完成させるものじゃないだろ?」
「……カイル様」
「失敗したらまた考えればいい。一歩ずつ、みんなで豊かになっていけばいいんだよ」
リーザは、そんなカイルの横顔をじっと見つめていた。
ノルデンへ来たばかりの頃なら、きっと彼は「もっと早く」と焦っていただろう。
けれど今は違う。
この土地で生きる人々と同じ時間を歩もうとしている。
「……はい。どこまでもお供いたします、あなた」
リーザは胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じながら、愛おしそうに目を細めた。
カイルが整えた短期的な加工改善と、これから時間をかけて育んでいく長期的な酪農振興。
やがてそれは、飼料から畜産、そして豊かな土壌づくりへと繋がる大きな循環となり、ノルデンの新たな産業として芽吹いていくことになる。
秋空の下、のどかに鳴くギヤの声が、豊かな未来の始まりを告げるように優しく響いていた。




