第50話 領地の成長と浅い閃き
ヴェルナーによる監査が終わった数日後。
帳簿も農地も工房も細かく確認されたが、カイルたちが積み上げてきた改革そのものに大きな問題はなかった。
ようやく一息つける。
「……終わったぁ」
カイルは執務机の背もたれに身体を預け、大きく天を仰いだ。
「お疲れさまでした、カイル様」
「これでしばらくは、領地の仕事に集中できそうだね」
「そうですね。街も落ち着いています」
「久しぶりに平和な——」
バァン!
「カイル様! パン工房から急ぎの報告です!」
「…………」
勢いよく飛び込んできた兵士を見送りながら、リーザがふっと悪戯っぽく苦笑する。
「平和、でしたね」
「過去形にしないで!」
頭を抱えるカイルだったが、もたらされた報告は……暗殺者や監査官とはおよそ程遠いものだった。
「……バターが、足りない?」
「はい。パン工房の納品分はもちろん、街の商店に回す分も完全に底をついているそうです」
「え? でも、ギヤなら何十頭もいるだろう?」
ノルデンには以前から、牛に似た大型の家畜である数十頭のギヤがいる。
ギヤミルクは日常的に飲まれているし、バターも少量ながら作られていたはずだ。カイルが首をかしげると、リーザがじっと冷ややかな視線を注いできた。
「カイル様。まさか……ギヤならどれでも、一年中ミルクを出すと思っていらっしゃいません?」
「…………」
「カイル様?」
「いや、いくら僕でもなんでも知っているわけじゃないからね!?リーザ」
「もう! あんぱんばかり頭にあるからです」
「現場を見に行こう!」
露骨に話題を逸らして立ち上がるカイルに、リーザは呆れつつもクスクスと笑いながらついて行った。
◇
「……減った、わけじゃねえんです、領主様」
酪農場の現場で話を聞くと、頑固そうなベテランの職人が頭をかいた。
当然、数十頭すべてが常に搾乳できるわけではない。出産の時期もあれば、休ませる期間もある。だが、それ以上に大きな原因があった。
「昔から、うちで作れるバターの量はほとんど変わってません。……ただ、街の方が変わりすぎたんです」
カイルは持ってこさせた昔の帳簿と、現在の帳簿を並べて見比べた。
パン工房が拡大した。
名物のルージュクッキーが売れている。
移住者が増えた。
そして何より、以前より人々の食生活に余裕が出た。
貧困による不足ではない。領地が豊かに「成長」したからこそ起きた不足。
それを理解したカイルは、ポンと手を打った。
「分かった。だったらギヤを増やそう!」
酪農家が妙なものを見る目で首を傾げた。
「……どうやってです?」
「繁殖させれば——」
「領主様。ギヤはルージュ豆じゃありませんぜ?」
「え?」
「今日増やそうと決めて、次の収穫までに倍になるもんじゃありません。妊娠して、産んで、育つまでにどんだけかかると思ってんです」
「ああっ!」
言われてみれば当たり前だ。
さらに頭数を増やせば、食わせる飼料がいる。牛舎も足りない。世話をする人間も必要だ。外から成獣を買ってくれば早いが、それには莫大な金がかかる。
「…………」
「カイル様?」
「僕はいま、ものすごく浅いことを言った気がする」
「はい。浅かったです」
「リーザ、そこは否定してくれていいんだよ!?」
カイルは顔を赤くしながら、ぐっと思考を巡らせた。
頭数を増やすのは時間がかかる。なら短期的な解決策として、今あるギヤミルクの「加工効率」を上げるしかない。
実際のバター作りを見せてもらう。
静置して浮いてきたクリームを取り分け、容器に入れ、職人たちが棒を使って手作業でひたすらグルグルと撹拌している。
「……ずっとこれを?」
「ええ。固まるまでひたすら回します」
「一日に何度も?」
「ええ。仕事が終わる頃には腕が上がらなくなりますな!」
「……これは、クロウさんを呼ぼう」




