第49話 不自然な空白
翌日の早朝。
走り去る馬車を見送り、セムラが大きく安堵の息を漏らした。
「ふぅ……なんとか切り抜けましたな、カイル様。完璧な対応でした」
「……セムラ」
「はい?」
僕の顔から笑みが消えていた。
執務室に戻り、デスクの上に残された監査の記入項目を見つめる。
「ヴェルナーは優秀だった。帳簿の僅かな矛盾を見抜いて、実際に足を使って鉱山まで確認に赴いた」
「ええ。さすがは『蛇の目』と呼ばれるだけはありましたな」
「それに——」
僕は、ふと自分の肩へ視線を落とした。
鉱山で、天井から落ちてきた岩片。それを一瞬で弾き飛ばした、ヴェルナーの力。
「あの人は、自分のスキルまで僕に見せてくれた」
「……【見えざる手】、でしたな」
「そうだ」
執務室で虫を払った時も、鉱山で落石を防いだ時も。ヴェルナーは自分から「私のスキルですよ」と説明していた。
他人のスキルや能力について触れることは、この世界でも特別なタブーではない。なら——。
「僕のスキルについて聞いても、何もおかしくなかったはずなんだ」
「……!」
セムラの表情が変わった。
「まして、今回調べていたのは魔石の出所だ。だったら普通は最後に確認するだろう?」
僕は自分の掌をじっと見つめた。
「『カイル様、あなたご自身に、魔石に関係する特別な能力はありませんか』ってね」
セムラの表情が凍りついた。
「……し、しかし、それは聞かれましたか?」
「いや、聞かれなかった」
「…………」
「一度もだ」
(……なるほど)
頭の中で、思考のピースが静かに組みあがっていく。
調べなかったんじゃない。
調べるなと命じられていた可能性がある。
財政、税収、物流、鉱山、実家——あらゆる角を突いてきた人間が、一番手っ取り早く、かつ根本的な疑問である「領主本人の資質や能力」についてだけ、綺麗に爪痕すら残さずスルーした。
だとすれば——王都には、僕の能力について何かを知っている人間がいる。
少なくとも、「魔石と僕の間に何かある」と疑っている者が。
探っている事実そのものを僕に悟られたくなかったのだ。
(……厄介だな)
「カイル様……?」
「いや……王都にも、ずいぶん慎重な人がいるらしい」
それが誰なのかは、薄々想定がついている。
だが、証拠がない。
(おそらく、また手段を変えて仕掛けてくるだろな……)
それだけは、確信していた。
◇
【王都・某所】
ヴェルナーの足音が完全に遠ざかるまで、ガルシアは動かなかった。
机の上に残されたのは、帰任した彼から提出されたノルデン領の監査報告書。
何度読み返しても、そこに記された結論が変わることはない。
——違法性なし。
「ふ……」
喉の奥から、乾いた声が漏れた。
「ふ、はは……」
口元は笑っていた。だが、報告書を握りしめる指先は激しく震えている。
「またか……」
カイル・フォン・ヴァルハイトをノルデンへ追いやったのは、他でもない自分だ。
「魔石生成」という異能を持つ危険な存在。何もない北方の貧圏へ放り込めば、それで終わりのはずだった。
冬を越すことすら困難な極寒の地。
金も、食料も、産業もない。
放置しておくだけで勝手に潰れる——そう信じて疑わなかった。
だが、潰れなかった。
ならばと手回しをし、警戒し、ついには暗殺者ローグまで放った。
それでも——。
「なぜだ……」
暗殺者は戻らなかった。
それどころか、警備隊の隊長としてカイルの傍らに収まっているという。
送り込んだ刺客まで、あの男は己の糧にしてしまった。
そして今回。王都で『蛇の目』と恐れられるヴェルナーを送り込み、帳簿から魔石の流出経路、領主館の隅々、果ては鉱山に至るまで徹底的に洗わせた。
それでも——何ひとつ出なかった。
「……純魔石すら、見つからんというのか」
ローグへ渡したはずの、あの純魔石。
寝返ったのであれば当然、領主館の金庫にでも保管されていると考えた。
出所不明の莫大な資産——それさえ押さえれば、いくらでも追い詰められたはずだった。
ヴェルナーなら必ずや暴き出すと確信していたのに。
「…………」
何もない。追い詰めるたび、今度こそ終わると信じるたびに。
なぜか——。
「……発展している」
口をついて出た言葉に、背筋を冷たいものが走り抜ける。
ただ生き延びているのではない。
こちらが仕掛けるたび、ノルデンは以前より強固になって帰ってくる。
今や、王都の監査官を正面から突っぱねるだけの力をつけていた。
「……なぜ潰れない! なぜ……追い詰めるたびに大きくなるのだ……!」
声が震える。
ガルシアの手が、机の端にあったガラス製の記念盾を掴んだ。
財務卿就任の折に贈られた、自らの栄達と誇りを象徴する品。
「くそっ……!」
ガシャァン!!
激しい音を立てて砕け散ったガラスの破片が、床一面に広がる。
荒い呼吸だけが静まり返った部屋に響いていた。
やがてガルシアは膝を折り、落ちていた破片の一つを拾い上げた。
鋭利な断面が皮膚を裂き、赤が滲む。痛みなど感じていなかった。
カイルはまだ十七の若造だ。
それなのに、自分が爪を立てようとすればするほど、人を得、富を得、技術を得て、膨れ上がっていく。
放置すればどうなる?一年後、三年後、五年後——。
「…………」
生まれて初めてだった。
カイル・フォン・ヴァルハイトという青年に、底知れぬ恐怖を覚えたのは。
「……なんとかしなければ」
血の滲む拳を強く握りしめる。
「今度こそ……なんとか……」
そこで、ガルシアの視線が止まった。
床に散らばる破片の隙間、放り投げた拍子に開いた監査報告書の一ページ。
そこに記されていたのは、ノルデン領の歳入推移だった。
「…………」
吸い寄せられるように無言でそれを拾い上げる。
昨年度、今年度、そして直近の推計。
数字は、圧倒的な右肩上がりを描いていた。
「……収入が、増えた?」
農作物、パン、菓子。流動する商人、移住者、物流。
領地が潤い、経済が回る。
現地の人々の営みも活気も、この一枚の紙の上ではすべて「数字」という無機質なデータとして積み上がっていた。
「…………そうか」
指先の震えが止まる。
「そうか……そうだった」
ゆっくりと椅子へ身を沈めた。
胸を支配していた焦燥が、波が引くように消えていく。代わりに湧き上がってきたのは、薄暗い笑みだった。
「私は……何を焦っていたのだ」
違法な魔石の証拠など探す必要もなかった。
刺客が寝返ろうが、監査をすり抜けられようが、そんなことはどうでもいい。
ノルデンは発展した。ならば——。
「あるではないか」
報告書に整然と並ぶ数字を、指先でゆっくりとなぞる。
「手が」
暗殺などという、露見すれば己の身を滅ぼす拙策ではない。
王国の法と制度に則り、正面から堂々と振り下ろせる刃。
カイルが領地を豊かにすればするほど、その首を強く締め上げる仕組み。
「しかも……あの領地を合法的に潰す、正当な手段が」
ゆっくりと天井を仰ぐ。
「ふ、ははははは……!!」
割れた記念盾の破片が散らばる室内に、嘲笑が低く響き渡った。
デスクの上に残された監査報告書。
そこに刻まれた右肩上がりの数字だけが、静かに光を浴びていた。




