第46話 迫る『蛇の目』と、前夜の誓い
王都から領地監査官が到着する、前日の夜。
領主館の執務室で、僕は卓上の新聞記事を見つめていた。王都で発行されている行政広報紙のバックナンバーだ。そこには、今回派遣されてくる監査官の顔写真と経歴が載っていた。
「……ヴェルナー・フォン・クラウゼ。王都の財務局でも『蛇の目』って呼ばれてる切れ者らしいね。不正を見抜く察知能力が高く、過去に何人もの貴族の脱税や不正帳簿を暴いて失脚させている」
「そんな凄腕の方がいらっしゃるのですか……?」
隣にいたリーザが、不安そうに眉をひそめて僕の顔を見上げてきた。小さな手をギュッと握りしめている。
「大丈夫だよ、リーザ。僕たちは法を破って何か悪さをしているわけじゃない。ちゃんと説明すれば通るさ」
僕はポンポンと彼女の頭を撫で、不安を押し溶かすようにそっと肩を抱き寄せた。
「このノルデンも、みんなの暮らしも……僕が必ず、守り抜く」
「カイル様……っ」
うっとりと胸に顔を寄せるリーザ。
……と、その時。
「——コホン」
静かな室内で、わざとらしい咳払いが一つ響いた。
振り返ると、書類を抱えたセムラが、生暖かい目で見つめていた。
「お熱いところ大変恐縮ですが、カイル様。明日の監査に向けた最終確認の帳簿がまだ残っておりますぞ」
「うぐっ……わ、分かってるよセムラ! 今やるから!」
真っ赤になったリーザが慌てて離れ、僕も気まずそうに咳払いをした。
「セムラ、明日の監査だが……」
「はい。王都の『蛇の目』相手となれば、魔石の流通量や入手経路についてかなり鋭い追及が予想されますな。ヴァルハイト家からの援助や正規購入分だけでは、帳簿上の数字をすべて説明しきれない可能性もございますが……」
懸念を口にするセムラに対し、僕はしばらく帳簿を眺めてから、静かに閉じた。
「大丈夫。策はいくつか考えてある」
「……策、でございますか?」
「ああ」
僕は執務机の引き出しへ、ほんの一瞬だけ視線を向けた。
そこには、ノルデンへ着任して間もない頃に見つけた、古い羊皮紙が眠っている。
「相手が『蛇の目』なら、中途半端な誤魔化しは通用しないだろうね」
「では……」
「だから、誤魔化さない」
僕は新聞に載ったヴェルナーの顔へ視線を戻した。
「聞かれたことに、正直に答えるだけさ」
「…………」
セムラは何かを尋ねたそうな顔をしたが、やがて小さく息を吐いた。
「……カイル様がそうおっしゃると、なぜでしょう。余計に恐ろしく聞こえますな」
「失礼だなあ」
僕は苦笑しながら、次の帳簿を手に取った。
「頼むよ、セムラ。さあ、最後の帳簿チェックを終わらせよう」
窓の外を見やると、しとしとと夜の雨が降り始めていた。
(『蛇の目』ヴェルナー……どれほどの切れ者か、見極めさせてもらうよ)
静かな闘志を胸に秘めながら、僕は明日の決戦に向けて最後の資料へ手を伸ばしたのだった




