第5話 カイル、領民を雇う
翌朝。
領主館の前の広場には、呼び集められた数百人の領民たちが押し寄せていた。
しかし、その空気は冷え切っている。
集まった一同の目は、期待などではなく、あからさまな「疑心」と「諦め」に満ちていた。
「おいおい、新しい領主様ってのは、あの細っこい子供かよ」
「中央に見捨てられた落ちこぼれ貴族だろ? どうせ何もできやしねえさ……」
ひそひそと交わされる声を、僕は壇上で静かに受け止める。
(……僕は、この目を知っている)
金がなくなり、仕事がなくなり、明日の暮らしが見えなくなった人間の目だ。
前の人生でも、嫌というほど見てきた。
(僕のやることにかかっている。一歩間違えれば、この人たちは本当に全滅する……)
胸の奥で、ズシリと重いものが沈み込む。改めて思い知る、領主としての責任。
隣に立つリーザが、不安そうに僕の袖を小さく引いた。
僕はひとつ、深く深呼吸をして前に出る。
そして、右手をそっとかざした。
ぽこん。
小さな音とともに、僕の掌の上に、室内灯の比ではない凄まじい光輝を放つ魔石が収まった。毎日限界まで鍛え上げた、金貨百枚相当の「魔石」だ。
広場が、一瞬で水を打ったように静まり返る。
「な……ッ!?」
一人の老農夫が、目を見開いて叫んだ。
「その魔石の輝きは……! 嘘だろ、あんな純度の高い塊、見たことがねえ!」
沈黙は一転して、怒涛のような地鳴りのごとき歓声へと変わる。
「おい! あれがあれば、売れば大量の金貨になるぞ!」
「飢え死にしなくて済む! 冬を越せるぞ!!」
「領主様! 早くそれを街の商人に売って、俺たちに食べ物を分けてくれ!」
口々に叫び、壇上へすがりつこうとする領民たち。
飢えに追い詰められた人間の必死な形相だ。
(もちろん、これを十個も二十個も市場へ流すつもりはない。必要な資金を計算し、その分だけ慎重に換金する)
僕は首を左右に振った。
「落ち着いて聞いてほしい。僕は、この高品質な魔石を一日十個生み出すことができる。……だが、これを売って皆さんにそのまま配るつもりはない」
その言葉に、歓喜していた領民たちの顔が凍りついた。
「……なぁっ!?」
「なら——なんのためにそんな能力を見せびらかしたんだ!?」
「結局、貴族様は俺たちを見捨てるのか!?」
「見捨てるわけがないだろう」
僕は言葉を続けた。
「この魔石の価値を裏付けにして、あなたたちを『雇いたい』んだよ」
「や、雇う……?」
領民たちが呆然とオウム返しにする。
「そうだ、やってもらいたい仕事があるからね。前の領主さんが残した水路の計画書がある。これを使って水路を直す。そして、僕の指示するやり方で、この土地に『ルージュ豆』を植えて農地を整備してほしいんだ」
(金を配るだけでは、一時しのぎにしかならない。仕事を作り、給料として金を回す。そうして初めて、この土地の経済は自分の足で立ち上がる)
しかし、飢えと凶作に怯え続けてきた農民たちから、すぐに不安の声が上がる。
「ル、ルージュ豆だって……!? あんなの植えたって、もし失敗したらどうするんだ!」
「そうだ! 今年もまた凶作になったら、俺たちは本当に全滅だぞ!」
「失敗するかもしれない。だから、今年のすべてを賭けろとは言わない。まず一部の畑で試すんだ」
「ふざけんなッ!!!!」
一人の屈強な男が壇上に駆け上がり、僕の胸ぐらを強引につかみ上げた。
「カイル様!?」
リーザが悲鳴を上げる。周囲の兵士が慌てて槍を構えようとするのを、僕は手で制した。
「兵を下げてくれ」
「しかしカイル様!」
「大丈夫だから」
男は血走った目で、僕を睨みつけている。胸ぐらを掴む拳が、怒りと恐怖で小刻みに震えていた。
「お前みたいな、温室育ちの子供に何が……何がわかるってんだ……! 俺たちはな、一回の失敗で家族が死ぬんだよ! 綺麗事で腹が膨れるかよ!」
男の荒い息づかいが届く。
僕は男の震えている拳を見つめた。
「そうか」
「何が分かる!」
「……分かっていなかったよ」
「……あ?」
男の勢いが、一瞬削がれた。僕は男の目を見つめて、静かに言葉を重ねた。
「僕にとっては『試してみる』だった。でも君たちにとっては、違ったんだな」
「当たり前だ! 失敗したら死ぬんだぞ!」
「だからこそ、僕が損失を負う」
「……何?」
「君たちに失敗の代償まで背負わせて、新しいことをやれなんて言えない」
「…………」
「僕を信じなくていい。疑ったままでいいさ」
僕は男の手を、ゆっくり胸元から外した。
「まずは一枚の畑からだ。結果を見てから決めてくれ」




