第39話 大きくなりすぎた車輪
結婚式が無事に終わり、ノルデンの日常が戻ってきた。
……いや、「戻ってきた」という表現は少し違うかもしれない。
式を境に、街の活気は以前にも増して凄まじいことになっていた。
僕とリーザの祝宴で振る舞ったあんパンをはじめ、ルージュクッキーや各種スティックパンの売れ行きが完全に爆発したのだ。
ハンスさんの工房もシュルツさんの窯も連日フル稼働。街のどこを歩いても焼き立ての香ばしい匂いが漂っているのは領主として鼻が高いけれど、思わぬところで「歪み」が生じ始めていた。
「おや、あれは……」
領内を見回りしていた僕は、中央通りの坂道の手前で足を止めた。
目の前で、巨大な荷箱を載せた二輪の荷車を必死の形相で引いている少年がいた。
レインだ。
荷台には山積みにされた木箱。中にはぎっしりとあんパンやクッキー、スティックパンが詰め込まれており、どう見ても一人が一度に運んでいい重量を超えている。車軸が悲鳴を上げ、レインの細い腕と脚ががくがくと震えていた。
「レイン!」
慌てて駆け寄り、荷台の後ろに手をかけて持ち上げるのを手伝う。
「ふ、ふぬぬっ……あ、カイル様!? す、すみません……っ!」
「謝らなくていいから、一旦横に寄せよう。ほら、せーの!」
二人でなんとか坂の脇の平坦な場所に荷車を押し寄せた。レインはその場にへたり込み、肩で激しく息をついている。額からは滝のような汗が流れていた。
「大丈夫か、レイン。いくらなんでも積みすぎじゃないか?」
「はぁ、はぁ……申し訳、ありません……。でも、今日中に届けないと……」
申し訳なさそうに縮こまるレインの掌を見ると、手マメが潰れて痛々しく赤くなっていた。
「前に荷台の軸を修理して、車輪も改良しただろう? だいぶ運びやすくなったって喜んでくれていたじゃないか」
「はい! あの修理のおかげで、前よりずっと軽くなって……! だから最初は、すごく助かっていたんです」
レインは手ぬぐいで汗を拭いながら、困ったように眉を下げた。
「でも……パンやクッキーが評判になればなるほど、お店や街の人から『ウチの店にも置いてほしい』とか『職人たちの休憩用にスティックパンも追加で載せてくれ』って要望が増えちゃって……」
(需要に配達が追いつかなくなってきたのか……)
「ったく、心配して追いかけてきてよかったぜ……! 無理なら断ればいいのに、レインは断れないからなぁ」
いつの間にか追いついてきたシュルツさんが、腕を組みながら溜め息をついた。
「そうか……平地ならともなく、あの坂をこの重さで登るのは、いくら車輪が軽くなっても体力の限界だった。…!」
「すみません、シュルツさん。僕がもっと体力をつければ……」
「お前の努力不足じゃねえよ! 完全に仕組みの容量オーバーだ」
シュルツさんの怒鳴り声に混ざった言葉は、まさに真理だった。
街が広がり、産業が育ち、需要が増えた。
僕たちが必死に回してきた「ノルデン」という車輪は、いつの間にか想像以上に大きくなっていたのだ。
けれど——大きくなりすぎた車輪を、いつまでも一人の青年と体調に頼って回し続けられるはずがない。
「よし、任せておけレイン」
僕はバッと胸を叩いた。
「一度に運ぶ量が足りないなら、荷車を大型化して車輪も大きくすればいい! 前世——ゴホン、僕のアイディアで特大の物流用リアカーを作ろう!」
◇
数日後。
「できたぞ! 名付けて『ノルデン特大物流号』だ!」
かつてレインの荷車の車軸を直してくれた、クロウ氏の工房の前で、僕は胸を張って完成品をお披露目した。
クロウ氏と弟子たちに頼み込んで作ってもらったのは、従来のふた回り以上大きく作られた荷台、太く頑丈に鍛造された鉄の車軸、そして大人が見上げるほど巨大化させた特大の木製車輪だ。
「わあ! これなら一回で三倍は運べるぞ!」
レインも目を輝かせ、手伝いに来ていたハンスさんも「カイル様の設計は相変わらず見事だ」と感心している。
さっそく山盛りのあんパンとクッキーを積み込み、いざ出撃だ。平地を引いて走る分には、大きな車輪が回転力を生んで滑らかに進む。
「すごい! 軽いです、カイル様!」
「ふふん、だろう? これぞ『スケールメリット』というやつさ!」
ドヤ顔で並走する僕。
そして——僕たちは、例の中央通りの上り坂へと差し掛かった。
「……よしっ! いきます……ぬ、ぬおおおおっ!?」
ガツン、と坂の起点で荷車が止まった。
レインが顔を真っ赤にして引くが、一ミリも動かない。僕も慌てて後ろから押すが、ビクともしない。それどころか、あまりの重さにずるずると後ろへ下がり始めた。
「うわあああ降りてくる降りてくる!? 誰か止めてえええっ!!」
「カイル様ぁぁぁっ!?」
一緒に着いてきたリーザが間一髪で荷台を抑え、大惨事は免れた。
ぜぇぜぇと肩で息をする僕とレイン。
坂の途中で虚しく立ち尽くす、無駄に巨大な『特大物流号』。
「…………」
「カイル様……?」
申し訳なさそうに見つめてくるリーザとレインの視線が痛い。
様子を見に来ていたシュルツさんが、呆れ果てた顔で頭を振った。
「……そりゃあ坊ちゃん。荷台をデカくしてパンを三倍積んだら、車体自体の重さも合わせて四倍以上になるんだから、坂を登れるわけねえだろ」
「う……うむ。理屈では……まったくもってその通りだ……」
前世の知識に頼り、「運ぶ量を増やす=荷台を大きくする」という単純な足し算しか頭になかった。
ノルデンには「坂」があるという現地条件を完全に失念していたのだ。
単に一台をデカくすれば解決するわけじゃない。
動力を変えるか?
途中に中継地点を作るか?
配送ルートそのものをグループ分けするか?
そもそも、毎回工房から各店舗へ個別に運ぶ必要があるのか——?
巨大すぎた車輪の脇で地べたに座り込んだ僕は、自分の甘さを反省しながら、本格的な「物流網」の再構築に向けて本気で頭を回転させ始めたのだった。




