第38話 晴れ姿とあんぱん
結婚式当日。
風が心地よく吹き抜けるノルデンの街は、朝からすっかりお祭り騒ぎだった。
ごく小さな式をひっそりと挙げるつもりだった僕の目論見は、見事に吹き飛んでいた。
「カイル様、ご結婚おめでとうございます!」
「リーザ様、綺麗ですよー!」
「領主様ー! 幸せになれよー!」
「なぜ僕の方だけ酒場みたいな声援なんだ!?」
中央広場から領主館へ続く道には瑞々しい花々が飾られ、あちこちから人々の賑やかな声援と笑い声が上がる。
久しぶりに顔を出した僕の父上は「よくやった」と短く肩を叩いてくれ、母上に至っては「あなた……ちゃんと食べていたの!?」と涙目で僕の頬をつねってきた。
そんな温かな騒がしさの中で、式の時間が近づいてくる。
僕は何度も街道の方へ視線を遣っていた。
(……来ないか。やはり難しかったか)
返事はなかった。無理もない。リーザは家を飛び出してきたのだし、王都からノルデンまではあまりにも遠い。
「カイル様」
背後から声をかけられ、振り返る。
「…………!」
一瞬、思考が止まった。
純白のドレス。綺麗にまとめられた銀色の髪には、小さな白い花。ほんのりと薄化粧を施した彼女は、いつも泥だらけになって笑っているリーザとはまるで別人のように艶やかだった。
ゆっくりと近づいてくる。ふわりと、甘く爽やかな香りが鼻腔をくすぐった。
「これは、……シェリーヌの香り……?」
「はい、ノルデンでは花嫁の香油につかうそうです」
「うん、いい香りだ。それに……」
僕はまっすぐ彼女を見つめた。
「きれいだ……」
「っ……! そ、そういうことを、そんな真っ直ぐ言わないでくださいませ……!」
リーザの頬がみるみる真っ赤になる。
「見たままを言っただけじゃないか」
「そうですけれど!」
照れ隠しに唇を尖らせるリーザ。けれど——その瞳がチラリと誰もいない街道へ向いた。ほんの一瞬だけ混ざった切なさを、僕は見逃さなかった。
「さあ、カイル様。参りましょう」
「ああ」
その時だった。
「——待ってくれぇぇぇっ!!」
割れんばかりの大声とともに、猛烈な音を立てて一台の馬車が突っ込んできた。
車輪は泥だらけ、馬は虫の息。中から飛び出してきたのは、泥跳ねだらけの立派な礼服を着た、銀髪の男だった。
「はぁ……はぁ……! なんとか、間に合ったか……!」
「お……お父様……!?」
続いて降りてきたお母様が「もう! この子は!」とドレス姿のリーザに抱きつき、後ろからはお兄さんたちまでぞろぞろと降りてくる。
「兄様たちまで……!」
「当たり前だろ。一人しかいない妹の結婚式だぞ?」
涙をぽろぽろとこぼすリーザ。信じられないといった様子で立ち尽くしていたが、ふとリーザの父上の視線が僕に向いていることに気づき、ハッとこちらを振り向いた。
「……カイル様? まさか……」
「……さて、なんのことかな」
「カイル様っ!」
速攻でバレた。
◇
式が始まる直前。
「カイル君」
リーザの父上に人気のない場所へ呼び出された。腕を組み、じっと僕を睨みつけてくる。普段の三割増しくらい威圧感があって正直かなり怖い。
「お前に娘はやらん!」
「…………」
……はい?
「お父様ぁぁぁぁっ!?」
リーザが飛び出してきた。
「なぜですの!? わたくし、もうドレスまで着ていますのよ!? わざわざノルデンまで来て!?」
「す、すまん! いや、その……一度、言ってみたかったんだ……」
「お父様!!」
「ふっ……ははっ……!」
耐えきれずに吹き出すと、リーザの父上はバツが悪そうに顔を背けた。
僕は笑いを収めると背筋を伸ばし、まっすぐ頭を下げた。
「リーザさんを、僕にください。……必ず幸せにします」
言いきってから、僕は少し考えた。
「いや——違いますね」
「ん?」
リーザの父上が怪訝そうに眉をひそめる。僕は自分の中で言葉を確かめるように紡いだ。
「僕も、彼女に何度も助けてもらいました。この土地で僕がやってこられたのは、隣にリーザがいてくれたからです。だから、僕が一方的に幸せにするんじゃない。これからもリーザと一緒に、幸せになっていきたいんです」
静かな時間が流れる。
リーザの父上は僕をじっと見つめ、それから泣き笑いのような顔をしているリーザを見た。
「……その顔をするようになったか。縁談を断られるたび、自分の力を責めて部屋で泣いていたあの子が……」
リーザの父上は深く息を吐き出すと、和らいだ目で僕を見た。
「カイル君。君はこの一年で、もうとっくにリーザを幸せにしているじゃないか」
◇
鐘の音が鳴り響き、新緑の葉を揺らす風とともに、舞い散る花びらの中で大勢の人々に祝福された。
宴が最高潮を迎え、陽が傾き始めた頃。リーザが父上へ小さな皿を差し出した。
そこに載っているのは、ほのかに桃色の花びらが添えられた、ツヤツヤと焼き上がった小さなパンだ。
「お父様、これ食べてみてくださいませ」
「ん……? パンか?」
「はい。シェリーヌのあんパンです。カイル様が、この土地で作ったものですわ」
「正確には僕だけじゃないよ。豆やシェリーヌを育てた農家も、ハンスさんもシュルツさんも、みんなで作ったパンだ」
「相変わらずだな、君は」
リーザの父上は苦笑しながらパンを手に取った。
ふわりと漂うのは、先ほど抱きしめた娘の髪から香ったのと同じ、甘く清々しいシェリーヌの香り。
リーザの父上はそれを一口、かじった。
「ふむ………」
白餡の上品な甘さと、丁寧に塩漬けされたシェリーヌの花びらの絶妙な塩気が、口いっぱいに広がる。
咀嚼する手が、ぴたりと止まった。
「……お父様?」
ぽつりと、一滴の涙がリーザの父上の頬を伝う。慌てて顔を背ける姿が見えた。
「……甘じょっぱいな」
「え?」
「くそっ……これはパンが悪い」
リーザの目からも、ボロボロと温かな涙が溢れ出した。
「お父様」
「泣いてないぞ」
「何も言っておりませんわ」
愛おしそうに笑うリーザの手を、僕はぎゅっと握り返した。
「リーザ、幸せか?」
「——はい! とっても!」
迷いのない、誇らしげな答え。
噛み締めながら、リーザの父上は何度も深く頷いていた。
窓の外には、新緑の風が吹き抜けるノルデンの街並みが広がっている。
何もないと言われた場所から立ち上がったこの街で、僕たちはこれからもずっと、共に歩んでいく。




