第34話 知識の価値と、市場の真実
「本日の『こしあんパン』、完売です!」
ハンスさんの威勢の良い声が、午後の心地よい陽気が漂う商店街に響き渡った。
「ええっ、もう売り切れかい!?」
「昨日も買えなかったんだよ! ハンスさん、明日はもっと焼いておくれよ!」
店頭に集まった客たちから、口々に惜しむような声が上がる。
かつて「皮が歯に挟まる」「ボソボソして食べにくい」とあんパンを敬遠していたお年寄りや子どもたちが、今や目の色を変えてこの新しいパンを買い求めていた。
一口食べれば、舌の上に一切の引っかかりがない。
なめらかな漉しあんが、香ばしく柔らかい生地と溶け合い、絶妙な甘みが口いっぱいに広がるのだ。口コミは瞬く間に広がり、限定十個から少しずつ増やした試作品は、連日開店と同時に飛ぶように売れていった。
「……大好評、だね」
売り切れの看板を店先に出しながら、ハンスさんが汗を拭って笑う。
「ああ。皮が嫌だと買わなかった客が、今じゃ一番の常連だ。カイル様、あんたの言う通りだったよ」
「ふふ、需要は最初からそこにあったんですよ。……だけど、ハンスさん」
僕はハンスさんの少しやつれた顔を見つめた。
「手作業での漉しあんは、もう限界でしょう?」
「……まあな。シュルツに教わった通り、水に晒して布で絞る作業を毎朝手作業でやってるが、腕がパンパンだ。これ以上数を増やそうとしたら、俺もシュルツも仕込みだけで日が暮れちまう」
「ええ。だからこそ——次の段階に進みましょう」
◇
その日の午後、僕は職人街の作業場に、鍛冶職人と木工職人を集めていた。
机の上に並べたのは、僕の【魔石生成】で作った小さな魔石と、簡単な概念図だ。
「つまり領主様は、豆を人の手で押し潰して漉す工程を、機械にやらせたい……と?」
腕を組み、図面を覗き込んだ鍛冶職人が眉をひそめた。
「そうです。豆をすり潰す部分と、水分を絞る部分」
「魔石の力を回転運動に変えること自体は、粉挽き機でも使われてますからできます。だが……ただ回すだけじゃ豆はこせませんぜ? 押し潰すとなると、強い圧力がいる」
「どうしたものか……」と頭を抱える鍛冶職人。
そこへ、横で黙ってキセルをくゆらせていた老木工職人が、ポンと机を叩いた。
「ねじだ」
「ねじ……?」
「回転を押す力に変えりゃいいんだよ。縦に切った木製の大ねじを魔石の回転力で回して、上から網目に向かって一気に押し付ける。水分を絞るのも、螺子式のプレスなら人の手より均一に力が入るはずだ」
「おお……! なるほど! ねじか!」
鍛冶職人の目が輝いた。
「なら、その螺子受けて滑らかに動かす金具は俺のところで打てる! 網目の強度も、鋼線を編み込めば耐えられるはずだ!」
「よし、寸法を測るぞ! ハンスの工房の裏手に置けるサイズにしねえとな!」
僕が細かな構造を教える必要なんてなかった。
僕が投げかけた『課題』とに対して、現場のプロである職人たちが自らの知恵を出し合い、次々と具体的な形を組み上げていく。
(……これだ)
活気立つ作業場を見つめながら、胸の奥が熱くなる。
僕一人の頭の中にない答えを、街の人間たちが生み出していく。
◇
数日後。
試作と改良を重ね、ついに『魔石駆動式・製餡機』の第一号が完成した。
ハンスさんの工房の裏手に設置された機械は、コトコトと心地よい音を立てて動いた。
上部から蒸し豆を投入すると、木製の大螺子が回転して強力な圧力をかけ、網目の下から滑らかな豆のペーストが押し出されていく。
これまで大人二人で一朝かかっていた作業が、わずか十五分ほどで終わってしまった。
「す、凄え……! これなら、今までの十倍以上のあんが作れるぞ……!」
ハンスさんが大声を上げた。
「これなら量産できます! ……それと、シュルツさん」
僕は懐から、ずっしりと重みのある革袋を取り出し、シュルツさんの手に握らせた。
「え……カイル様、これは?」
「約束していた技術使用料と、製餡機の考案料です。今後もこの機械で作ったあんこを使うたび、一定の対価をお支払いする契約を交わしましょう」
「な……!? か、カイル様、そんな……! ワシはただ、製法を教えただけで……」
「知識や技術には、正当な価値があるんです。シュルツさんの知恵があったからこそ、この機械も新しいパンも生まれた。ノルデンでは、技術を差し出した人が決して損をしない仕組みを作りたいんです」
シュルツさんは革袋を抱きしめ、目頭を熱くして深くお辞儀をした。
(知識に正当な対価を払う。……この評判が広まれば、いずれ各地から腕のある技術者がこの街に集まってくるはずだ)
◇
製餡機の導入によって『こしあんパン』の大量製造が始まり、ハンスさんの店には毎日長蛇の列ができた。
だが——それから二週間が過ぎた頃。
執務室で売上帳簿をチェックしていた僕は、二つの折れ線グラフを見比べ、そっとペンを置いた。
「カイル様、顔色が冴えませんな? こしあんパンの売上は素晴らしい数字ですが……」
心配そうに覗き込んでくるセムラに、僕は帳簿を指し示した。
「セムラ。こしあんパンの売上が急上昇している一方で……元々売っていた『粒あんパン』の売上が落ちているんだ」
「あ……。つまり、新商品に客を取られてしまった、と? それはまずいのでは……!」
「いや、売上合計自体は大幅に増えている。新規の客も増えた。……だからこそ、面白いんだよ」
「面白……い、ですか?」
「ああ。こしあんパンが売れた。それ自体は成功だ。問題は——この数字が何を意味しているかだよ」
僕は身を乗り出した。
「ただ既存の客が『珍しいからこしあんに乗り換えただけ』なのか? それとも、粒あんを好きだった層が離れてしまったのか? ……それによって、次に打つべき手はまったく変わってくる」
「……! 顧客の……動きを分析する、と?」
「そうさ。同じ『あんパン』としてただ並べて競わせるから、お互いに客を奪い合ってしまうんだ。もしも、粒あんを好む客と、こしあんを好む客の求めるものが違うなら……商品を適切に分ける必要がある」
例えば、安くてずっしりとして食べ応えのある粒あんは、若者や現場で働く労働者に。
上品でなめらか、少し価格を高く設定したこしあんは、お年寄りや子ども、あるいは贈答や茶菓子用に。
ただ作って売るだけじゃない。
客が何を求めて買っているのかを知り、市場を切り分けていく。
「セムラ」
「は、ははっ!」
「調べよう。粒あんを買う人、こしあんを買う人。それぞれがどんな人で、何を求めているのか。……ハンスさんの店で、明日から顧客調査を始めるよ」
「……かしこまりました! すぐに手配いたしますぞ!」
商品を作れば売れる。
そんな単純な話ではないらしい。
だが、だからこそ——商売は面白い。
僕はフッと不敵に微笑むと、新しい羊皮紙へ向かってペンを走らせ始めた。




