第32話 技術という財産
「お願いがあります。貴方の技術を、僕に教えていただきたいんです」
活気あふれるノルデンの商店街。その一角にある大衆食堂の店先で、シュルツさんは目を見開き、僕——カイルの顔を二度見した。
「え!? ……り、領主様!? いや、それは……」
申し訳なさそうに困惑するシュルツさん。その反応だけで察した。
(当然だ。これはこの人の財産だ)
『ツヴィック』の製法は、料理人として何年も試行錯誤して身につけた技術なのだろう。領主だからといって、ただで差し出せと言っていいものではない。
「もちろん、ただでとは言いません。技術料を支払います。それから、この製法を僕の許可なく他店へ教えることもしない」
「い、いえ、金の問題というより……」
「それでもです。技術には、それを身につけるまでに費やした時間があります。そこに値段をつけないのは、僕は嫌なんです」
土地だけではない。魔石だけではない。人間だけではない。
職人が長年かけて積み重ねてきた『時間』や『技術』という目に見えないものにも、絶対に価値はある。それを取り上げるような真似はしたくなかった。
シュルツさんはなおも躊躇うように腕を組む。
それでも駄目なら——。
「——お願いします!」
バッ! と、僕はその場で深く頭を下げた。
「や、やめてください! こんな人の往来で……っ!?」
通りかかる領民たちが「なんだなんだ?」「領主様が頭を下げてるぞ!?」と驚き、ジロジロとこちらを見ている。
僕にとって、前世も含めてプライドなどというちっぽけなものは何の意味もなさない。欲しい技術があり、救いたい人がいるのなら、頭などいくらでも下げる。
「……はあぁぁぁ。わかりました、負けましたよ。頭を上げてください、カイル様」
シュルツさんは降参だとばかりに大きなため息をつき、苦笑いを浮かべた。
「入りなさい。厨房で教えます」
「ありがとうございます……!」
◇
静かな熱気に満ちた厨房。
シュルツさんは手際よく蒸したルージュ豆を網に乗せ、木ヘラでグッと押し潰していった。
「まず、こうして網を通して皮を取り除きます」
網の下へ、どろりとした赤紫色の液体が落ちていく。
「これで終わりじゃありません。水を加えて、しばらく待つんです」
「待つ?」
「ええ。すると細かな豆の中身が底へ沈みます。上の濁った水を捨て、また水を加える。それを何度か繰り返して——最後に布で絞る」
「なるほど……! 漉して、沈めて、余計な水を捨てるのか」
僕は目を輝かせ、シュルツさんの手元を食い入るように観察した。
木ヘラが豆を押す、ザクッ、ザクッという規則的な音が厨房に響く。
作業の手を止めないまま、シュルツさんはぽつりと呟いた。
「前の街じゃ、三度泥棒に入られましてね」
「……え?」
「最後に入られた夜、包丁まで持っていかれたんです」
「……包丁を?」
「ええ。二十年使った、俺の商売道具です。それで、もういいかなって」
ヘラが、ザク、と豆を押した。
「料理人をやめようと思いました」
「……」
「でもノルデンへ来たら、夜まで店を開けていても怖くない。客が飯を食って笑って帰っていく。……また料理人をやってもいいかなと思えたんです」
シュルツさんは手を動かしたまま、僕へ温かい視線を向けた。
「だから、今度は俺がこの街に返す番ですよ。技術料なんていりません」
「いや、それでは困る。それでは僕が納得いかない」
「頑固ですねえ、カイル様も。……なら、この技術で儲かった分から、正式に使用料として払わせてください。それなら文句はないでしょう?」
「……分かりました。それで契約しましょう」
シュルツさんは笑って、完成したなめらかな赤紫色のペースト——『こしあん』を、小さな壺に詰めて渡してくれた。
(だが……これをハンスさんの工房で大量にやるとなると、手作業じゃ追いつかないな……)
一瞬、思考が未来の課題を弾き出したが、今はまずハンスさんにこの技術を見せることが先決だ。
「感謝します、シュルツさん!」
◇
夕暮れの風を切って、僕はハンスさんの工房へ走った。
頭の中では、さっき見た工程を何度も繰り返している。
漉す、沈める、水を捨てる、絞る。
(これなら——作れる!)
子どもも、お年寄りも、皮を気にせず食べられる新しいあんぱんを。
「待ってろよ、ハンスさん!」




