番外編 春の夜空に咲く石
「ありがとうございました!」
焼き立てのあんぱんを包み、旅人へ手渡す。
その隣では、ハンスさんがクッキーを袋へ詰めていた。
春の訪れを感じさせる、少し暖かな昼下がり。
今日も僕は領主としての仕事の合間を縫って、パン屋の店頭に立っていた。
「カイル様。こちらは我々だけでも大丈夫ですぞ?」
「いいんだよ。僕がいたくているんだから」
以前の僕なら、商品が売れ始めれば、あとはハンスさんたちに任せていたかもしれない。
けれど、あんぱんを最初に売り出したときの失敗で、嫌というほど思い知った。
やっぱり、現場に立たなければ分からないことがある。
「あんぱん、一つおくれ!」
「はい!」
ぽつり、ぽつりと、あんぱんやクッキーが売れていく。
大行列ができるわけじゃない。飛ぶように売れるわけでもない。
それでも、以前は見向きもされなかったあんぱんを、今では当たり前のように銅貨と交換して持ち帰ってくれる人がいる。
その光景を見るたび、胸の奥がじんわりと温かくなった。
(……ちゃんと、根づき始めてるんだな)
そんなことを考えていたときだった。
「春か……」
一人の旅人が、あんぱんとクッキーの入った袋を受け取りながら、ふとノルデンの街並みを眺めた。
「そういえば——今年は春祭りはやらないのかい?」
その問いに、ハンスさんが申し訳なさそうに苦笑いを浮かべる。
「ああ……すみませんね。うちの街では、もう何年もやっていないんですよ」
「そうか……。私がこの街に来たのは、もう随分と昔だからね……」
旅人はどこか惜しむように目を細め、遠い目をした。
「広場に屋台が並んで、にぎやかで良い祭りだったんだが……。また参加してみたいものだね」
買い終えた袋を手に、旅人は名残惜しそうに宿場の方へと去っていった。
「……祭り、ですか」
その背中を見送っていた僕は、ぽつりと呟いた。
(外から来た旅人が、思い出して語ってくれるくらいの祭り……か)
僕はそのまま領主館へ戻ると、執務室に控えていたセムラに向き直った。
「春祭り、ですか……」
セムラは懐かしそうに目を細めた。
「昔は雪解けの頃になると、広場へ屋台が並びましてな。冬を越せたことを祝い、春の訪れを皆で喜んだものです」
「へえ。そんな祭りがあったのか」
「ええ。ですが……ここ数年は」
そこで、セムラの声が沈んだ。
「行われておりません」
「どうして?」
「……祭りどころでは、ありませんでしたからな」
その一言で十分だった。
凶作。不況。人口流出。
明日の食事すら心配しなければならない人々に、祭りを楽しむ余裕などあるはずもない。
「なるほど……」
僕は腕を組んだ。
書類の数字を追いかけるだけでは、決してみえてこない日常の陰影。
しばらく考えてから、顔を上げる。
「なら——やろう」
「……はい?」
「今年は春祭りをやろう」
「カ、カイル様!?」
セムラが慌てた。
「お待ちください。確かに領内は以前より持ち直しております。ですが、まだ再建の途中ですぞ。『祭りなどに金を使うくらいなら』と反発する者も——」
「いるだろうね。まだ早い、贅沢なんてするべきじゃない。そう思う人もいるだろう」
僕はあっさり頷き、窓の外へ目を向けた。
夕暮れの中、仕事を終えた人々が暖かな家路についていた。
「でもね、セムラ。この街の人たちは、ずっと生きるだけで精いっぱいだったんだろう? 畑を耕して、寒い冬を越して、仕事がなくても家族を食わせて。それでも、この土地を捨てずに残ってくれた。一日くらい、僕がみんなをねぎらったっていいじゃないか」
「カイル様……」
「それにね、セムラ。全部を領費で賄う必要もないんだ」
「……と申しますと?」
「屋台を出してもらおう。食堂、パン屋、農家、職人。祭りの日に商売をしてもらうんだ。僕らが用意するのは場所と最低限の設備だけでいい」
「祭りで……商売を?」
「そう。金を燃やすだけの祭りじゃない。街の中で金が動く祭りにするんだよ。人が集まれば物が売れる。商人が潤えば、街に活気が戻る。うまくいけば、さっきの旅人みたいに外から人がやってくる観光資源にだってなる」
セムラは目を見開いた。ただの娯楽や浪費ではなく、経済を巡らせるための『投資』としての祭り。
「領費だけで足りない分は、僕個人から出す。ただし豪華にする必要はないよ。昔の春祭りがどんなものだったのか、まず調べよう。僕はこの土地の祭りには詳しくないからね。セムラ、昔を知っている人たちにも話を聞いておいてくれるかい?」
セムラはしばらく僕を見つめていたが、やがて深く頭を下げた。
「——了解、しましたぞ」
◇
それから数日後。
ノルデン警備隊の発足から一ヶ月が過ぎ、街の警備体制も落ち着いてきた頃のことだった。
「おい、カイル」
「ん? どうしたんだい? ローグ」
警備隊の詰所で、ローグが神妙な面持ちで僕を呼び止めた。
「やるよ、これ」
そう言って、ローグは懐から小さな木箱を取り出した。
蓋を開く。中に収められていたのは、濁りひとつない一粒の魔石だった。
「これは……」
思わず息を呑む。
僕が【魔石生成】で作る魔石よりも、明らかに純度が高い。
「ローグ。これをどこで?」
「……お前を殺すよう依頼してきた奴から、報酬としてもらった」
「報酬?」
「ああ。換金すれば、一生遊んで暮らせるだけの金になるって話だった」
ローグは忌々しそうに舌打ちした。
「だが、ここへ来てから換金所で聞いた。こんな高純度の魔石は、そこらの店じゃ扱えねえらしいな」
「うん。これだけのものになるとね」
僕は魔石を光へ透かした。内部に刻まれた、ごく小さな文字列が見える。
「……しかも、管理番号が入ってる」
「管理番号?」
「おそらく国か、それに準ずる機関が管理していた魔石だ。まともな換金所へ持ち込めば、まず入手経路を聞かれる」
「…………」
ローグの眉間に深い皺が寄った。
「じゃあ……最初から、まともに使える報酬じゃなかったってことか?」
「少なくとも、君みたいに身元を明かせない人間へ渡す報酬としては、ずいぶん意地が悪いね」
「……チッ」
ローグが力任せに拳を握りしめる。
使われたのだ。
少なくとも、ローグにはそう思えた。
命を懸けて仕事をさせておきながら、まともに換金することすら難しい品を報酬として渡されたのだから。
「……だからよ」
ローグが吐き捨てるように言った。
「どうせ金にならねえなら、何かに使っちまえ。見てるだけで腹が立つ」
「…………」
僕はもう一度、掌の魔石を見る。
高純度。通常の魔導具には出力が高すぎる。
換金しようにも、出所を追われる。
だが——。
(待てよ)
頭の中に、セムラから聞いたある話が浮かんだ。
かつてノルデンの鉱山開拓で使われていたという、旧式の大型魔導具。
瞬間的に大量の魔力を放出して岩盤を打ち砕く——《魔導投射筒》。
「……ローグ」
「なんだ?」
「その魔石」
僕はニッと笑った。
「とびっきり派手に使ってみないか?」
もちろん、鉱山用の強力な魔導具をそのまま街中でぶっ放すほど僕も無謀ではない。
数日後、以前雇い入れた旧火守り職人——あの窯
の焼成技術者たちのもとへ足を運んだ。彼らは昔、
祭りの仕掛け花火の設営も手がけていたという。
彼らと共に街から離れた採掘場で何度も試射を重ね、岩盤へ叩きつける破砕の力を、上空で安全に拡散させるよう術式を組み替えてもらったのだ。
「これならいける。夜空を彩る、最高の仕掛け花火だ」
◇
そして、春祭りの当日。
広場にはいくつもの屋台が並び、香ばしい肉の焼ける匂いや、ハンスさんの焼いた焼き立てクッキーの甘い香りが漂っていた。
「おい、ローグ! 警備ごくろうさん! 一杯飲んでいけよ!」
かつて仕事を失って死んだ目をしていた男が、ジョッキを片手に大笑いしている。
「おいおい、勤務中に飲ませるなよ」
呆れ顔で笑う警備隊の仲間たち。
その中で、新しい制服を着たローグは、どこか居心地悪そうに広場を見渡していた。
「……こんなものに、金をかけてどうする」
ぽつりと呟くローグ。
彼にとって、金とは母親の薬であり、幼い弟妹の食事であり、今日一日を生き延びるための殺伐とした道具でしかなかったからだ。
だが、視線の先では子供たちが笑顔で走り回り、ギヤミルクの老店主が珍しそうに屋台を覗き込み、セムラが「何年ぶりでしょうな……」と目頭を熱くして涙を拭っている。
ほんのひと月前まで、この街を、カイルを殺すために忍び込んだ自分が、いまやその笑顔を守る側としてここに立っている。
「……ハッ。狂ってやがる」
ローグは短く鼻で笑ったが、その表情から刺々し
さは完全に消えていた。
やがて陽が沈み、ノルデンの夜空が深い群青に染まった時。
ドォン——……ッ!!
重厚な光の柱が打ち上がり、上空数千メートルの高空で弾けた。
あまりにも高純度な魔力の粒子が、ノルデンの夜空いっぱいに光の輪を咲かせる。
「「おおおおおっ……!!」」
広場に集まった領民たちの歓声と拍手が街中に爆発した。
(……あいつ、本当に使いやがった)
一生遊んで暮らせるほどの価値がある。
そう言われて渡された石だった。
だが実際には換金することすらできず、見るたびに腹が立った。
自分が何も知らないことを、嘲笑われているような気さえした。
その石が今——。
「父ちゃん、見て! すっげえ!」
「ああ……綺麗だな」
子供の弾んだ声が聞こえる。
隣では、老夫婦が寄り添って空を見上げていた。
セムラはまた目頭を押さえている。
ハンスは店先から出てきて、粉まみれの手を叩いて笑っていた。
「…………」
ローグは何も言わず、もう一度空を見上げた。
ドォン——!
二発目の光が咲く。
赤。青。金。
自分を人殺しにするために渡された報酬が、次々と夜空へ消えていく。
なのに——。
不思議と、惜しいとは思わなかった。
「……ハッ」
ローグの口元が、わずかに緩んだ。
(ざまあみろ)
誰に向けた言葉なのか、自分でもよく分からない。ガルシアか。こんな石に人生を賭けた自分自身か。
あるいは——その両方か。
「ローグさん!」
振り返る。
「あっち、人が多くなってます! 警備お願いします!」
「……分かった。今行く」
帽子の庇を下げる。
特製の制服を軽く整え、ローグは夜空に背を向けた。
祭りを楽しむ人々の間を縫って、警備隊の仲間たちのもとへ歩いていく。
もう一度、背後で大きな花が咲いた。
今度は振り返らなかった。




