第3話 領主就任!? でも実質追放でした
王都、重厚な石造りの内務省高官室。
窓の外では、冷たい雨が打ちつけていた。
「——命令は届いたか?」
内務尚書ガルシアは、書類に目を落としたまま問いかけた。
影から現れた部下が深く頭を下げる。
「は。カイル・フォン・ヴァルハイトは、取り乱す様子もなく静かに拝命したとのことです」
「そうか」
ガルシアは手元の報告書を机に置いた。
部下が不思議そうに尋ねる。
「……閣下。ノルデンは前領主が急逝した王家預かりの地。財政は破綻寸前、領民の流出も止まりません。いくら侯爵家の次男とはいえ、あそこを十六歳の少年に任せるとは……」
「だからこそ、だ」
ガルシアの口元がわずかに緩む。
「表向きの理由はいくらでも作れる。『幼少より農政を学んだ若き俊英に再建を託す』——とな。侯爵家には跡取りの長男がいる。次男の抜擢として不自然ではない。事情を知らぬ者には破格の栄転にすら見えるだろう。……もっとも、与えられるのが死にかけたノルデンでなければ、だが」
「……では、追放のために?」
「妙な子供なのだよ、あれは」
ガルシアは報告書の一枚を指で叩いた。泥まみれになって畑を耕す少年の姿だ。
「落ちこぼれと呼ばれて六年。……まだ笑っている」
「それが、何か?」
「それが気味が悪いと言っている」
ガルシアは眼鏡の奥の瞳を細め、雨の打つ窓ガラスへと視線を向けた。
(……価値を生み出せる優秀な知恵者。当初は後々自分の手駒として取り込むつもりで接触した。だが——)
パツン、と強い雨粒が窓を叩く。
(あれは、そんな生易しいものではない。……試しに投げかけた穀物価格高騰への対策を、あいつは十六にも満たぬ歳で、商人の流通経路まで含めて答えてみせた。下手すればこちらに刃を向けてくる……そんな底知れぬ恐ろしい頭脳だ。……ちょうどいい。あの異質な存在を遠ざけ、潰す機会が巡ってきた)
ガルシアは冷めた目で、適性鑑定書を開いた。
『固有能力——魔石生成。一日一個。低品質』
「皆、この『一個』を見て笑った」
ガルシアの指が、その隣の文字を強く叩く。
「私は『一日』の方が気になる」
「……あ」
「もし、作れる数が増えたらどうする? 品質まで上がったら? ……そして何より、この男がその魔石の真の使い道に気づいたら?」
魔石はただの宝石ではない。通貨であり、魔導具や機械を動かすエネルギー——国の産業の根幹だ。
「恐ろしいのは能力ではない。考え、調べ、試し、決して諦めない思考そのものだ。だから、真価に気づく前に潰す。圧倒的な貧困と混乱の中でな」
ガルシアは静かに報告書を閉じた。窓の外で雨足が強くなった。
◇
ヴァルハイト侯爵邸。
父上は強い怒りに震えていた。
「カイル……これは栄転などではない! 事実上の追放だ! 『勉強熱心なカイル様なら見事に立て直すでしょう』だと!? ふざけるな!」
(……なるほど。あの大臣、わしをそういう目で見ておったか)
カイル——中身は高橋是清である僕は、内心で深く納得していた。
表向きは名誉ある役職を与え、実際には中央から遠ざける駆け引きは前世で嫌というほど見てきた。
(……内務尚書ガルシア。薄紫色の短髪に眼鏡をかけた、きちっと緩みのない服装の青年。若いが一目でタダ者ではないと分かった男だ)
ふと、数年前に彼と初めて言葉を交わした日のことを思い出す。
『おや、少年。実に興味深い能力だね』
『そうなのかい? 貴方は……』
『私はガルシア。この国の偉い人……とでも言えば分かりやすいかな?』
『そんな偉い人が、なぜ落ちこぼれの僕に?』
『違う。落ちこぼれではないよ。何もない場所から価値を生み出せる。素晴らしい能力だ』
『ありがとうございます』
『見せてくれるかい? 魔石を出すところを』
『構わぬが……面白いものではありませんぞ?』
『はは、君は少年とは思えない話し方をするね』
差し出した小さな魔石を見たガルシアは、ほんのわずかに目を張り巡らせ、すぐに冷静な表情に戻ったのだった。
『見せてくれてありがとう。本当に素晴らしい……』
『あの、この魔石は1個どれくらいの価値がありますか? ガルシアさん』
『そうだね。この魔石の大きさ、濁り具合だと……銀貨1枚、になるかな?』
(一目で見抜く鑑識眼と、僕を笑わなかった観察力。あの男が裏で糸を引いているのなら納得だ)
「父上、大丈夫ですよ。侯爵家には兄上がいますし、国から見捨てられた土地なら、僕が好き勝手にやっても文句は言われないという意味ですから」
「カイル、お前という奴は……っ」
横で母上が唇を噛んでいた。
「そんな……カイル、行かないで頂戴! あなたはまだ十六なのよ?」
「母上、家なら兄上が——」
「家の心配をしているのではありません!」
強い声に言葉を詰まらせる。母上は胸元で手を握りしめていた。
「私は……あなたが心配なのです」
「……そうでしたね。失礼しました」
前世の癖でつい立場から考えてしまった。この人にとって僕はただの息子なのだ。僕は苦笑し、母上の目を見た。
「大丈夫です、母上。僕ならやってみせますから」
その時、応接室の扉が勢いよく開いた。
「カイル様!」
息を切らせて飛び込んできたのは、婚約者のリーザだった。銀髪を揺らし、薄紫の瞳でまっすぐ僕を見つめている。
「お父様から聞きました! ノルデンへ行かれるのですね? 私もついていきます!」
「無茶を言いなさい、リーザ。あそこは過酷な場所だ。君の実家だって僕との婚約破棄を言ってくるはずだ」
「でしたら、私も家を出ます! 勘当覚悟です! どんな場所だろうと、あなたをお支えすると決めております!」
毅然と言い放ち、リーザはふっと肩の力を抜いた。
「……覚えておられますか? 初めてあの裏庭へ行った日のこと」
「……君が泥でドレスを台無しにして、大泣きした日か?」
「泣いておりません!」
「泣いておったよ」
「カイル様!」
思わず声を張り上げてから、リーザはふふっと小さく笑った。
「カイル様はあの日、『今日は私とお茶をする約束でしょう!』と怒る私に、『ちょうどよかった、この変な赤い豆を食べてみてくれ』とおっしゃったのですよ?」
「……そんなこともあったかね」
「酸っぱくて苦くて、怒って帰ろうとした私を、カイル様は楽しそうに引き留めました。『次はもっと美味しくなる』って」
そしてリーザは、澄んだ薄紫の瞳でまっすぐに僕をとらえた。
「みんながあなたを落ちこぼれだと笑っても、私だ
けは、あなたがその泥の中で何を見つけるのか知りたかった。だから、ノルデンにも行きます」
「今度はドレスどころではないぞ。泥だらけになる」
「……それも、もう慣れましたわ」
(……やれやれ。大蔵大臣の妻も大変だが、貧困領主の妻というのも相当な苦労をかけるな)
だが、この頼もしい相棒の手を突っぱねる理由は、僕にはどこにもなかった。
◇
数週間後。僕たちは最果ての地・ノルデンへと到着した。
馬車が領内へ入ってから、僕はほとんど窓の外から目を離せなかった。
雪山から吹き下ろす冷たい風に、枯れた草が揺れている。
道沿いに広がる牧場には、肋骨の浮き出た痩せた家畜が、ぽつぽつと数頭いるだけだった。
やがて、街へ入る。
目に入るのは、閉ざされた店の数々だった。
『当面の間、休業いたします』
そう書かれた木枠の紙は日に焼け、端が破れて風にぱたぱたと揺れている。
いったい、いつから貼られているのだろう。
『休業』と書いた店主は、きっといつか戻るつもりだったはずだ。
市場らしき広場にも、人影はまばらだった。
道端では、擦り切れた服を着た母親に手を引かれた小さな子供が、僕たちの馬車をじっと見つめていた。
浮き出た頬と、驚くほど細い腕。その目が僕の視線と重なった瞬間、胸の奥がずきりと痛んだ。
(……話には聞いていたが)
財政難。人口流出。三年連続の凶作。
王都で報告書を読んだときには、それはすべて紙の上の「数字」だった。
(まさか、ここまでとは……)
数字の向こうには、当然、生きている人間がいる。
分かっていたつもりだった。
けれど——実際に目の前で見るのとは、まるで違った。
隣に座るリーザも、いつしか息をのんで黙り込んでいた。
「……カイル様」
「……うん」
僕はそれだけ答えて、もう一度窓の外を見る。
この寒さと飢えの中で、この人たちは暮らしているのだ。
今日を、明日を、その次の日を。
館の前で、出迎えた老執事が暗い顔で頭を下げた。
「ノルデンへようこそ、カイル様……。ご覧の通り、ここには何もありません。金も、食料も……」
僕は馬車を降りた。
冷たく、硬く痩せた土を、靴の裏で踏みしめる。
「……そうだね」
一度だけ、寂れた街の方を振り返った。
そして、自分に言い聞かせるように、ゆっくりと息を吐き出す。
「でも、何も『ない』んじゃない」
この土地にも、生きている人がいる。
痩せてはいても畑がある。家畜がいる。休業しただけの店がある。
「まだ、価値を数えていないだけだ」
その日の夜。
僕は領主館に残されていた荒涼とした帳簿を、一冊ずつ机へ積み上げていた。
「……ひどいな」
収穫量は三年連続で減少。人口も減り続けている。当然、税収も底をついていた。
「カイル様」
隣から帳簿を覗き込んだリーザが、不安そうに尋ねる。
「これでは、領地を動かすお金が……」
「そうだね」
「でしたら、あの魔石を——」
「いや」
僕は即座に首を横に振った。
「え?」
「魔石を売れば、当面の金は作れる。だが、それでは来年も同じだ」
帳簿の数字を、指で静かに追う。
税収が少ない。なら、税率を上げればいいのか? 違う。
取るべき金そのものを、領民が稼げていないのだ。
(昼間見た、あの痩せた腕の子供や、閉ざされた店……あそこに生きる人々に、まず稼ぐ手段を作らねばならん)
「まず、この土地に仕事を作ろう」
「仕事……ですか?」
「ああ」
僕は窓の外へ目を向けた。
暗闇の向こうに、冷たい風の吹き荒れる荒れ果てた土地が広がっている。
「税を取るのは、それからだ」
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