第2話 魔石の価値とあんぱん
適性鑑定の日から、数年が過ぎた。
元々は、ただ「前世の味覚」を再現したいという、僕の個人的な道楽から始まったことだった。
だが、屋敷の裏手をイチから耕して畑にするには、想像以上にお金がかかった。
土地を掘り起こす小型魔導器具の購入費、土壌を整える肥料代、種代……。父上や母上からいただく毎月のお小遣いなど、瞬く間に消えていく。
(……参ったな。僕の趣味で実家の家計を圧迫するわけにはいかない)
領地の財政を管理する父上の苦労を知っているからこそ、実家の金を当てにするわけにはいかなかった。
なら——僕自身の力で稼ぐしかない。僕の固有能力、【魔石生成】の出番だ。
(毎日限界まで作り続ければ、出力だって上がるはずだ)
あの日、一日に一個の低品質しか作れなかった能力。僕はそこから愚直な鍛錬を始めた。
限界まで魔力を絞り出しては倒れ、休む。魔導書を読み漁り、胡散臭い薬草茶で三日ほど腹を壊し、畑仕事で体を鍛え抜いた。
そして——ある日のことだった。
いつものように手のひらから魔石を取り出した瞬間、息をのんだ。
「なんだ……これは……?」
手のひらに収まったそれは、これまで作っていた濁った小石とはまるで違っていた。
透き通るような純度を誇り、内側から脈打つように溢れ出すまばゆい光。
(……輝きが、いつもと全然違う)
数年間の鍛錬の末、僕の【魔石生成】は変貌を遂げていた。
出力は跳ね上がり、今では一日【最大十個】、この高魔石を生み出せる。
◇
数日後、僕は変装して街の小さな鑑定店を訪れていた。目的は、この魔石の「市場価値」を知り、畑の資金に当てるためだ。
「……こ、これは……特級品です……! 安く見積もっても金貨百枚を下りませんぞ!」
目を剥く鑑定士の言葉に、僕は息をのんだ。
(金貨百枚……!? 今の僕なら一日十個作れる。つまり一日で、金貨千枚……)
そこまで計算して、頭の中のそろばんを弾く手が止まった。
背筋を冷や汗が伝う。
(……待て。そんな量を市場に流したらどうなる?)
魔石の市価暴落。鉱山都市の破綻。大量の失業者。急激な通貨インフレ。
さらに特級魔石の大量流入となれば、国家や貴族が「出どころ」を巡って血眼になり、政争の火種になる。
(『作れること』と『市場に出せること』はまったく別物だ。使い方を一歩間違えれば、国家の経済を壊す毒薬になる……)
僕は手の中の魔石を見つめた。
もちろん、まったく換金できないわけではない。ひとつ、ふたつなら市場も吸収できるだろう。出所さえ悟られなければ、畑を維持するための資金にもできる。
だが——だからこそ、怖かった。
必要だからと、ひとつ。
もう少し畑を広げたいからと、もうひとつ。
便利だからと際限なく換金を続ければ、いつか必ず市場の均衡を崩す。
(金を生み出せるからこそ、使っていい金の量は自分で決めなければならない)
僕は小さく息を吐き、魔石を握りしめた。
この日から僕は、【魔石生成】で生み出した魔石を金貨へ換えることに、今まで以上に慎重にならざるを得なかった。
必要なときに、必要な分だけ。
この力は僕を豊かにする宝ではない。
一歩扱いを誤れば、多くの人間の暮らしを巻き込む劇薬なのだから。
◇
無能と蔑まれたあの日から月日は流れ、僕も今年で十六歳になった。
父上からの政務の指導を終え、廊下で母上と鉢合わせた。
「あらカイル。そんなに急いでどこへ行くの?」
「ちょっと裏の畑まで行ってきます!」
「まあ、また畑? 泥だらけになるなんて、変わった子ねぇ」
上品に笑う母上に手を振り、僕は屋敷の裏手へと走った。
屋敷の裏には、黄金色に輝く見事な小麦畑と、その隣に青々と茂るルージュ豆の畑が広がっていた。
「よしよし、順調だな……」
小豆に似たルージュ豆は、乾燥すると石のように固くなるため、この国では「家畜の餌」扱いだ。
だが、この豆は貧しい土地でも育ち、何より土を肥やす効果がある。
(世間は『家畜の餌』と切り捨てるが、見方を変えれば土を蘇らせる宝の豆だ。……落ちこぼれと呼ばれた僕の能力と同じだな)
「……よし!」
僕は熟した莢を摘み取り、厨房へと急いだ。
◇
「カイル様、また実験ですか?」
厨房へ顔を出した僕を見るなり、料理人が呆れたように言った。
「実験とは失礼だな。今日はちゃんと美味しいものを作るよ」
「前回もそう仰っていた気がしますが……」
「今回は自信があるんだ」
僕は持ってきたルージュ豆を調理台へ置いた。
「……まさか、それを?」
「そのまま食べるわけじゃないさ。まずは柔らかくなるまで煮る。それから砂糖を加えて——」
煮上がった豆を潰しながら、焦がさないよう木ベラでじっくりと練っていく。
やがて鍋の中身に艶が出てきたところで、僕は満足して頷いた。
「よし、こんなものかな」
料理人が、おそるおそる鍋を覗き込む。
「これは『餡』というんだ」
木ベラですくい上げると、艶のある濃い赤紫色の餡が、とろりと鍋へ落ちた。
「……これを、食べるのですか?」
料理人が露骨に戸惑った。
「食べるよ」
「ですが……ルージュ豆ですよね?」
「そうだね」
「家畜の餌の?」
「人間が食べてはいけない決まりでもあるのかい?」
「い、いえ……そういうわけでは……」
料理人は僕と鍋を交互に見た。
長年厨房に立ってきた彼にとっても、豆を砂糖で甘く煮るなど聞いたことがないらしい。
「ほら」
僕は小皿に餡をひと匙だけ取り分け、差し出した。
「え……え……?」
料理人の顔が引きつる。
「毒じゃないよ」
「それは分かっておりますが……」
そう言いながらも、主人である僕から差し出されたものを拒むわけにもいかないのだろう。
気圧されたように小さく息を呑み、恐る恐る餡を口へ運ぶ。
「…………」
もぐ、と口が動いた。
「…………ん?」
もう一度。
料理人の眉間から、ゆっくりと皺が消えていく。
「……甘い」
「だろう?」
「いや、しかし……豆ですよね?」
「豆だよ」
「あの、家畜に食わせている?」
「その豆だ」
「…………」
料理人はもう一度、鍋の中を覗き込んだ。
今度は先ほどまでとは、まるで違う目で。
「……カイル様。もう一口、よろしいでしょうか」
「ふふん」
思わず口元が緩む。
「もちろん」
——そうだ。価値なんてものは、案外こういうものなのかもしれない。
皆が家畜の餌だと思っていた豆も、使い方を一つ変えれば、人を笑顔にする。
「さて。驚くのはまだ早いよ」
「まだ何かあるのですか?」
「こいつをパンで包むんだ」
「……豆を?」
「甘い豆を」
「パンで?」
「そう」
「…………」
料理人の顔が、また怪訝そうなものに戻った。
「まあ見てなって」
数分後。
こんがりと狐色に焼き上がった、丸いパンが完成した。
手渡された焼きたてのパンに、僕は勢いよくかじりついた。
ふわふわの生地の中から、熱々の餡の優しい甘さが溢れ出してくる。
(……これだ。前世で家族と食べた、あの味だ……!)
「……っ!? カイル様、これ……おいしいです! 豆のパサつきが一切ないどころか、生地の香ばしさと引き立て合っている……!」
「ふふん、だろう! これで僕の二度目の人生の目的は半分達成されたと言っても——」
その時だった。
ドタバタと、激しい足音が厨房へ近づいてきた。
扉が勢いよく開かれ、顔を蒼白にした執事が飛び込んでくる。
「カイル様! カイル様、大変です!!」
「どうしたんだい、そんなに慌てて。あんぱんならまだあるよ?」
「パンではありません! 王都の中央政府より、緊急の勅命が下りました!」
執事は震える手で、一枚の書状を掲げた。
「カイル様を……前領主急逝により空席となった、ノルデン辺境領の領主に任ずる、と!」
「……え?」




