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【改稿中】スキル『魔石生成』で追放された僕、国から役に立たないと切り捨てられた辺境で「あんぱん」を作ります ~貧困領地が大発展していくまで~』  作者: きいろい なつ
王都からの刺客編

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29/82

番外編 老執事セムラの日誌①

今回は、少しだけカイルではない人物のお話です。

ノルデンが少しずつ変わっていく中で、

この土地を長く見つめてきた老執事セムラは、ある場所へと向かいます。


 

 月に一度だけ、私は朝の仕事を少しばかり他の者に任せ、領主館を出る。

 街を抜け、小高い丘へ続く道をゆっくりと登っていく。

 若い頃なら息ひとつ乱さず登れた坂も、今では少々堪える。  まったく、歳は取りたくないものだ。

 けれど、この日だけは誰かに代わってもらおうとは思わない。

 丘の上には、ひとつの墓がある。

 前ノルデン領主――アルベリク様。

 私が長年お仕えした、旦那様の墓だ。


「……また参りましたぞ、旦那様」


 墓石の前に膝をつき、持ってきた布で表面を拭う。

 枯れ葉を払い、伸び始めた雑草を抜き、花を供える。

 いつもと同じことを、いつもと同じ順番で。

 ただひとつ、以前とは違うものがあった。

 ――音だ。

 丘の下から、かすかに声が聞こえてくる。

 市場で客を呼び込む商人の声。

 荷馬車が石畳を走る音。

 工房から響く、威勢のよい掛け声。

 そして時折、風に乗って届く子供たちの笑い声。

 私は墓石を磨く手を止めた。


「……聞こえますか、アルベリク様」


 返事などあるはずもない。

 それでも、私は墓石の向こうにいる旦那様へ話しかけた。


「ノルデンは少しずつですが、笑い声の絶えぬ領地になってきております」


 カイル様がきてから、随分と変わった。

 荒れ果てていた畑には、再び作物が育っている。

 長く閉ざされていた店にも、ひとつ、またひとつと明かりが戻った。

 新しい工房では、職を失っていた者たちが働いている。

 誰も住まなくなっていた家も修繕され、よそからやってきた家族が暮らし始めた。

 朝になれば、人々が仕事へ向かう。

 夕方になれば、家へ帰っていく。

 そんな当たり前の光景を、私は毎日目にするようになった。


「旦那様が、あれほど望んでおられた景色です」


 ――金が、足りない。

 晩年、旦那様は何度そう口になさっただろう。

 机いっぱいに書類を広げ、夜が明けても気づかずに計算を続けておられた。

 王都へ何度も嘆願書を送り、水路の修繕を願い、領民の税を減らし――。

 それでも、どうにもならなかった。

 最後まで、ご自分を責めておられた。

 もっと自分に力があれば。

 もっと金があれば。

 もっと早く手を打てていれば、と。


「……旦那様」


 声が、少し震えた。


「あなた様が守ろうとなさったノルデンは、なくなってなどおりません」


 墓石にそっと手を添える。


「皆、生きております」


 市場で笑う者がいる。

 畑を耕す者がいる。

 新しい仕事を覚えようと、粉まみれになって働く者がいる。

 子供たちが走り回っている。

 ノルデンは、生きている。


「ですから……」


 そこで言葉が途切れた。

 いけない。

 今日は旦那様に、よい報告をしに来たのだ。

 泣くために来たのではない。

 そう思ったというのに。


「……あなた様にも、ここにいてほしかった」


 一度こぼれた言葉は、もう止められなかった。


「この景色を……あなた様ご自身の目で、見ていただきたかった……」


 ぽたり、と墓石に雫が落ちる。

 慌てて袖で目元を拭った。


「……歳を取ると、どうにも涙もろくなっていけませんな」


 誰に聞かせるでもなく苦笑し、立ち上がる。

 そのときだった。


「……おや?」


 墓石の脇。

 私が花を供えた場所とは反対側に、小さな包みが置かれている。

 来たときには気づかなかった。

 真新しい紙に、簡素な紐。

 手に取ると、まだほんの少しだけ温かい。

 私はそっと包みを開いた。


「…………」


 中に入っていたのは、一個のパンだった。

 丸く焼き上げられた、小さなパン。

 見間違えるはずがない。

 ノルデンの小麦とルージュ豆から作られ、今では街の者なら誰もが知っている――あのパンだ。

 私はしばらく、それを見つめていた。

 そして、ようやく気づく。


「……カイル様」


 あの方だ。

 きっと私より先にここを訪れ、何も言わずに置いていったのだろう。

 まったく。

 こういうことだけは、妙に気が回るお方なのだから。

 私はパンを元の場所へ戻すと、もう一度、墓石の前に膝をついた。


「旦那様」


 今度は、不思議と笑うことができた。


「……よい方が、来てくださいましたな」


 丘を春の風が吹き抜ける。

 その向こうから、また子供たちの笑い声が聞こえてきた。



 * * *



 ――○月○日。

 本日もノルデンは晴天。

 市場の往来は多く、新工房も順調との報告あり。

 旦那様の墓前には、先客が一名。

 名は記さぬこととする。

 ただし、供え物にあんぱんを選ぶ若者など、この領地には一人しかおらぬ。

 今日という日を、私は生涯忘れぬだろう。

 そしていつの日か、私が旦那様のもとへ参ったなら。

 伝えたいことが、またひとつ増えた。

 ――ノルデンは、今日も賑やかです

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