第28話 日の当たる道
ノルデンの街を歩くカイルから、少し離れたところをローグはついて歩いていた。
隣に並ぶつもりはない。かといって、逃げるつもりもなかった。ただ、前を歩く少年領主の背中を、冷めた目でじっと見つめている。
あの夜、カイルは言った。
病身の母と幼い弟妹を保護する、と。
——だが、まだ何ひとつ確認できていない。
(……もし、こいつの言ったことが全部嘘だったなら)
ローグは外套の下、腰に差した短剣へそっと指を添えた。
(今度こそ、ためらわない)
自分を飼い慣らすための嘘なら。家族を人質に取るつもりなら。次こそ、この刃を確実にその喉へ突き立てる。
そんなローグの殺気など知ってか知らずか、カイルはのんびりと街を歩いていた。
「ここが中央広場だ。前に君も見ていただろうけど、最近はずいぶん人が増えてね」
広場には露店が並び、荷物を抱えた商人や冒険者たちが行き交っている。少し前まで飢えた人間ばかりだったという街には、焼きたてのパンと菓子の甘い香りが漂っていた。
カイルは一軒の露店の前で足を止める。
「そうだ、ローグ」
「あ?」
「あんぱん、食べるかい?」
差し出された丸いパンを見て、ローグは眉をひそめた。
「……いらない」
「そうかい? 美味しいんだけどな」
カイルはまったく気にした様子もなく、自分の分を一つ買うと、その場でかじった。
「うん。今日のは餡の甘さもちょうどいい」
「…………」
(なんなんだ、こいつは)
つい数日前に自分を殺そうとした男を連れて街を歩き、名物のパンを勧めてくる。警戒心がないのか。それとも——本当に、自分をもう敵だと思っていないのか。
ローグには、まだ分からなかった。
「次はこっちだ。移動販売の様子も見ておきたい」
「ああ」
ローグは短く答え、再び少し距離を空けてその背中を追った。
そのときだった。
「犯人が逃げるぞ! 」
怒号と同時に、人垣が激しく割れた。
男が商人の荷袋をひったくり、刃物を振り回しながらこちらへ向かって一直線に駆けてくる!
「カイル様、下がってください!」
「リーザ!」
間一髪で割り込んだリーザが凄まじい脚力で割り込み、襲撃者の刃を真横から叩き弾いた。だが男は手慣れた手つきで足元へ煙幕を叩きつけると、複雑に入り組んだ路地裏の暗がりへと逃げ込んでしまった。
「くっ……逃げられたか! この付近は路地が入り組んでいる、一度見失うと追えないぞ……!」
眉をひそめるカイルの脇を、静かな足音が通り抜ける。黒い外套を羽織ったローグだった。
ローグは男が逃走際に落としていった手拭いを拾い上げると、一瞬だけ目を閉じた。
(——【軌跡追跡】)
脳裏に、青く光る糸のような線が浮かび上がる。
対象物に残った微細な魔力を辿り、一定範囲内の位置を頭の中の地図へ投影する固有スキルだ。かつて警備の厳重な領主館でカイルの寝室へ迷わず侵入できたのもこのスキルのお陰だ。
「……北東の廃屋、二階だ。裏手に回れば逃げ道はない」
「頼む、ローグ!」
「行くぞ」
ローグの誘導により、逃亡犯は逃げ込んだ先の廃屋で完全に退路を塞がれた。
「な、なんだお前らは……っ!?」
「逃走ルートの選び方が甘い。逃げる側なら、もっとマシな路地を選べ」
逃げようとした男の膝裏へ、ローグが容赦なく短剣の柄を叩きつける。男が悶絶して崩れ落ちると、手際よくその手首を裏縛りにした。
追いついたカイルとリーザが部屋に入った時には、すでに手配は終わっていた。
「やるじゃないか、ローグ。まさに僕が求めていた警備隊長だ」
カイルが感心したように声をかけると、ローグは視線を外して短剣を鞘に収めた。
「……暗殺者の技術だ。自慢できるようなもんじゃない」
「そんなことはないさ。犯罪者の行動が読めるなら、これ以上頼もしい捜査能力はない。使う目的が『街を守るため』に変われば、立派な仕事だ」
淡々としたカイルの答えに、ローグは小さく鼻を鳴らした。
* * *
その日の夕暮れ。
領主館の前に、一両の馬車が停まった。
カイルが手紙を出した王都のヴァルハイト侯爵家が、極秘裏に手配した移動ルートだ。
馬車の扉が開き、痩せこけた女性と、その服の裾を握りしめる幼い弟と妹が降りてきた。
「……ローグ……? 本当にローグなの……!?」
「母さん……! ミナ、リュート……!」
ローグの足が不自然に震えていた。
いつでも短剣を抜けるように構えていた指先から、一気に力が抜けていく。
長旅の疲労もあり、母の頬はこけ、その足取りもまだ頼りない。けれど以前のボロ布のような服とは違い、小綺麗で清潔な服を纏い、その手には王都の医師から処方された薬包が大切そうに抱えられていた。
「夢じゃないんだね……! 無事だったんだね!」
「……ああ。俺は、ここにいる……!」
弟妹たちが「お兄ちゃん!」と脚にしがみつくと、ローグはその場に膝をつき、二人を壊れ物でも扱うように強く抱きかかえた。ポロポロと涙が溢れ落ちて、止まらなかった。
(嘘じゃなかった……。あいつの言ったことは……本当だったんだ……)
腰の短剣に添えていた自分の手が、今は家族のあたたかな体温を確かめている。
もし疑い通りなら刺してやるつもりだった男は、少し離れた場所で、優しく目を細めてその光景を見守っていた。
「よかったですね、カイル様」
「ああ。これからはこの街で、じっくり療養してもらうといい」
カイルの穏やかな声が聞こえてきた。
ローグは溢れ出る涙を乱暴に袖で拭うと、弟妹の頭を撫でてゆっくりと立ち上がった。
そして、一歩一歩、まっすぐにカイルの前へと歩み寄る。
「カイル」
ローグは、顔を上げた。
まだ目の周りは赤く濡れていたが、その瞳からは迷いも疑いも完全に消え去っていた。
「……警備隊、作りたいんだろ」
一呼吸、おいて。
「そんなに必要なら、なってやるよ」
カイルの顔がぱっと輝いた。
「ありがとう! 助かるよ!」
間髪いれずに両手でぎゅっと手を握りしめてくるカイルに、ローグは露骨に顔をしかめて身を引いた。
「っ、距離が近えよ!……あと、ちゃんと報酬……いや、給料はもらうからな」
「もちろん! 家族が安心して暮らせる分、しっかり払うよ」
カイルが満足そうに笑うと、ローグも呆れたように小さく息を吐いた。
「……さあ、家族を家まで案内してやってくれ。これからは、俺がこの街を守る」
もう、遠く後ろを追うだけの暗殺者の影ではない。
夕陽が照らし出す真っ直ぐな道を、ローグはカイルと肩を並べて歩き出した。歩き出した。
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次回から新シリーズです(^^)
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