第19話 それぞれができること
パン屋の裏手にあった空き家を買い取り、突幹工事で改修した新工房。
壁を塗り直し、搬入したばかりの新しい魔石窯が何台も並ぶその場所に、思いのほか多くの人々が集まっていた。
ざっと見回しても数十人はいる。
「……こんなに集まってくれたのかい?」
僕が驚いて呟くと、集まった人々はどこか身を縮こまらせながら、お互いに顔を見合わせていた。
「あの……募集の張り紙を見て、来ました」
前に進み出てきたのは、少し派手な服を着た若い娘だった。視線を泳がせながら、申し訳なさそうに身をすくめる。
「言いづらいことなんですが……私、今まで夜のお店でしか働いたことがなくて。でも、仕事帰りにたまたま食べたあのパンが本当に美味しくて……私にも、何かお手伝いできることがあればって」
「俺は……かつて冒険者をやっていました」
娘の隣で声を上げたのは、片脚を引きずるガタイのいい男だった。痛々しい傷跡が残る腕を握りしめている。
「だが、怪我で引退を余儀なくされた。まだ養わなきゃならん家族がいるんだが、こんな体じゃどこも雇ってくれねえ。パン作りなんて繊細な仕事、こんな体じゃ足手まといになっちまうかと……そんな俺でも、ここで働けますかい?」
元冒険者だけではない。体を壊した元坑夫や、職を失った日雇い労働者、職人の後妻に入ったものの仕事がない未亡人——そこには、ノルデンの停滞の中で「表舞台」から弾き出されてきた人々が集まっていた。
「……もちろんだよ。心配いらない」
僕は迷わず、まっすぐに二人を見つめて頷いた。
「工程は分割したからね」
「え……? 工程を、分割……?」
「パン作りを一人で全部やろうとするから大変なんだ。生地捏ね、整形、火加減の管理、検品や包装……作業を細かく分けてラインにする。全員が全部をこなせる職人になる必要はないんだよ。過去にどんな仕事をしていたか、体にどんなハンデがあるかは関係ない。真面目に向き合ってくれるなら大歓迎だ。給料も、この街で家族と十分に暮らしていけるだけの額を支払うよ」
そう言って、僕が彼らの手を握ると、集まった人々の中に安堵と戸惑いが交じるような熱が広がっていった。
だが——理屈と現場は別物だ。
作業が始まると、すぐに至るところで小さな衝突と試行錯誤が始まった。
「おい、待て待て! そいつに生地捏ねをやらせるな!」
老職人の怒鳴り声に、僕は思わず振り返った。
元冒険者の男が、申し訳なさそうに巨大な生地の塊を抱えて固まっている。
「え?」
「力がありすぎるんだよ! 生地の泡が全部潰れて死んじまう!」
「……す、すまん」
「謝る暇があったら、そっちの粉袋運んでくれ! あんたなら三袋いけるだろ!」
「三袋でいいのか? 五袋はいけるぞ」
「じゃあ五袋だ! ……頼んだぞ!」
男は「任せとけ!」と顔を輝かせ、重い粉袋をひょいひょいと持ち上げて運んでいく。足の不自由さを感じさせない、圧倒的な上半身の筋力。それこそが彼の「適性」だった。
一方、工房の隅では別の驚きがあった。
「……包むの、速いね」
僕が思わず声をかけると、例の若い娘がハッと手を止めた。
焼き上がったパンを薄紙で包み、紐を結ぶ手つきが、信じられないほど滑らかで美しかったのだ。形も崩さず、仕上がりも均一で早い。
「え? ああ……前のお店で、お客さんへの贈り物を包むことが多かったので」
娘はそこまで言って、ハッと気づいたように気まぐれに口を閉ざし、気まずそうに俯いた。
「なら、この検品と包装の工程は全部君に任せよう」
「……いいんですか?」
娘が恐る恐る顔を上げる。
「どうして?」
「だって……前の仕事のことですし。そういうの、嫌がる人も……」
「そこで覚えたことも、君が身につけた立派な技術だろ?」
僕が真っ直ぐ見つめてそう言うと、娘は目を見開き、胸元をぎゅっと握りしめた。それから、零れ落ちそうな涙をごまかすように小さく笑い、「はいっ!」と強く頷いた。
「おいおい、窯の温度、もう少し落としてくれ!」
「了解だ!」
老職人たちの熟練の勘、元冒険者の膂力、娘たちの繊細な手さばき。
ばらばらだったパズルのピースが見事にはまり込み、工房は目まぐるしい活気と香ばしい匂いに満たされていった。
作業を見守っていた店主が、ふっと柔らかい目で僕を見つめてきた。
「……実に大したものだ、カイル様。あんたは本気で俺たちの仕事や、この街の熱を見てくれてるんだな。だから——信じてみようじゃないか」
「カイル様? お顔が真っ赤ですわよ?」
隣で覗き込んできたリーザに悪戯っぽく囁かれ、僕は慌てて「なんでもないよ!」と咳払いをした。
そして——夕暮れ時。
「本日分のパン、クッキー、すべて売り切れましたー!」
威勢の良い声が響き渡った瞬間、工房の中にワーッと歓声が上がった。
その喧騒の中で、僕はふと立ち止まっている元冒険者の男に目を留めた。
腕や頬に真っ白な小麦粉をつけたまま、男は自分の大きな手のひらを見つめ、呆然と佇んでいる。
「……俺の作ったもんが、売れたのか」
絞り出すような、掠れた呟き。
「俺の手が……誰かの役に、立ったのか……」
男の目からぽろぽろと零れた涙が、頬についた小麦粉に細い筋を作った。
「何泣いてんだよ!」
「泣いてねえ!」
「いや、泣いてるだろ!」
誰かが笑いながら背中を叩く。
男も乱暴に目元を拭って、やがて一緒になって笑った。
工房の窓から差し込む夕日が、粉まみれになった床を赤く染めている。
僕は、その光景をしばらく眺めていた。
去年まで、この街には仕事がなかった。
仕事がなければ、人は去っていくしかなかった。
けれど今日、この場所では——
「カイル様!」
「ん?」
振り返ると、リーザが焼きたてのパンをひとつ持っていた。
「私たちの分、一個だけ残しておきました」
「……売り切れじゃなかったの?」
「これは売り物ではありません」
得意げにそう言って、リーザがパンを半分に割る。
湯気と一緒に、甘いルージュ豆の香りが立ちのぼった。
外では、仕事を終えた人たちの笑い声がしている。
僕は差し出された半分を受け取った。
「……うん」
今日は、きっと美味しい。




