第2話 白銀のノルデン
その朝、目を覚ましたカイルが窓を開けると、世界は静寂の中に白く染まっていた。
「……降ったんだ」
領主館の窓枠にうっすらと積もった、初雪。
舞い落ちる白銀の結晶がノルデンの街道や屋根を優しく包み込み、どこか幻想的な美しさを醸し出している。
「綺麗な景色ですわね、カイル様」
静かに部屋へ入ってきたリーザが、温かい湯気の立つお茶を机に置き、隣に並んで外を眺めた。
「うん。……本当、綺麗だ」
一年前のノルデンなら、ただ静かに雪に埋もれるだけの寂れた街だった。
だが、今は違う。
白く染まった大通りのあちこちから、魔道かまどや薪ストーブの煙が幾筋も立ち上り、人々が生活を営む温もりが確かに感じられる。
新しく建てられた工房の煙突からも、白い煙が昇っていた。
街は、生きている。
カイルはその光景を眺めながら、小さく微笑んだ。
しかし——その美しさの裏で、冬は確実に過酷な現実を突きつけ始めていた。
◇
その日の午後。
執務室には、険しい顔をしたエドワードとガルドが集まっていた。
「……カイル様。初雪の日から申し訳ありませんが、急を要する報告が届いております」
エドワードが差し出したのは、各街区や工房から上がってきた何枚もの要望書だった。
「旧市街の住宅地区から、隙間風がひどく暖が取れないという相談が相次いでいます。さらに、製紙工房や鍛冶場からも、燃料の確保について緊急の要望が届いております」
「えっ……?」
カイルは思わず目を見開いた。
「薪なら、秋のうちに十分な量を備蓄しておいたはずじゃ……?」
「ああ。備蓄はある」
ガルドが重い腰を上げ、頭をかいた。
「だがな、領主様。この一週間の消費量で計算し直したら、春まで持たねえんだ」
「……春まで?」
「去年の人口なら十分だった。だが、今のノルデンじゃ、真冬を越す前に底をつく」
カイルは、息を呑んだ。
「この数ヶ月で、移住者も職人も冒険者も一気に増えただろう? 住宅も工房も増やした。そりゃあ、燃料を使う場所だって増えるわな」
「……そうか」
「おまけに、旧市街の住宅だ」
ガルドは苦々しげに続けた。
「半月で住めるようにした三軒を皮切りに、空き家を次々と直した。だが、あのときは雨風をしのげるようにするのが最優先だったんだ」
「……うん」
「住める家にはした。だが、厳冬期の隙間風まで完全に防げたわけじゃねえ」
ガルドは、申し訳なさそうに目を伏せた。
「すまねえ、領主様。冬の寒さを甘く見てたのは、オレも同じだ」
「……いや」
カイルは首を振った。
住む家を増やした。働く場所を増やした。
人々を呼び込んだ。
それは、間違いなくノルデンの発展だった。
けれど。
(……その人たちが冬を越すための準備が、街の成長に追いついていなかったんだ)
カイルは、机の上に広げられた報告書を見つめた。
「……僕の見積もりが甘かった」
「カイル様」
エドワードが静かに口を開いた。
「これは、ノルデンが予想以上の速さで成長したことによる問題です。ですが、成長したから仕方がない、という話でもありません」
「……うん」
「見積もりが現状に合っていなかった。その事実を認め、計画を修正する必要があります」
エドワードは眼鏡を正した。
「重要なのは、誰が悪かったかではなく、これから何を優先するかです」
カイルは、ゆっくりと頷いた。
「……そうだね」
以前の自分なら、どうしただろう。
自分で街を駆け回り、薪を集め、魔石を作り、何もかも解決しようとしたかもしれない。
けれど、それではいけない。
あのとき、倒れた自分を支えてくれた人たちがいる。
今は、一人ではないのだから。
「エドワード。まず、燃料の備蓄量と消費量を街区ごとに整理してほしい」
「承知いたしました」
「それから、工房の稼働に必要な燃料と、家庭の暖房や調理に必要な燃料を分けて考えたい」
「ええ。特に、乳幼児、高齢者のいる世帯への供給は優先すべきでしょう」
「うん。お願い」
カイルは、ガルドへ向き直った。
「ガルドさん。旧市街の住宅を調べてほしい。どこから冷気が入っているのか、どんな補修ができるのか」
「任せとけ。大工たちを何組かに分けて、順番に回らせる」
「ただし、無理な突貫工事はしないでね」
「……へいへい。分かってるよ」
ガルドは苦笑した。
「それと、除雪の人手も必要になると思う」
カイルは窓の外へ目を向けた。
雪は、朝よりも強くなっていた。
「ローグにも相談しよう。街道の安全確保と、除雪の優先順位を決めないと」
「それがよろしいでしょう」
エドワードが頷いた。
「ただ、カイル様。燃料の追加購入については、早めに判断する必要があります」
「……街道が閉ざされる前に、だね」
「ええ。雪が深くなれば、輸送費も上がります。そもそも荷馬車が通れなくなる可能性もありますから」
カイルは、腕を組んだ。
魔石があれば、明かりを灯すことはできる。
魔道具を使えば、熱を生み出すこともできる。
だが、街全体の暖房を魔石に切り替えるには、対応する設備が必要だ。
魔道具を製作する職人も、材料も、時間も足りない。
それに、魔石を大量に使えば、別の問題が生じるかもしれない。
(……魔石があるだけじゃ、解決できない)
カイルは、改めて思い知った。
資源があることと、それを人々の暮らしに役立てられることは違う。
必要なのは、魔石を増やすことだけではない。
限られた資源を、どう使うか。
誰に、どれだけ届けるか。
そして、次の冬には同じ問題を起こさないために、何を変えるべきか。
「……よし」
カイルは、椅子から立ち上がった。
「まずは、街の様子を見に行こう」
「カイル様?」
「報告書だけじゃ分からないこともあると思うんだ。実際に家の中がどれくらい寒いのか、工房でどれくらい燃料を使っているのか……自分の目で確かめたい」
エドワードは、少しだけ考えてから頷いた。
「承知いたしました。ただし、視察先は絞りましょ
う。すべてを今日中に回る必要はありません」
「……うん」
「それから、防寒具を忘れずに」
「分かってるよ」
「本当でしょうか?」
「……エドワード?」
「以前、朝食も取らずに旧市街へ出向かれた方がいらっしゃいましたので」
「うっ……!」
ガルドが豪快に笑った。
「ガハハ! 領主様、信用ねえなあ!」
「……もう!」
カイルは、少しだけ頬を膨らませた。
その様子を見て、エドワードも小さく微笑んだ。
けれど、窓の外では雪が降り続いている。
美しい白銀の景色。
その下で、人々は今日も暮らしている。
暖かな家を必要とする者がいる。
仕事を続けるために、燃料を必要とする者がいる。
そして、春を迎えるまで、この街で生きていかなければならない。
(……今年も、絶対に冬を越えてみせる)
カイルは、静かに拳を握った。




