番外編 湯気の向こうの冬支度(後編)
翌日。領主館の厨房には、甘く香ばしい匂いが立ちこめていた。
「——よし、これで少し冷ませば完成だ!」
汗を拭いながら、僕は鍋の蓋を開けた。
ふわりと立ち上る白い湯気の向こうで、じっくりと柔らかく煮込まれたルージュ豆が、つやつやとした深い赤紫色の輝きを放っている。
砂糖の甘みと、ほんの少し加えた塩味が絶妙な塩梅だ。
「……これが、カイル様の仰っていた『おしるこ』ですの?」
トレイに載せた白磁の小鉢を覗き込みながら、リーザが目を輝かせる。
「うん!
(本当は餅を入れたいところだけど……この世界に米がないのが残念だなぁ)
「まあ、あんぱんの餡よりも汁気があって、とても温まりそうですわね」
僕とリーザは、出来立てのおしるこを何鉢かトレイに載せ、執務室へと向かった。
◇
【領主館——執務室】
「うおっ! なんだなんだ、良い匂いがするぞ!」
ちょうど護衛の任務についていたジークが、鼻をヒクヒクさせて身を乗り出した。
デスクで羊皮紙を検分していたエドワードも、静かに筆を置いてこちらへ視線を向ける。
そこへ、扉を叩く音がした。
「……ローグだ。巡回の報告に来たぞ」
「ちょうどよかった! ローグも入って!」
扉を開けたローグは、室内に漂う甘い匂いに気づいたのか、わずかに眉を動かした。
「……何か作ったのか?」
「うん! 新しい甘味の試作品だよ。みんなにも食べてもらおうと思ってね」
僕はテーブルに小鉢を並べた。
「『おしるこ』の第一号だ!」
「おしるこ……?」
ローグは聞き慣れない名前を小さく繰り返した。
「まあまあ、まずは食べてみてよ!」
「おっ、じゃあ俺からいただくぜ!」
ジークが待ちきれない様子でスプーンを取った。
「……ほう、熱々だな。ふー、ふー……」
ひと口食べた途端、その目が丸くなる。
「……おおっ! 甘ぇ! でも、しつこくねぇな! なんだこれ、うめぇじゃねぇか!」
「ふふ、ジーク様ったら。……私もいただきますわ」
リーザも上品にひと口含み、ほっと頬を緩ませた。
「……ええ、とても優しい甘さですわね。ルージュ豆の粒がふっくらしていて、なんだか心が和みます」
「好評でよかった!」
僕は嬉しくなって、ローグのほうを見た。
「ローグも、どう?」
「……いただく」
ローグは小鉢を受け取り、熱いおしるこをひと口すすった。
「…………」
「……どう?」
「……甘いな」
「う、うん。甘味だからね……?」
ローグはしばらく小鉢を見つめていたが、もうひと口食べると、小さく頷いた。
「……悪くない。寒い日に外で警備した後に食ったら、よさそうだ」
「……!」
僕は思わず顔を上げた。
「そうか! 外で働く人たちに、温かいものを届けるのもいいかもしれない!」
「おっ! ローグが褒めたぞ!」
ジークがニヤニヤしながら声を上げる。
「……別に、褒めたわけじゃない」
「いやいや! お前が『悪くない』って言う時は、相当気に入ってる時だろ!」
「……うるさい」
ローグはそう返しながら、黙々と三口目を食べていた。
……うん。
どうやら、本当に気に入ってくれたらしい。
「……さて、カイル様」
その様子を眺めていたエドワードが、静かに眼鏡の位置を直した。
「私にも、その『おしるこ』とやらをいただけますか」
「もちろん!」
僕が差し出した小鉢を、エドワードは興味深そうに見つめた。
「……やはり奇妙ですね。豆を汁物として甘く煮るなど、王都の高級菓子店でも見たことがありません」
「また豆か、って思ってる?」
「……否定はいたしません」
「ははっ!」
エドワードは静かにスプーンを口に運んだ。
ひと口、ふた口。
喉を通ると同時に、眉間の皺がすっと伸びていく。
「……なるほど」
「どう?」
「……不思議な味ですね。あんぱんの餡とは異なり、汁と一緒に味わうことでルージュ豆の風味が際立つ。温かい甘味というのは、冬の冷えた身体には思いのほか心地よいものです」
「でしょ!? これなら冬のノルデンでもいけると思うんだ!」
「ええ。ですが……」
エドワードはスプーンを置くと、手元のメモ帳を開いた。
「商品化にあたっては、いくつかクリアすべき課題があります。……まず、提供方法です」
「提供方法?」
「ええ。あんぱんと違い、汁物は持ち歩きに向きません。露店や店先で食べるための場所が必要になります」
「あ……そうか。歩きながら食べる、というわけにはいかないもんね」
「さらに、燃料費です。常に温かい状態で提供し続けるとなると、薪や保温魔導具の費用が原価に跳ね返ってきます」
「うぐっ……相変わらず鋭い指摘……」
思わず唸る僕に、エドワードは小さく微笑んだ。
「ですが、先ほどローグ殿が仰っていた『外で働く者』への需要は、検討する価値があるでしょう」
「……うん!」
「例えば、冬の間に仕事が減る建設作業員や、遠方からやってくる冒険者のための『休憩所』と組み合わせるのはいかがですか?」
「休憩所……?」
「ええ。マティアスの件で影響を受けた小規模な飲食店に、おしるこのレシピを提供するのです。冬季限定の甘味茶房として営業してもらえば、空いている店舗の活用にも、新たな収入源にもなり得ます」
「なるほど……!」
「ただし、設備の貸与や開業支援は、採算が確認できてからの話ですが」
「……はい」
釘を刺された。
けれど、エドワードの言う通りだ。
美味しいからといって、必ず売れるとは限らない。
僕たちは、それを嫌というほど学んできたのだから。
……でも。
休憩所。
温かい甘味。
外で働く人たち。
ふと、僕の頭に新しい思いつきが浮かんだ。
「……あ! ねえ、それなら——レインの荷台を使った移動販売も考えようよ!」
「……移動販売、ですか?」
「うん! 大きな保温鍋を載せて運べば、街の中だけじゃなく、郊外で働いている人たちにも温かいぜんざいを届けられるじゃないか!」
僕の提案に、室内が一瞬静まりかえった。
「……ほう。荷台を使った移動販売、ですか」
エドワードが興味深そうに眼鏡の奥の目を光らせる。
「店舗に来られない農家や郊外の現場へ、自ら赴く……一理ありますね」
「だろ!? 冬支度で忙しい農家の人たちや、寒空の下で働いてくれている人たちにこそ、身体の芯から温まってほしいんだ!」
「……なるほど」
エドワードは顎に手を当て、しばらく考え込んだ。
「固定店舗を持てない新米の商人たちに、荷台を貸し出すという方法も考えられますね。初期投資を抑えた商売の機会を作れるかもしれません」
「そうそう! それ!」
「ただし、鍋の固定方法と保温魔導具の魔石消費量は確認が必要です。荷台が揺れて、中身がこぼれては元も子もありませんから」
「あっ……確かに!」
「それに、レインに頼りきるわけにもいきません。ほかの輸送業務との調整も必要でしょう」
「……うん。そこも考えなきゃね」
エドワードは呆れたように肩をすくめながらも、どこか楽しそうにメモを取っていた。
「……まったく。甘味の話から、雇用と郊外への移動販売にまで発想を広げるとは。相変わらず恐ろしいお人だ」
「おいおい、エドワード!」
ジークがニヤニヤしながら肩を叩いた。
「お前、なんだかんだでカイルの突飛な発想を形にするの、めちゃくちゃ楽しんでねぇか?」
「……仕事の効率化を図っているだけです」
「またまたぁ!」
「ジーク殿。無駄口を叩いている暇があるなら、移動販売ルートの治安について、ローグ殿と相談していただけますか」
「うげっ! 相変わらず容赦ねぇな、『先生』は!」
「……俺も巻き込むのか」
ローグが小さく呟く。
「ええ。警備隊のご意見は重要ですから」
「……分かった」
そう答えると、ローグは残っていたぜんざいを静かに食べ終えた。
その様子に、僕は思わず笑ってしまった。
けれど——。
「……ただし、カイル様」
エドワードが、メモ帳をパタンと閉じた。
「今お話ししたのは、あくまで構想です。いきなり街中に店を出したり、荷台を走らせたりするのはおやめください」
「……うっ」
「まずは一か所。販売数を限定し、材料費と燃料費、売れ残りまで記録する。その結果を見てから、次を考えるのです」
「……はい、エドワード先生」
「よろしい」
そのやり取りに、ジークが腹を抱えて笑い出した。
「ガハハ! カイルにも、ようやく手綱を握る奴が現れたな!」
「ふふっ。本当に、頼もしい先生ですこと」
リーザまで楽しそうに笑っている。
「……僕、そんなに無茶してたかな?」
「「「していました」」」
リーザ、ジーク、エドワードの声が見事に重なった。
ローグまで、無言で頷いている。
「……そこまで!?」
みんなの笑い声が、温かい湯気とともに執務室を満たしていく。
窓の外では、冷たい風が落ち葉を巻き上げていた。
ノルデンの長い冬が、もうすぐやってくる。
街の課題も、まだまだ山積みだ。
けれど、今は一人で答えを出さなくてもいい。
誰かの何気ない一言が、新しい商売のヒントになる。
……それが、なんだかとても嬉しかった。
今年のノルデンの冬は、きっと去年とは違う。
まずは、小さな一杯から。
僕たちの新しい挑戦と冬支度が、静かに動き始めていた。




