第15話 種まきの価値
「まずは、普通のクッキーを売るんだ。そして……買ってくれた人にだけ、これを無料で渡そう」
僕が提案したのは、商品を買ってくれた顧客に対する『おまけ』としての配布作戦だった。
「はい、お買い上げありがとうございます! こちら、今試作中の新しいお菓子なんです。よかったら召し上がってみてください!」
リーザが笑顔で普通のクッキーを包み、その横に『ルージュクッキー』を一つ添えて差し出す。
「ん? なんだいこれ」
「新しいクッキーです!」
客の冒険者は一瞬、怪しむように凝視したが——。
「まあ……タダならもらっていくか。損はねえしな」
そう言って、ポケットに放り込んで店を出て行った。
「いいんですか、カイル様……?」
無料で作ったクッキーがそのまま去っていくのを見送りながら、リーザが不安そうに僕の顔を覗き込む。
「せっかく二人で心を込めて作ったのに、あんなふうに雑に扱われて……」
「……いいんだ、リーザ。今は、種を撒く時期なんだよ」
僕は去っていく冒険者の背中に視線を向けたまま、静かに拳を握りしめた。
「味には絶対の自信がある。商品として買わせるには心理的な負担が高くても、無料なら口に入れてもらえる機会が生まれる。僕たちが買っているのは、クッキーの代金じゃない……『一度食べてもらうための機会』なんだ」
それから、僕たちの地道な「種まき」の日々が始まった。
狙い目は、もちろん街に立ち寄る冒険者たちだ。
彼らは一度ダンジョンや街道に出れば、数日間は過酷な環境で過ごす。軽くてかさばらず、お金もかからずに手に入るエネルギー源。中には「いらない」と断る偏屈な者もいたが、大半の冒険者は「タダなら」と受け取っていった。
毎日毎日、試作のルージュクッキーを焼き、買いに来た客へおまけとして渡し続ける。
利益の出ない地道な作業に、周囲からは「領主様が酔狂なことをしている」と呆れられることもあった。
だが——僕には分かっていた。
前世でも、新しい文化や市場を作るときには、必ずこうした泥臭い「初期投資」が必要だったのだから。
そして、種を撒き始めて数週間が過ぎた、ある日の夕方。
領主館の執務室で帳簿をつけていた僕の元に、机の上の通信用魔道具が猛烈な勢いで光り輝き、けたたましい警告音を響かせた。
「……ッ!? なんだ!?」
僕が急いで魔道具の応答ボタンを押すと、スピーカーの向こうから、息を激しく切らしたパン屋の店主の叫び声が飛び込んできた。
『た、大変だ! カイル様!! すぐに……すぐに店に来てくださいッ!!』
「店主さん!? 一体何があったんだ!?」
『冒険者どもが……! 冒険者どもが店に押し寄せてきて、とんでもないことになってるんだよッ!!』




