第30話 招かれざる結晶
ガルシアが王都で高笑いを浮かべていた頃。
ノルデン領主館の地下倉庫で、僕は言葉を失って立ち尽くしていた。
「……嘘だろ……」
目の前に広がるのは、薄暗い倉庫の床一面を埋め尽くす、魔石の山。
ランタンの光を受けて、無数の結晶が怪しく輝いている。
(なんたこれ……!?)
冬の寒さが本格化する前に、ぜんざいを保温するための『小型魔導炉』を試作していた時のことだ。
「もっと効率よく熱を保てる魔導炉があれば、露店の人も、移動販売で畑を回る人たちも助かるのに……」
そう強く念じながら魔力を注ぎ込んでいたら、ふっと意識が遠のき——気がついた時には、この有様だった。
だが、問題は量だけではない。
(……おかしい。僕の体質では、どんなに無理をしても『高品質の魔石十個』が限界だったはずだ)
なのに、目の前に転がっているのは数十個以上の魔石。
しかも、澄み渡った高純度のものだけでなく、濁りのある不揃いな低品質の魔石まで混ざり合っている。
(あの日、過労で倒れて意識を失っている間に……体質が変わったのか? それとも、品質の制御すら利かなくなっているのか……?)
背筋を冷たい汗が伝う。
便利な能力強化などではない。
自分の身体の中で、魔力の制御が効かなくなっているという、得体の知れない異変。
その不気味な恐怖に、胸が締め付けられる。
(……魔石は、ただの便利な石じゃない)
この国では、魔石が通貨の価値を支えている。
もし僕が、これを際限なく生み出せるようになったのだとしたら。
……それは、ノルデンが豊かになるというだけの話では済まない。
市場に流れ込む魔石が増えれば、価格が変わる。人々が魔石の価値を疑い始めれば、貨幣そのものへの信用が揺らぐかもしれない。
(……金を増やすことと、豊かさを増やすことは、同じじゃない)
僕は目の前の結晶を見つめながら、ようやく理解した。
これは、贈り物なんかじゃない。
……使い方を誤れば、国を揺るがす力だ。
冷や汗を流しながらも、僕は首を振った。
(……ダメだ。一人で抱え込んじゃダメだ)
◇
数分後。
鍵をかけ直した地下倉庫の中に、三人の影が集まっていた。
「……おいおい、マジかよ」
ランタンの光に照らされた魔石の山を見渡し、ジークが呆然と声を漏らした。
僕の護衛として幾多の修羅場を潜ってきた彼は、しゃがみ込むと、大ぶりの高品質魔石を一つ掴み取った。
「……」
ジークはそのまま深く沈黙し、手の中の魔石を険しい目で見つめている。
この高純度の結晶が秘める力と危険性を、戦いの経験から感じ取っているのだろう。
一方、警備隊長として領内の治安と防衛を担うローグは、足元から小さな濁った魔石を静かに拾い上げた。
「……カイル、これは低品質だな」
「え……?」
「澄んだ高純度のものだけじゃない。濁りのある、一般的な低純度の魔石も交ざっている」
ローグは手の中の魔石を観察しながら、冷静に言った。
「……低品質の魔石なら、どこかの鉱山から買ったことにすれば——」
「いけません」
エドワードが、その言葉をきっぱりと遮った。
「存在しない仕入れを帳簿に記載すれば、それは虚偽の会計処理です。私がかつて犯した過ちを、あなた方に繰り返させるわけにはいきません」
「……では、どうする?」
ローグが尋ねると、エドワードは眼鏡の位置を直した。
「まずは数量と品質、生成された経緯を正確に記録することです。出所を偽って処理することだけは、決して認められません」
「……待てよ、エドワード」
ジークが、ふと眉をひそめた。
「これ全部、申請しなきゃいけねえってことか? ……いや、冒険者だった頃にそんなことした記憶ねえぞ!?」
彼は腰に下げた魔道武器を軽く叩いた。
「そもそも、魔道武器を使うには魔石が必要だろ? 冒険者なんて、採掘場や魔獣から手に入れた魔石を普通に使ってるぜ?」
「ええ。それは当然です」
エドワードは落ち着いた様子で頷いた。
「低品質から中級程度の魔石で、なおかつ数個程度の個人的な採取や使用であれば、原則として申請の必要はありません」
「だろ!? じゃあ、これだって——」
「……ジーク殿」
エドワードは、床一面に転がる魔石の山を指し示した。
「これが、数個に見えますか?」
「…………」
ジークは魔石の山を見つめた。
「……見えねえな」
「でしょうね」
エドワードは小さく息を吐いた。
「問題は数量と品質です。これほど大量の魔石、それも高品質のものが含まれているとなれば、通常の冒険者による採取とは事情が異なります」
「……なるほどな」
「さらに、ノルデンには現在使われていない鉱山があります。もし、この魔石の存在が知られれば、無届けで採掘を再開したのではないかと疑われる可能性もあります」
「……あっ」
僕は思わず声を漏らした。
「でも、実際には鉱山から採ったわけじゃないんだよ?」
「ええ。だからこそ、採掘したことにしてはいけないのです」
エドワードはきっぱりと言い切った。
「生成された魔石であることと、鉱山から採掘された魔石であることは、法的にも会計上も別の問題です。まずは事実を正確に記録し、申告や登録が必要になる条件を確認しましょう」
「……そっか」
僕は改めて、魔石の山を見つめた。
低品質のものなら、露店の保温魔導具に使えるかもしれない。
高品質のものなら、もっと大きな力を生み出せるだろう。
でも、それを無計画に使えば、新しい問題を引き起こしてしまう。
「……じゃあ、この魔石は全部、使えないってこと?」
僕が尋ねると、エドワードは首を横に振った。
「いいえ、カイル様。すべての魔石が使えないというわけではありません」
「えっ?」
「個人で使うぶんには問題ありません。魔道武器の動力として使用する程度であれば、原則として申請は不要です」
「だろ!? 俺も冒険者だった頃、いちいち申請なんかしてなかったぜ!」
ジークが得意げに胸を張る。
「ええ。ですが、ジーク殿」
エドワードは再び、床一面に広がる魔石の山を指し示した。
「個人使用が認められることと、これほど大量の魔石を無条件に流通させられることは、まったく別の話です」
「……ああ、なるほどな」
「高品質の魔石を個人の魔道武器に使用すること自体は問題ありません。しかし、商業目的で大量に販売したり、領の公的資産として配分したりするなら、別途確認すべき規定があります」
「じゃあ……みんなの武器に使う分には?」
「ええ。適切に管理するのであれば、十分に検討できるでしょう」
エドワードは静かに微笑んだ。
「……せっかくの力です。使い道まで恐れる必要はありません。ただし、使い方は選ばなければなりません」
「……うん」
その言葉に、少しだけ胸の奥が軽くなった。
ジークが手にしている高品質の魔石。
ローグが拾い上げた低品質の魔石。
そして、エドワードの冷静な判断。
同じ魔石でも、品質や使い方によって、その意味は大きく変わる。
「……カイル様」
エドワードが真剣な眼差しで僕を見つめた。
「まずは、この魔石群を厳重に隔離します」
「……うん」
「数量、品質、生成された経緯。判明している事実はすべて記録する。ただし、その記録を閲覧できる者は最小限に限定します」
「……帳簿には?」
「公的な資産として扱う必要があるかも含め、法的な整理が必要です。少なくとも、存在しない取引を記載したり、記録そのものを消したりすることは認められません」
エドワードの声には、揺るぎない決意があった。
「……隠すべきは、外部への情報です。真実そのものではありません」
「……分かった」
「それから、カイル様」
「ん?」
「魔石の扱いだけではありません。なぜ突然これほどの量が生成されたのか、原因を調べる必要があります」
「……ああ」
「以前、過労で倒れたことも忘れてはなりません。原因が分かるまで、無理な生成実験は控えていただきます」
「……はい」
「必ず、ですよ?」
「……はい、エドワード先生」
ジークが吹き出した。
「ガハハ! また先生に叱られてやがる!」
「……笑い事じゃないだろ、ジーク」
ローグが静かに呟く。
「分かってるって。……でもよ」
ジークは笑みを収め、手の中の魔石を見つめた。
「こいつがどんな力を持っていようと、カイルが倒れちまったら意味ねえからな」
「……ジーク」
「だから、無茶すんなよ。俺たちだっているんだからさ」
ローグも、小さく頷いた。
「……ああ。一人で抱える必要はない」
エドワードは何も言わず、静かに眼鏡の位置を直した。
けれど、その表情はどこか穏やかだった。
「……ありがとう、みんな」
僕はもう一度、目の前に並ぶ魔石の山を見つめた。
美しくも恐ろしい、無数の結晶。
今はまだ、これが何を意味するのか分からない。
ただ一つ、確かなことがある。
魔石は、ただ生み出せばいいものじゃない。
誰のために、何のために、どう使うのか。
それを間違えれば、どれほど便利な力でも、人々の暮らしを壊してしまう。
……だからこそ。
(この力を、ちゃんと使えるようにならなきゃ)
窓のない地下倉庫に、冷たい静寂が満ちていた。




