第26話 エドワードの内心
私は、ロッセ伯爵家の嫡男だった。
いずれ父の跡を継ぎ、伯爵となるはずだった。幼い頃からそう教えられ、私自身もそれを疑ったことはなかった。
だが、それも過去の話だ。
婚約者の告発によって不正が明るみに出た私は、廃嫡された。父からは勘当を言い渡され、王国からは五年間の王都追放を命じられた。不正で得た財産は没収された。
唯一、手元に残ったのは古い懐中時計だけ。
十歳の誕生日に父から贈られたもの。銀の蓋には、かつての私の名が刻まれている。
没収を担当した役人は「売ったところで価値もなかろう」と一瞥して鼻で笑った。だからこれだけは奪われなかった。
刻まれた名前に、もう何の意味もないというのに。
◇
【真偽判定】。
それが私に与えられたスキルだった。
言葉や情報の真偽を見極める力。万能ではないが、使い方次第で人を助けられる能力だった。
私は、その力を誇りに思っていた。
取引の不正を見抜き、帳簿の横領を暴き、契約内容を理解していない職人を引き止めた。感謝されるたびに自分の力が誰かの役に立っていると嬉しかった。
……いつからだろう。感謝よりも手に入る金額を気にするようになったのは。
相手の嘘を見抜き、有利な条件を引き出す。都合の悪い事実を隠し、相手に誤った理解をさせる。明確な嘘を避ければ、後で言い逃れもしやすい。私はそれを巧みに利用した。
取引が成立するたびに金が懐に入り、胸の奥に熱いものが込み上げた。金が増え、人が頭を下げる。自分は賢いのだと思い込み、言い訳を重ねるうちに、かつて何のためにこの力を使おうとしていたのかさえ忘れていった。
私を告発したのは婚約者だった。
隠していた不正が次々と明るみに出たとき、すべてを失った。
彼女を恨まなかったと言えば嘘になる。だが、答えは分かっていた。彼女が悪かったのではない。私が信頼を裏切ったのだ。
父は最後まで顔を見ようとせず「二度と敷居をまたぐな」と言った。ロッセ伯爵家は今もあの屋敷にあるが、そこに私の居場所はなかった。
◇
王都を追われてから数年。
不正を働いた元貴族を雇う者などおらず、日雇いの仕事を転々とした。
荷運び、倉庫の整理、街道の補修。手には豆ができ、冬には指先がひび割れた。
(痛い……ですね。薬が欲しい)
だが、その薬を買う金すら惜しかった。
ノルデンという土地の名を聞いたのは、街道沿いの倉庫で荷運びをしていたときだ。
かつて貧しかった土地を、十八歳ほどの若い領主が立て直し、仕事が増えているという。
よくある話だと思った。若い貴族が理想を掲げて資産をばらまいているだけだろう、と。だが、職業紹介所まで作ったという噂が頭から離れなかった。単なる施しなら、そんな仕組みを作る必要はない。
どんな顔をしているのだろう。一目見てみたくなった。
だが、ノルデンへ向かう途中で金が尽きた。
何日も満足に食べられず、冷え込みに震え、開拓地の畑が見えたところで膝から崩れ落ちた。
倒れ込んだ土の上で、懐の中の時計を取り出す。傷だらけの蓋には、かつての名前。
自分は何をやっているのか。笑い話にもならないと思いつつ、意識が遠のく中で金髪の青年の顔を見た。
◇
目を覚ますと、清潔な寝台の上にいた。
助けてくれたのは、あの金髪の青年——カイル・フォン・ヴァルハイト領主本人だった。
体力が戻り、介抱された礼を言って去ろうとした私に、カイル様は落とした懐中時計を差し出した。蓋の裏の名前を見られ、私が王都を追放された罪人だと知られてしまった。
私のような罪人を置いてはおけないだろう。関われば評判に傷がつくと告げ、背を向けた。
だが、カイル様は私を引き止めた。
「責任や罪が消えないことは分かってる……だけど、このままじゃノルデンが悲しむ人で溢れてしまう」
カイル様は悔しそうに顔を歪めていた。
街が賑やかになればみんなが幸せになれると思っていたのに、自分の知らない仕組みのせいで夢を奪われる人がいる。守りたいのに、知らないことが多すぎるのだと。
「僕一人じゃ、全部を知ることも見つけることもできない。……だから、君の力が欲しいんだ」
カイル様は、私に向かってまっすぐに頭を下げた。
罪人であり、行き倒れた男に対して、私の過去を知ったうえで……それでも必要だと、頭を下げてくる。
その切実な思いが、こちらにも痛いほど伝わってきた。
だが……甘い。あまりにも甘すぎる。
だが、このお方は私を軽蔑しなかった。罪は消えないと告げたうえで、ただ助けを求めてくれた。
「……分かりました」
私は眼鏡の位置を直し、覚悟を決めた。このお人好しな領主の「悲しむ人を増やしたくない」という願いを、実現可能な制度へ落とし込む手助けをしようと。
◇
そして今、私はノルデンの簡易裁判所にいる。
争われているのは、ベルニッツ商会が結んだ設備購入契約の一件だ。
不利益条項の説明が適切になされていたかが争点だった。
向かいに座るマティアス・ベルニッツは、余裕の笑みを浮かべていた。
目の前の男は、かつての自分に似ていた。
契約の仕組みも、人間の欲も知ったうえで利用する。
だが……カイル様は、ただ守りたいだけなのだ。
ならば、私がやるべきことは決まっている。
人を試すためでも、奪うためでもない。今度は、ただ誰かの暮らしを守るために、私は書類を広げた。




