第11話 未知という名の壁
「ふむ……」
領主館の執務室。僕は買い取ってきた冷えたあんぱんを前に、腕を組んでいた。
——売れなかった。
用意したあんぱんのほとんどが、店先に残ったのだ。
「…………」
一つ手に取り、かじる。
冷えてはいる。だが、不味くはない。
小麦の香ばしさもある。ルージュ餡の甘みも悪くない。値段だって、この街の人々がギリギリ手を出せるところまで抑えた。
それなのに——売れなかった。
(なぜだ……?)
悔しかった。たかがパン一つ。そう言ってしまえば、それまでだ。
けれど僕には、そう思えなかった。
脳裏に浮かぶ。荒れた畑を耕した領民たち。土を入れ替え、何度も失敗し、それでも鍬を振るった姿。
『実った……!』
黄金色の小麦を手にして、声を震わせていた農夫。
ルージュ豆の莢を握りしめ、泣いていた老婆。
あの人たちに僕は言ったのだ。「これを売ろう。この土地で育ったものを金に変えよう。そうすれば、来年は今年より少しだけ豊かになれる」と。
(……それを)
僕は、机の上に残ったあんぱんを見つめた。
(「失敗しました」の一言で片づけていいわけがない)
売れなかった。なら、理由がある。
必ずある。僕がまだ、それを見つけられていないだけだ。
「カイル様、お茶をどうぞ」
リーザがそっと紅茶を置いた。
「ありがとう」
僕は額を押さえた。
「……なあ、リーザ。君はどう思う?」
「何を、ですの?」
「このあんぱんだよ。どうして売れなかった?」
リーザは少し考えてから、言いづらそうに口を開いた。
「あの……味は、本当に美味しいと思います。ただ……」
「ただ?」
「わたくしも最初は、食べるのをためらいました」
「……え?」
「だって、見たことのない食べ物でしたもの」
その瞬間。
厨房での光景が、鮮明に蘇った。
『……これを、食べるのですか?』
餡を差し出したときの料理人の顔。僕と小皿を何度も見比べていた。
あれほど露骨に警戒していたじゃないか。
「…………あ」
間抜けな声が漏れた。
(そうだった……!)
僕は頭を抱えた。
(馬鹿か、僕は!)
料理人だってためらっていた。リーザだってそうだ。二人とも僕を知っていたから、最後には口へ運んでくれただけじゃないか。
なのに僕は——。
(美味ければ売れると思い込んでいた……!)
前世から恋焦がれていたあんぱん。
この世界でも作れたことが嬉しくて。領民にも食べてもらいたくて。これが売れれば領地が豊かになると——自分にとって都合のいい未来ばかり見ていた。
肝心の「買う人間」の気持ちを、まったく見ていなかったのだ。
「……くそっ」
ドンッ!
「カイル様!?」
拳を机へ叩きつける。
「考えろ……」
売れなかったから、やめる? 冗談じゃない。
畑で流された汗も、実った作物を見て流された涙も、全部無駄になんてさせるものか。
「考えるんだ……!」
売れないなら、売れない理由を探せ。
食べたことがないから、怖い。
知らないから、買えない。
……なら。
(まず、知ってもらえばいいんだ……!)
そこで、僕はパッと顔を上げた。
「リーザ!」
「は、はいっ!?」
「ありがとう! 君のおかげで分かった!」
「え? ええっ!?」
驚くリーザをそのままに、僕は残ったあんぱんをまとめて立ち上がった。
「市場へ行くぞ! 今度は『売る』んじゃない——『食べてもらう』んだ!」




