番外編 ノルデンの刻印
秋の収穫祭を控え、ノルデンの街は日に日に活気を増していた。
パン工房でも新商品の試作や準備が進む中、カイルは魔道具工房を訪れた。
「……ねえ、クロウさん。これ作れないかな?」
机の上に広げられた紙には、桜の花びらにも似た五枚の葉を円形に並べ、中央に小麦の穂を配した図案が描かれていた。
「紋章、ですか?」
「うん。最近、あんぱんを領外へ持っていく商人も増えてきただろ? 遠くの街でもひと目でうちのだと分かるように、パンの表面に焼き印をつけたいんだ」
紙を覗き込んだクロウが「面白いな」と頷く。
「焼き印なら、金属を加工すれば作れるぜ。ただ、ひとつずつ手で押すとなるとな……」
「そこなんだよね。……魔道具で自動的に押せたりしないかな?」
その問いに、クロウの眼鏡がきらりと光った。
「魔石から動力を供給し、一定の間隔で焼き印を下ろす仕組みにすれば……できるかもしれねぇ!」
「一度に何個も押せたら、もっといいよね!」
「複数の焼き印を連動させよう!パンの大きさに合わせて位置を調整する機構も組み込む!」
「焼き色に合わせて押す強さも変えられたら最高だよね、クロウさん」
「感知用の魔術式を追加すれば……!」
二人の会話は瞬く間に熱を帯びた。
最初は小さな焼き印だったはずの構想は、いつの間にかパンを自動識別して位置を合わせ、完璧な焼き加減で印を押す、大がかりな自動魔道装置へと姿を変えていた。
「よし、さっそく試作しよう!」
「はい!」
「……あの」
工房の隅から声がした。
作業台で細かな部品を調整していたフィンが、疲れ切った顔で二人を見つめている。
「それ、いつまでに作るつもりなんですか?」
「収穫祭までにできたらいいなと思って」
「……収穫祭まで?」
フィンの手が止まった。
「あと何日あると思ってるんですか。そこは頑張ればって言うつもりですか?」
「どうしたんだよ! フィン!」
「いい加減にしてください!」
工房に、普段のフィンからは想像もつかない怒声が響いた。
カイルとクロウは揃って肩を跳ねさせる。
「難しすぎます! ノルデン引換券のときだって無茶苦茶だったのに、思いつくたびに機能を増やして……! 結局、現場で細かい調整をするのは僕なんです! 位置合わせだけでも大変なのに、識別機能に焼き色感知? しかも収穫祭までに!?」
一息に捲し立て、フィンは肩で息をした。
静まり返る工房で、カイルが気まずそうに頭を下げる。
「ご、ごめん……熱くなりすぎたよ」
「……俺も、配慮が足りなかったぜ、フィン」
だが、フィンの表情は硬いままだった。
「それだけじゃないんです。農家から預かっている魔道農具の修理も、製粉所から頼まれた装置の点検もまだ終わっていません。どちらも先に約束していた仕事です」
フィンは作業台に積まれた部品に視線を落とし、低く呟いた。
「僕だって、新しいものを作るのは楽しいです。でも……今ある仕事を放り出してまで、今日作らなきゃいけないものなんですか?」
カイルは言葉を失った。
特産品に印をつけるのは街のためになる。そう思っていた。
けれど実際は、自分が面白がっていただけだ。職人たちが抱える現場の状況も、納期までの日数も何ひとつ考えていなかった。
(僕は何をやってるんだ)
領主である自分が頼めば、職人たちは無理をしてでも断らない。その立場を、無意識に利用していた。
「……ごめん、フィン。僕が間違っていた」
カイルはもう一度、きちんと頭を下げた。
「現場の状況を聞くのが先だった。勝手に締め切りを決めて走らせてしまって本当に申し訳ない。焼き印の装置はいったん中止だ。まずは約束している仕事を優先してくれ」
「……そうだな。俺も熱くなっちまったぜ」
クロウも合わせると、フィンは小さく息を吐いた。
「……分かっていただけたならいいです。でも」
フィンは困ったように苦笑した。
「焼き印のアイデア自体はいいと思いますよ。最初は手で押すだけの簡単な金型でいいじゃないですか。それなら複雑な魔術式もいりませんし」
カイルとクロウは顔を見合わせた。
「……あ」
「……確かに」
「最初からそれでよかったんじゃ……」
「だから! 最初からそう言ってるんです!」
◇
その日の夕方、領主館の執務室でカイルは深く椅子に沈み込んでいた。
「どうなさったのです?」
書類を整理していたリーザが顔を上げる。
「今日、フィンにすごく叱られちゃってさ……」
昼間の出来事をぽつぽつと打ち明けた。街のためと言いながら、ただ自分が楽しんでいただけかもしれないこと。職人の負担を何も考えていなかったこと。
「僕、まだまだだな」
「間違えたことをなかったことにはできませんわ。大切なのは、これからどうするかではありませんか?」
リーザはカイルの隣に腰を下ろし、優しく静かに告げた。
「フィンさんがきちんと意見を言ってくださったのは、それだけ真剣に仕事に向き合っているからです。そしてカイル様も、その言葉を誤魔化さずに受け止められた。それはとても素晴らしいことですわ」
「……明日、もう一度工房に行って、今の仕事の予定を聞いてくるよ。これからは新しい開発を頼む前に、現場に無理がないか相談する」
「ええ、それがよろしいと思います」
リーザが微笑み、そっと手に自分の手を重ねてきた。カイルはその手を握り返しながら、小さく息を吐く。
失敗は悔しい。けれど、間違っていると正面から叱ってくれる部下がいて、それを持ち帰って整理できる場所がある。
領主として、それはきっと幸福なことなのだと思えた。
◇
翌朝、カイルが再び工房を訪れると、フィンは既に農具の部品を磨いていた。
「フィン、おはよう。昨日は本当にごめん。今日は今抱えている仕事の予定を教えてほしくて来たんだ」
フィンは驚いたように目を丸くしたあと、嬉しそうに頷いた。
作業台の部品を指差しながら説明するフィンの声に、カイルとクロウは真剣に耳を傾ける。ひと通り聞き終えたところで、カイルが切り出した。
「それで、焼き印の件なんだけど……」
「ま、また何か思いついたんですか?」
「ち、違うよ! 手で押すだけの簡単なやつを、今の仕事が落ち着いたあとに作れないかと思って」
フィンは胸を撫でおろした。
「それなら大丈夫です。余った金属を加工するだけですから、すぐできますよ」
「よかった」
カイルが安堵の息をついた、その時だった。
「……ただよ」
クロウが顎に手を当てて呟いた。
「手動式でも、押す力を均一にする簡単なテコ機構くらいなら……いけるんじゃなねぇか?」
「……師匠?」
フィンの声が冷たく響く。
クロウはスッと視線を逸らし、静かに口を閉じた。
「……なんでもねぇ」
「うん、まずは普通の焼き印にしよう」
カイルも慌てて同意する。フィンは呆れたように二人を見比べ、深々とため息をついた。
「本当に頼みますよ?」
苦笑混じりの返事に、小さく笑い声が弾けた。
ノルデンの新しい焼き印作りは、今度こそ正しい一歩を踏み出したのだった。




