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第8話「推測する女神」

 風の神殿の昼下がり。


 シルフィが礼拝堂への回廊を歩いていると、中庭に集まった若い女性信徒や侍女たちが、花が咲いたように黄色い声を上げているのが聞こえてきた。




「ねえ、見た!? 今朝のユーロス様!」

「見た見た! 剣の稽古で汗を流してらっしゃる姿、本当に絵画みたいだったわ……!」

「それに、お優しいのよね。昨日も重い荷物を運んでくださって……」


 彼女たちの視線の先、修練場の隅には、他の騎士たちと談笑するユーロスの姿があった。


 長身で鍛え抜かれた体躯、精悍な顔立ち、そして誰に対しても分け隔てなく向けられる爽やかな微笑み。

 なるほど、年頃の娘たちが色めき立つのも無理はない、とシルフィは回廊の陰から冷静に頷いた。


「あら、シルフィ様」


 信徒の一人がシルフィに気づき、ぱぁっと顔を輝かせた。


「シルフィ様もそう思われませんか? ユーロス様、本当に素敵ですよね」

「ええ、そうですね。剣の腕も確かですし、非常に優秀な騎士だと思いますよ」


 シルフィは完璧な女神のごとき微笑みで同調した。


(私に対しては、毎朝頭のネジが吹き飛んだような求婚をしてきますが)


 という内心のツッコミは、そっと胸の奥にしまっておく。


「あんなに素敵な方なら……やはり、恋人はいらっしゃるのでしょうか?」


 もじもじと頬を染めながら尋ねる信徒の言葉に、シルフィは思わずピタリと動きを止めた。


「……さあ。どうでしょうかね」


 ふんわりと受け流して、シルフィは視線を外し、黙った。


(ユーロスに、恋人……?)


 常識的に考えれば、彼ほどの優良物件が手つかずである方が不自然だ。

 だが、彼は毎朝欠かさずシルフィの前に現れ、「結婚してください」と大真面目に言い放つ。

 もし彼に恋人がいるのなら、あのような重すぎる求婚を別の女性に繰り返すのは不誠実の極みである。ユーロスはそんな不義理をする男ではない、とシルフィの分析は告げていた。


(……ということは、やはり彼には恋人がおらず、私へのあの求婚は『本気』ということになります。……いいえ、計算が合いません)


 シルフィは内心で小さく首を横に振った。


 十以上も年上で、とうに女としての盛りを過ぎた自分に、あのような前途有望な若者が本気で恋をするわけがない。

 では、あれはやはり過剰な崇拝がこじれた結果の奇行?

 それとも若さゆえの質の悪いからかい?


 しかし、もしからかいだとしたら、裏で可愛らしい恋人を作っていてもおかしくはない。


(あの子が、誰か別の女性の隣で笑っている……?)


 そう考えた瞬間――

 胸の奥が、ちくりと痛んだ。


「……え?」


「……シルフィ様?」


 無言で立ち尽くす彼女を不思議そうに覗き込む信徒の声に、シルフィはハッと我に返った。


「っ……あ、いえ。なんでもありませんよ。彼のことは、私にはよくわかりませんから」


 足早にその場を立ち去りながら、シルフィは胸元をそっと押さえた。


 おかしい。


 他人の恋愛事情など、これまで気にしたことなど一度もなかったのに。


(なぜ、ほんの少しだけ……気になってしまったのでしょうか)


 仰いだ秋空には、風が引いた細い雲が、一本だけ残っていた。




「あ、シルフィ様!」


 回廊の角を曲がった瞬間、話題の張本人が目の前に現れた。


 ユーロスである。


 彼はシルフィの姿を捉えるなり、いつものように純粋な忠犬のような顔になり、優雅に片膝をついた。


「シルフィ様。今日のあなたも、慈愛に満ちたその気高きお姿が、ダイタニアの太陽よりも尊く輝いております。どうか、私と結婚を――」


「……恋人、いるのですか?」


 シルフィの口から、思考のストッパーを通り越して、先ほどの疑問がぽろりとこぼれ落ちてしまった。

 しまった、と思った時にはもう遅かった。


 ユーロスは一瞬きょとんとした後、真っ直ぐな瞳を彼女に向けると、周囲の神官たちが振り返るほどの声量で叫んだ。


「いるはずがありません!! 私の心も身体も、そして未来永劫の魂の伴侶も、この世界にシルフィ様ただお一人です!! ああ、私のことを気にかけてくださるなんて……! ついに愛が通じたのですね!? 今すぐ結婚式の手配を……ッ!」

「しません」


 秒で真顔に戻り、シルフィは極めて流麗に即答した。


「なぜですかシルフィ様ァ!?」

「声が大きいです。下がっていなさい」


 大真面目に騒ぐユーロスを冷たくあしらい、彼女は衣服の皺を払って靴を鳴らして歩き出す。


 相変わらずの、少し頭のネジが外れた新米騎士。


 けれど、彼に背を向けて歩くシルフィの顔は、ほんの少しだけ、柔らかく綻んでいたのであった。

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