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第3話「女神と新米騎士」

 心地よい微風が吹き抜ける朝の神殿の回廊。


 シルフィは、今日も完璧な『慈愛の風の柱』としての微笑みを浮かべながら、朝の祈りのため礼拝堂へと向かっていた。


「おはようございます、シルフィ様。今日の御髪も夏の若葉のように美しい。結婚してください」


 回廊の角から現れたのは、配属されたばかりの新任騎士、ユーロスだった。

 純白の騎士服に身を包み、朝陽を背負う彼は、まるで絵物語から抜け出た王子のように優雅に片膝をつき、息をするように求婚してきた。


「おはようございます。しません」


 シルフィは歩みを止めることなく、極めて流麗に、そして即座に言い放った。その眉間には若干の皺を寄せながら。


「……分かりました。では、せめて朝の祈りの護衛はお任せを」


 即座に断られたことなど全く気にしていない様子で、ユーロスは立ち上がり、主人の後ろを歩く大型犬のように、シルフィの斜め後ろにピタリと付き従う。

 彼の登場に、すれ違う神官や侍女たちが足を止め、ひそひそと黄色い声を上げていた。


 無理もない。ユーロスは配属されて数日にして、すでに神殿中の話題をかっさらっていた。




 圧倒的な長身と、鍛え抜かれた厚い胸板。彫刻のように整った精悍な顔立ちに加え、若手でありながら剣術も魔力操作も神殿騎士団で随一。

 誰に対しても紳士的で、非の打ち所がない若き英雄候補なのだ。


(なぜ、あんなにも優秀で前途有望な若者が、毎朝あのようにからかってくるのでしょうか……)


 シルフィは前を向きながら、内心で静かに首を傾げていた。


 彼ほどの男なら、若くて可愛らしい令嬢がいくらでも寄ってくるはずだ。

 十以上も年上で、恋愛からはすっかり遠ざかった自分など、どう考えても恋愛対象に入るはずがない。

 シルフィは、枯れ葉が枝から地まで落ちる隙間の時間で、そう結論づけていた。


 彼の一見すると熱烈な求婚は、若さゆえの質の悪い冗談か、さもなくば、柱に対する過剰な崇拝が少々おかしな方向にこじれてしまっているだけだろう、と。


「シルフィ様、階段です。お手を」

「一人で歩けますから、結構です」

「では、せめてこのマントを床に敷かせてください。あなたの尊い足裏を汚すわけにはいきません」

「やめなさい。神殿の床は毎朝清められています」


 彼は大真面目に、心底シルフィを崇拝し、案じてくる。

 そのスマートでありながらどこかズレた過保護ぶりに、シルフィは「優秀だけれど、少し頭のネジが外れた新人が入ってきてしまった」と内心でため息をつきつつ、表面上は完璧な女神の微笑みを崩さなかった。




 礼拝堂での祈りを終え、シルフィは日課である大書庫での調べ物に向かった。

 天井まで届く塔のような本棚の前で、彼女は上段にある古い文献を見上げる。


「あの本が必要なのですが……」


 独り言のように呟いた瞬間――

 ふわりと風が舞うようにユーロスが背後に立ち、シルフィの頭上へ軽々と手を伸ばしてその本を抜き取った。


「こちらですね、我が女神」


 爽やかな微笑みと共に、恭しく本が差し出される。

 その所作は洗練されており、間近で見ると同性すら見惚れるほどの美丈夫ぶりだった。


「……助かりました。ありがとうございます」

「あなたのお役に立てるなら、この命など惜しくありません。ですので、今すぐ結婚を……」

「本を取ってもらっただけで命を懸けないでください。そして、しません」


 大真面目に重たい提案をしてくる彼に、シルフィは呆れ顔でピシャリと言い放った。

 本を受け取り、衣服の皺を払うと、何事もなかったかのようにすまし顔を作る。


「今日の護衛はもう十分ですから、持ち場に戻りなさい」


 シルフィは小さくため息をつき、本を抱えて書庫を後にした。

 彼女にとっては、単なる「忠誠心が強すぎて空回りしている厄介な部下」との日常風景。

 しかし、残されたユーロスは、その後ろ姿をどこまでも熱く、そして純粋な憧憬を宿した瞳で見送っていた。


「ああ……。今日も、お声をいただけた……。シルフィ様……」


 鉄壁の風の女神と、ひたすらに誠実で重たい若き騎士。

 二人の嚙み合わない日常は、こうして静かに幕を開けたのである。

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