第2話「女神、求婚される」
十一年の月日が流れた――
現在、三十三歳となったシルフィは、神殿の奥にある私室で、誰にも見せない深いため息をこぼしていた。
(はぁ……。最近、肩の凝りが抜けにくくなりましたね……)
トントンと自身の肩を叩きながら、若草色の長い髪を気怠げに揺らす。
外に出れば、彼女は今でも誰からも慕われる、完璧で美しい『慈愛の風の柱』だ。
だが、一歩私室に入れば、女としての幸せや恋をとうの昔に諦め、孤独な平穏を受け入れた「少しお疲れ気味な独り身の女」の素顔があった。
『コンコン』
ふいに、ノックの音が部屋に響く。
「シルフィ様。本日付で配属された『柱護衛』担当の神殿騎士が、ご挨拶に伺いました」
「ええ、入りなさい」
神殿騎士団副団長の声にシルフィは瞬時に背筋を伸ばし、“お疲れ気味”の顔から、清楚な女神の微笑みへと表情を切り替えた。
重厚な扉が開き、副団長と共に一人の青年が静かに歩み入る。
その瞬間、シルフィは思わず息を呑んだ。
彼女を見下ろすほどの、圧倒的な長身。
純白の神殿騎士の制服の上からでもわかる、分厚い胸板と鍛え上げられた逞しい体躯。
そして何より目を引いたのは、その精悍な顔立ちと、どこまでも真っ直ぐで力強い瞳だった。
(……なんて、立派な青年でしょう)
「二十歳にして神殿騎士となった期待の新人です」
「まあ、二十歳にしてもう」
副団長の言葉にシルフィは口元を手で覆うように驚いてみせた。
彼はシルフィの前まで進み出ると、マントを翻し、優雅に、そして騎士の礼を尽くして片膝をついた。
「本日より配属されました、ユーロスと申します。以後、我が剣と命は、シルフィ様をお守りするために」
「頼もしい方が来てくれましたね。よろしく頼みますよ」
シルフィは完璧な女神の笑顔で応えた。
しかし、青年の熱を帯びた瞳は、シルフィから一瞬たりとも逸らされなかった。
まるで、探検家が長年探し求めていた宝物をようやく見つけたかのような、重く、真っ直ぐな視線。
「シルフィ様。……ずっと、お慕いしておりました」
低くよく響く声で、熱烈な言葉が紡がれる。
だが、柱として長年多くの信徒から好意を向けられてきたシルフィは、これを『熱心な信徒の言葉』として受け取った。
「はい、ありがとうございます」
慈愛に満ちた笑顔で、ふんわりと美しく受け流す。これで終わるはずだった。
しかし、青年は膝をついたまま、その熱を孕んだ瞳をさらに細め、堂々と言い放った。
「結婚してください」
「……お断りします」
シルフィは、一切の表情を崩さずに即答した。
聞き間違いだろうか。
いや、あまりにもはっきりと、しかも初対面の挨拶で求婚された。
しかし、ここで動揺しては柱としての威厳に関わる。シルフィは笑顔のまま、心のシャッターをピシャリと下ろした。
普通なら、ここで諦めるか引き下がるだろう。
だが、血の滲むような努力の末にようやく彼女の御前に辿り着いた一途な騎士は、全くめげる様子を見せなかった。
副団長の慌てる中、さらに闘志を燃やしたように瞳を輝かせる。
「ば、馬鹿者! シルフィ様の御前で何を血迷っておるかっ!?」
「……私の熱意がまだ足りないようですね。分かりました、では毎日お伺いします」
「来ないでください」
シルフィは、額に青筋が浮かびそうになるのを必死に堪えながら、この上なく美しい女神の微笑みでピシャリと撥ね退けた。
「失礼いたします、我が女神シルフィ様」
青年は優雅に一礼すると、清々しいほどの足取りで退室していった。その後を慌てて顔を青くした副団長が追いかけて行く。
『バタン』と扉が閉まり、一人きりになった部屋。
数秒の静寂の後、シルフィは机の上に突っ伏して、両手で頭を抱えた。
「な、なんなのですか、あの子は……ッ!?」
新人騎士の紹介からの、まさかの突然の求婚。
頭の処理が追いつかないので、シルフィは肺の中の空気を全て吐き出すような溜息をついた。
十一年前の『泥だらけの少年』が、とんでもない男になって帰ってきたことなど、彼女はまだ知る由もない。
そして、その日を境に。
シルフィの静かな日常は、少しずつ、けれど確実に風向きを変えていくことになる。




