028話 ~ 新たな〝縁〟
……奇妙な話だ。
知識は増える。
文字列も、演算も、接続された記録も――際限なく流れ込んでくる。
だが、前世だけは増えない。
俺がどこで生まれ、何を見て、何を選んだのか。
そこだけが、切り取られたみたいに欠けている。
……運命ってやつは、案外こういうものなのかもしれない。
転生したところで、結局は誰かの用意した流れに乗せられている。
勇者だの、魔物だの、英雄王だの――好き勝手に役割だけ押しつけられてな。
だったら――せめて思い出したい。
前世の俺を。
どちらにつくにしても、その方が少しは面白そうなのだが。
(これを見てくれ、ラフィウス)
俺がやっているのは、文字列の再配置だ。
並べ替え、接続し、欠けた座標を埋める。
だが――現象として現れているのは、この首都でも高位に分類される魔法らしい。
俺の視界に残っていた情報だけで、昔のルニールの村を再現してみた。
背の低い家々。
花壇。
土の匂いまで、文字列が拾っている。
……なのに。
(爺さんの昔はあるのに、俺の記憶はどこにあるんだ)
《知らないことは言えないのじゃ。すまんが――》
……そうか。
ラフィウスの言葉は、妙に胸に残る。
勇者。
仲間。
助けてくれ。
……もっと知りたい。
ティウィウ。ティウィウ。
……なんだ。
突然、警告音。
再現していたルニールの村が、光の文字列へと分解されていく。
花壇が消え、家々がほどけ、土の色まで書き換わった。
次の瞬間――俺の周囲に転送の文字列。
騎士か。
現れた連中は、馬ですら、毛一本見せないほどの装甲を纏っていた。
全身を閉じた鎧。
その手には――弩。
次の瞬間、光の軌跡を引きながら、幾本もの矢が空間を走る。
照準は俺じゃない。
槍の牢獄に近い。
展開されたのは、楕円形の拘束式。
蜘蛛の巣に似た文字列だった。
だが、ただの高度魔法でしかない。
べたつくはずの糸をかき分ける。
粘着だけを書き換えれば、拘束力はなくなった。
騎士たちの表情は見えない。
「動くな!」
それだけの声なのに、鎧の隙間から荒い呼吸が漏れ出ていた。
そんな騎士たちの背後に、新たな転送の文字列。
(彼らの禁忌にでも触れたか)
「ケヶ……来てみれば珍しい方ではないか。許可は出ていない――ようですよ?」
(あれは、ディザルド)
周囲の騎士とはまるで違う。
今から舞踏会へ向かうような、派手な出で立ちだった。
乗る馬も、一人だけ白馬。
鞍しか付けていない。
そして、俺の顔を笑いながら見ている。
そんな余裕が、油断だと思った。
……違う。
油断だと思えるほどの敵意が、俺に向けられていた。
(思えば初めてか。この世界で、俺に向けられた敵意は……。
では、この記憶は前世のものか)
高い街並みに紛れ、展開されていた文字列に気づかなかった。
巨大な包囲文字列。
重ねられていく演算層を見るだけで、完成すれば厄介なのはわかる。
リーナのような詠唱もない。
(組み立てられていく魔法は、本当に美しい文字列だ)
だが、どこからこの魔法へ命令が流れているのかわからない。
(なら、一箇所だけ書き換えてみればいいか……)
俺が触れた文字列は、エラーとして即座に破棄された。
組み立ては止まらない。
(最後まで組み上がるのを待った方がいいか……)
俺は、狭い空を見上げた。
(……この敵意でも、俺は焦らないのか)
「まあまあ、骨よ。諦めて戻るといい」
ディザルドは笑みを湛えるだけだ。
指も動かさない。
文字列にも触れていない。
(……戻る?)
この長大な文字列は、何度か見た転送式とは違う。
逆数。
円環。
座標軸。
……組み上がっていく構造に、敵意しか含まれていない。
どうやら、強力な物理魔法らしい。
……爆縮か。
その座標軸から逃れるため、俺は四つ足になる。
踏み込んだレンガが砕けた。
その瞬間だった。
遠く離れた文字列が、目に見えない速度で縮まる。
俺は背を反らし、その攻撃を躱す。
だが――脛骨には、文字列が絡みついていた。
この魔法は、何でも圧縮するらしい。
……だからだ。
ほんの小さな穴でも、圧縮された文字列は崩壊した。
想定より、爆風は弱い。
それでも――
辺りの街並み。
相当な質量を持つ騎士たち。
そして、俺
全てが、座標軸から弾き飛ばされていく。
その爆風の中で――
俺を掴む腕があった。
ディザルドの手が、俺の頸椎を掴んでいる。
馬上からぶら下がっている状態だ。
軋む音。
肉があれば、呼吸すら止まっていたかもしれない。
骨を砕くつもりらしい。
「プロトコル様の邪魔はしない方がいい。五大陸の覇者にすらなれる御方ですよ」
(狂信者か。……あるいは、バグ)
「不必要だが、お前の脳ミソもらうぞ」
「……ケケケ」
俺の指が、ディザルドのこめかみへ届いた。
だが、皮膚を赤くするだけだった。
ディザルドが、ニヤッと笑う。
骨の感触までは届かない。
魔法で守られているわけでもない。
文字列はない。
(……人間相手は、やりづらい)
「勇者――様。ケヶ……貴方の時代ではないのですよ」
ディザルドは、頬を緩めた。
「この先、時代を作り上げるのは――プロトコル様だ。実に、美しい」
「俺のことを、勇者と言うのか」
(〝縁〟もない。文字列も操作しない……こいつはなんだ)
「ケヶ……古から語られる、その名前。僕らにとっては、ずっと昔から特別なものですよ」
ディザルドは馬から降りると、俺の首を掴んだまま、頭蓋骨へ拳を振り下ろした。
脳が揺れる。
だが、元から大した量は入っていない。
拳程度で致命傷にはならないだろう。
それより――
ディザルドが、何をしたいのか。
理解できない。
ラフィウスなら、わかるのか。
その瞬間だった。
ディザルドの拳が、俺の頭蓋骨を都市の雑踏へと吹き飛ばす。
胴体だけが、地面へ落ちた。
《ただの人間相手に、何を迷っておる》
(ラフィウス、か)
《余計なことを考えていても、前世は戻らんぞ》
(それがわからないと……俺が、わからなくなる)
《……碌なことをせんな。神というのは》
(この世界にいるのか、神が)
《いるはずなかろう。少なくとも、儂は見たことがない。この運命を弄ぶ何かを、そう呼んでいるだけじゃ》
俺の体が、頭を探し当てたようだ。
近づけば、勝手に引き合う。
《新たな〝縁〟を見つけるのじゃ》
(なんだ、それは)
《お前の中でしか存在できぬ儂じゃが……自分のことは、よくわかっておる。儂とお前、どちらがいいんじゃろうな》
視界が、再び都市へ戻る。
辺りには、大勢の人間がいた。
だが、頭だけの俺に気を止める者はいない。
皆、一心不乱に何処かへ流れていく。
ディザルドが、こちらへ歩いてくる。
人の流れが変わり、辺りには誰もいなくなった。
(新たな〝縁〟とは何だ。ラフィウス)
返事はない。
ディザルドの手には、ウォーハンマー。
俺の硬い骨でも、粉々に砕けそうな質量だった。
だが――
既に振り下ろされたそれを見ていても仕方がない。
俺は、自分の額を正面からぶつけた。
ウォーハンマーの柄が折れた。
鉄塊が飛んで地面に突き刺さった。
俺の頭骨、そのほとんどは無事だった。
ただ、砕けた骨片が弾け、ディザルドの眼窩へ入り込んでいた。
俺の骨が、ディザルドの眼球を潰し、その奥まで届いたようだ。
次の瞬間。
ディザルドの記録が、俺の中へ流れ込んでくる。
細切れ過ぎて、情報としては拾えない。
それでも――
魔物と繋がるものとは違う。
ラフィウスへと伸びる、別の接続が見えた。
(これが……新たな〝縁〟か)




