019話 ~ 未定義の安堵
ガルデッドに、“キルに近い何か”がいる
そう確信して言葉にしたとき、最初にそれを受け入れたのはリーナだった。
クラリスとマダラスもこの場にいたが、信じないというより――
それを一つの変数として評価すること自体を避けているようだった。
「キル……? 何の話だ」
……話は、まとまらない。
前提の同期に時間がかかる。
この城塞都市には、無数の部屋や空洞、池があるらしい。
物理空間の中で分岐する縁。そのどれかが正解なのか。
リーナは少しだけ考えて、すぐに顔を上げた。
「じゃあさ――」
軽く息を吸い込む。
次の瞬間、彼女は歌い出した。
言葉にならない、柔らかな響き。
意味は不明。だが輪郭は保たれる。
空気が、わずかに揺れた。
(そうだ……あの風景が浮かぶ。彼がいるから、意識が保たれる)
他の意識に取り込まれた時も、この響きだけは崩れなかった。
濁流のような外部ログに呑まれかけても、これだけが整合性の基準になっていた。
「ポチぃ、強くなったかな」
リーナが覗き込んでくる。
(骨の反応はある。だが――出力は変わってないようだ)
彼女が歌うこの詩(言葉)は、俺に新たな能力をくれる訳ではないようだ。
「リーナ、すまない。グリッチがどこにいるのか、わからないんだ」
「そっかぁ、全部が読めたわけじゃないから、仕方ないよね」
リーナが口ずさむ、墓地に刻まれていた掠れた詩。
考えてみれば、俺を起こすためなら、あれだけ読めないのはおかしくないか……。
俺はこの世界に転生されて、起こされた。
知性が、混ざりすぎている。
――このままでは、俺が変わる。
(……大丈夫だ)
この歌がある限り。
以前から知っていたはずだ。
だからリーナと一緒にいたのだから。
(俺は間違っていないよな……)
オーバーロードに近い情報の流入に、一瞬だけ視界の同期がズレる。
……わかってる。これが俺だ。この「空っぽ」の骨だ。
「クラリスさん、この歌を知っているんですね。ポチの為に歌って下さい」
……いつの間にか、話が飛んでいた。
そう、気づいた時には、クラリスが歌う流れになっていた。
……リーナ以外に歌われたら、俺はどうなるんだ。
「型が似ているだけだ。お嬢さんに合わせるが、内容は適当だ」
俺の知性が膨らんでいく。
興味と一緒に。
クラリスが歌い出した瞬間、世界の色が変わった。
「……ふぅん」
彼女の歌声は、リーナのそれとは決定的に違う。
リーナが「無垢な共鳴」なら、クラリスの響きは「精密な模倣」。
込められている命令が、違う。
……そして、骨は震えない。
低く整えられた声。
完成度は高い。
だけど、リーナの声じゃないと反応しない。
……何故か、安堵する俺がいた。
「どうポチぃ」
リーナが気にしたが、俺に変わりはないと、首を振った。
そうやって、グリッチと再び会うのを諦める選択肢が浮かんだ時だった。
あれほど複雑に絡まっていた〝縁〟の先が、急にほどける。
(……なぜだ)
縁の先に、それはあった。
「第三宮殿」
黒い両開きの扉。
その向こうは、縁から切り離されている。
見せないのか。
それとも――ここで終端か。
鍵穴から、黒い水がぬるりと溢れ出す。
床に触れた瞬間、それは煤へと変わり、光を吸い込む闇になる。
「いるな――ここに」
俺の骨が、かつてない解像度で「敵」を検知する。
「どうしたの、ポチ?」
リーナが覗き込んでくる。
(……わかるのか)
俺の眼窩からあふれる黒い水が……。
いや、この骸骨の表情でも読み取ったのかもしれない。
「第三宮殿など聞いたことないぞ。マダラス、貴様はこの場所を知っているのか」
まるで問い詰めるように、クラリスが鋭い声で言う。
「ミティーダル……南の広場が、確かそう呼ばれていた気がするな」
マダラスは腕を組み、記憶を探る。
「そこは昔から水没している。――もっとも、お宝目当てに水を抜こうとしたこともあったがな。そんな魔法を持つ者は限られている。結局、諦めたはずだ」
お宝、水没。
マダラスにとってはただの「不採算区画」に過ぎないらしい。
「……水の中に入るつもりか。骨君」
クラリスの瞳に、はっきりとした忌避が浮かぶ。
身に纏った銀の鎧も、内側からわずかに光を帯びていた。
「生者は踏み入るべきではないデッドゾーンだ」
(……生者)
たぶん――俺は、その枠には入らない。
(問題は)
リーナのことか……。
自然と、他の者たちの視線がリーナに集まる。
「あ、みんなは行きたくないよね。ポチだけなんだよね。
私、水の中には入れないけど……行けるところまでは一緒に行くよ」
考えなければいけない。
俺が一人で行こうとしても、リーナはついてくる。
無理にでも、繋がろうとする。
「ああ、そうだ。様子を見るだけだから、場所を教えてくれるか」
――嘘だ。
とうとう、俺もそういう選択をするようになったらしい。
(……悪くない)
だが――
(いずれ別れる)
「……まあ、今は使われてない北側だ。魔動力も繋がってない」
マダラスは肩をすくめる。
「準備くらいはするがな。正直、俺は行きたくない。クラリス騎士様に任せる」
そう言って、さっさと部屋を出て行った。
それを見送るリーナ。
そしてクラリスが、こちらを見ている。
俺が、リーナやクラリスの思考を読めるようになったように――
考えが筒抜けになっている気がする。
(……ただ俺は骸骨だ。考えすぎか)
「こちらには、得する物がなにもない……。それでも本音を言えば、骨君には興味があるよ」
(興味か……、俺が知りたいのもそれだからな)
「何かを思い出したのだろ。それを教えてくれれば、お互いの為になるかもな」
「断片だ。連続した情報になっていない」
(グリッジのことを話した場合、キルの再現となるのだろうか)
……それか。
(ラフィウスのことはどうだ)
この世界の五百年前の神話か――
それとも、人格が故障している可能性も否めない。
(……話しても、意味があるのか。
それすら、判断できない)
「次、グリッチとの遭遇は、キルと同じことになるだろう。直接的にはわからないが、俺の……俺の……この骨以外を、持っていった奴らだ」
俺は……自分でも知らないうちに、軋む音がするほど骨の手を握っていた。
「……なら観測させてもらいたいが――少し考えようと思う。骨君も休んだらいい。……ただ」
(……何かあるのか)
クラリスが何か言いたいのか、それはわからない。
「ポチが、また一人で行っちゃわないように、私が見ているから平気だよ」
人のことがわかるなど言ったが……到底及ばない。
リーナはいつも考えてくれているようだ。
俺ももっと、未定義のまま残っている部分に深く潜りたい――。




