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017話 ~ それが価値だと、まだうまく言えないまま

 空には数十羽の白い鳥たち。

 羽ばたいて高く飛んでいくと、まるで白色が空に溶けていく。

 いや、本当に色は消え、鳥たちは透明になって見えなくなってしまった。


(……あれは)


 情報が飛んでいるように見えた。


 騎士たちの装備は、簡単な動作で動くものばかりだ。

 その自動化された魔法は、リーナの使うものよりも難解だ。


(……でも、理解できてしまう)


 仕組みが見える。


「クラリス――それじゃ届かない。キルの情報はタグが消えていた」


「……タグとはなんだ、骨君には何が見えたんだ」


 俺には知識がない。

 わかるはずのことが、言葉にならない。

 それでも、なんとか意味は通じたらしい。

 クラリスは疑うことなく、すぐに動いた。


「……ガランゼ、試しにもう一度送れ。送り先はここに、だ」


「ここにですか。了解です」


「骨君の言っているのは紋章のことだろう、詠唱不足と似ているからな」


「撃ちます」


 巨漢の騎士ガランゼが、背負った巨大なバックパックから白い球を射出した。

 それは空中でビルドされ、再びあの白い鳥となって羽ばたいていく。

 鳥は空中で旋回した時には姿は消えていた。


「クラリス様、届きました。どうぞ」


 手渡されたのは一通の手紙だった。

 それを受け取ったクラリスは、中身を確認した直後――。


(……?)


 彼女は、その紙をゴミのように投げ捨てた。

 ひらひらと舞い落ちたそれは、泥濘に叩きつけられ、瞬く間に汚れていく。


「……骨君が魔導士なわけ、ありえないよな」


 クラリスは俺の眼窩の奥を覗き込んでいる。

 そこにはかつてあったはずの瞳も、思考の光もない。ただの空洞だ。


「……一度、君のことをパステリウムに、連れ帰って調べてみたいよ」


 無表情の俺を観察していたが、彼女はすぐに飽きたのか、興味を失った視線を外した。


「ガランゼ、もういい。ガルデッド城へ早く行くとしよう」


 クラリスの号令で隊列が整う。

 キルと遭遇する前のような、秩序ある動き。

 だが、俺の意識だけが、この世界の見方を変えていた。


「ポチ! 取ってきて!」


 これで何度目か。

 リーナの声が、直接俺の演算回路に響く。


 道端に落ちている、ただの木切れ。


 だが――


 それを拾い上げ、戻る。


 騎士たちの視線が刺さる。嘲りか、呆れか。

 判別はできる。だが、意味はない。


 リーナの手に渡す。

 そのまま、頭を撫でられる。

 骨の隙間を抜けるような感覚。意識が、静かに整う。


(……悪くない)


 同じやり取りが、何度も続いた。

 気が付けば、三日経っていた。


 目の前に、ガルデッド城の黒く重厚な城壁が見えだした。

 その壁を視界に入れた瞬間、何かが切り替わる。

 意識の奥で、優先順位が再配置されていく。


(……伸びる)


 見えないはずの“線”が、そこに向かって集束していく。

 この城には、ある。


 〝キル〟へと繋がるものが。


 濃い。あまりにも。

 視界の奥で、黒が滲む。


(……まずい)


 処理が、追いつかない。

 引きずられる。その直前で――


「ポチ?」


 リーナの声。


 それだけで、切り離される。


(……保てている)


 いなければ、持たなかった。

 知識の奔流。


「疲れたの? 馬に乗って休めばいいよ」


 彼女が口笛を吹く。

 それは魔法というより、この世界の獣たちとあらかじめ結ばれた約束のような、自然な響きだった。

 その音に応じるように、一頭の馬が迷いなく手元に戻ってきた。


 馬の背に揺られながら、俺は再び黒い城壁を見上げた。


 空には、先ほど消えたはずの白い鳥たちが、今度ははっきりとその姿を現し、無数に飛び交っている。それらは意思を持つように、城の中心にそびえ立つ、ひときわ高く禍々しい黒い塔へと吸い込まれていった。


(……情報が集まっている。あの塔に)


 濃い。

 あまりにも。

 いくつもの“縁”が絡まり合い、ほどけずに沈んでいる。


(……ここなら、見つかるはずだ)


 俺から抜け落ちたものが。


 城門らしき構造物は辛うじて形を留めていたが、城壁の多くは崩れ落ちている。

 いや――崩れているというより、そこにあるべきものが抜け落ちている。


 欠けている。

 馬が蹄を下ろすたび、足元から黒い粉が舞い上がる。

 煤。

 だが、ただの燃えカスじゃない。

 触れた感触が、残らない。


(……軽い)


 何かが、失われたあとの残滓。


(煤の街……)


 灰に覆われた景色の向こうで、塔だけが異様に濃く沈んでいる。


「ポチぃ、面白いよ。私たちの影が見えないね、みんな黒いからかな」


 煤に影が吸い込まれているようだ。

 足元を見ても、輪郭が曖昧で、どこまでが自分なのか分からない。


 踏み出すたびに、黒が揺れる。

 それが影なのか、煤なのか――判断がつかない。


 やがて、開けた場所に出た。

 馬を繋ぐための広場らしい。


 全員が手綱を離すと、奥の壁が、低く唸った。


 せり上がるように、段が現れる。

 規則的に、止まらず動いている。


「これなに!」


 驚いているのはリーナだけだ。


 ……知っている。


 いや、違う。

 知っている“はず”だ。

 視線を向けるだけで、構造が頭に流れ込んでくる。

 だが、その意味が――掴めない。


 煤が、喉の奥に入り込んでくる感覚があった。

 吸っているわけではない。だが、内側に触れてくる。


 俺には問題ない。


 リーナはすでに、口元をパッチワークで覆っていた。

 騎士たちに視線を向ける。

 鎧の表面に触れた煤が、弾かれている。

 風の層が、まとわりついている。


「ポチもマスクするかな」


 わかって言っている。

 俺は、首を横に振った。


 階段の終点。

 その先に、扉がある。

 煤に覆われているはずなのに、輪郭だけがはっきりしている。


 ――開いた。


 人の気配はない。

 だが、内側から動いたように見えた。


 ……違う。


 さっきの階段と同じだ。反応している。

 入力に対して、処理が返っている。

 だが、その条件はわからない。


 部屋の中は暗い。

 だが、煤は――ない。


「そう言えば、私たちどうなるんだろうね」


(……思い出す。ラデーヌたちは奴隷商人。

 リーナは、捕まる側だ。いつの間にかその認識が抜けていた。)


「クラリスにでも聞いたらいいさ、知っているはずだからな」


 クラリスは口を閉じたまま、こちらを睨みつけた。

 そっと、小声で一言だけ呟いた。


「思考は抑制する」


 意味は取れる。だが、参照先がない。

 隣のリーナも、頭を傾げて悩みだした。


 そうしているうちに、反対側の扉がシュっと音をたて開きだした。

 そこには、マダラス卿と部下たち数名。


「どうも騎士殿、珍しく遅れましたね。何かありましたかな」


 この二人の関係はわからない……。


(他人との関係が、気になる。……初めてだ。

 ――知ってどうする。)


「大したことはない、強い雨が降っただけだ」


「ほう、この地で雨とは珍しい。それより……」


 マダラスの視線が、リーナに止まる。

 一歩、近づく。


 クラリスが、わずかに前に出た。


(空気が、変わる。)


「……まだ、か」


 マダラスが、イラつくように呟く。


(時間が、重い。)


「彼女はこのまま、私たちが預かる。権利魔法は今から無期限更新する」


 ピン、とクラリスの手元から甲高い音。

 それに続くように、他の騎士たちからも音が鳴った。


「はあっ」


 マダラスが、止まる。

 口元が、わずかに引きつる。


「こ、これは、そちらへの反論でも何でもない、ただの興味なのだが聞いてもよろしいかな」


「ああ、もちろん受け渡しの件以外なら構わない。――もう済んでいるからな」


「おお、それはよかった。実はな、契約不履行の場合の罰金があってな……」


「そんなことは知っている。マダラス卿は魔石金のみだったな。三千、すぐ送らせる」


「あ、もちろんそれでもよろしいのですが……届くまで、ご同行をと。疑っているわけではありませんよ、もちろんね」


「マダラス卿のみ……。我々の索敵内には誰も入れませんよ」


「勿論ですとも。お互い契約内のことなのですから」


 クラリスとマダラス。

 二人の間に流れるのは、腹の探り合いなのか。


 特に彼女の言葉には、高度な魔法が張り巡らされている。

 個人のものではない。

 騎士たち全員で共有された、魔法言語。


 構造は、理解できる。


(でも――音として聞こえるのは、何故だ。いや、声か……)


 リーナの声に、似ている。


 隣を見る。

 リーナは、あくびをしていた。


 それでも声は聞こえる。


 ――俺の名前が、呼ばれていた。

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