016話 ~ 盗まれたのは肉体と……
「やっぱり私の言った通りでしょ? クラリスさん!」
ね?と、リーナは騎士たちを見回しながら、自慢げに言った。
騎士たちの表情は強張ったまま、泥に固められたように動かない。
「ポチは、まだちゃんとできていないから、たまにこうなるけど……でも、大丈夫だから」
俺は、頭も体も風が通り抜けていくようで、妙に軽かった。
ただ、頭にこびり付いた記憶を、空瓶に仕舞うように整理したかった。
(リーナは何をしているんだ? 読み出せない……)
脳の欠けた部分を埋めるように、新しい回路が組まれている。
まだ、うまく噛み合っていない。
それでも、この騎士は表情だけでわかることもある。
静かな殺意だろうか――。
……蒸し暑い。
初めての感じだ――。
(骨にも汗腺があったか?)
雲は太陽に押しやられて、薄くなっていく。
「……リーナ、そこを離れなさい。そいつはすでに感染している」
彼女の言語から、俺に対する〝親和性〟は感じられない。
(それはそうだ。
俺の中に……いや、もういない)
さっきまで、存在しない胃を痙攣させるように吐いた〝キル〟。
欠片すら、残っていない。
(だが、知識だけがある。
それだけで、全身の骨を撫でられるような嫌悪が走る。
〝キル〟とは、どうあっても混じり合わない)
「ねえポチぃ、どうしちゃったの? 私の声、聞こえているよね?」
不安げなリーナの声。
(ああ、俺は外との接続を断ったままだったのか……)
俺は片膝をついて、隣にいるリーナの手を優しく取った。
自分の手にまるで暖かい血と肉があるかのように。
「ポ、ポチ!」
「リーナ――ありがとう。君がいなければ、俺は塗り替えられていた」
ふと、知識の回路が繋がる。
「……そうか」
一瞬で、理解した。
「盗まれたんだ、奴らに」
「――俺を」
「え? え、ポチいるよ。どこかの骨が盗まれた!?」
リーナの間の抜けた声が、まわりから緊張を消していく。
(……いや、違う。骨の話じゃない)
俺は自分の手のひらを見つめる。
暖かい血と肉があるかのような感覚。
失ったんじゃない。
盗まれた。
「骨は全部あるから平気だよ。それに――ポチに見えないかもしれないけど、リーナの知ってる俺に戻ったからね」
「ポチぃぃ。それは知ってるよ。だって……私のおかげでしょ?」
胸を張るリーナの言葉に、俺は一瞬、思考が遅れる。
(……あれ)
リーナを見る。
さっきまでとは、少し違う。
「だって私が歌えば、ポチは強くなれる。そうだよね?」
――否定できない。
リーナの言葉は、俺の中の何かを引きずり出していた。
「何考えてるの? ポチはもうポチだよ。……で、いいでしょクラリスさん」
クラリスは黙って馬から降りた。
乾いた泥が、ぽろりと剥がれ落ちる。
手にした剣先が、俺の鎖骨をなぞる。
その時には、彼女の鎧はすでに鈍い輝きを取り戻していた。
「私のネックレスが消えたか……」
わずかに角度を変え、骨の継ぎ目をなぞる。
「だが、傷が消えた? 元からなかったのか?」
冷たい魔力が、遅れて骨格の内側まで入り込んできた。
「それにだ。人に似たモンスターは多いが、あれだけの模倣は稀だ」
一拍、間を置く。
「何か知っているのか――骨君」
俺は考えもせずに答えを弾き出した。
「……知らない。でもこの世界で昔から動いているシステム」
「システム……何処の言葉だ?」
「ことわり(プロトコル)に巻き込まれている気がするよ」
(足りない)
(あるはずなのに――ない)
俺の指が、無意識に自分の空っぽの眼窩をなぞる。
引き出そうとする。
言語体系。
魔力の変換式。
座標制御の手順。
識別コードの読み取り規則。
構造体の再定義アルゴリズム。
断片は掴める。
だが――繋がらない。
参照だけが残っていて、中身が抜け落ちている。
「……知識が欲しい」
「ポチぃぃ? 私のはあげないからね」
勘違いしたのか、リーナはサッと自分の頭を隠した。
その無邪気な動きに、一瞬だけ思考が止まる。
「まさか、私のこの叡智を欲するのか? やはり動かぬ骨にした方がいいか」
クラリスの剣先が、再び俺の鎖骨を冷たく叩いた。
俺はそのまま、一歩踏み込む。
剣が俺を貫いた。
骨を抜けていく感触だけが残る。
「……君の知識は素晴らしいだろう……けど、必要ないよ」
「ポチぃぃ! ポチが刺されたぁ!」
リーナの声は大きいが、その目は好奇心で光っている。
「……リーナ、俺は骨だ」
「知ってるよ! でも刺されたじゃん! 痛くないの?」
(痛覚の定義が違う……が)
「痛くない」
「へぇ……」
リーナは俺の鎖骨から突き出た剣先を、躊躇なく指でつついた。
クラリスの眉が、わずかに動く。
「じゃあ、これは?」
「……感触はある」
「ふぅん」
リーナは今度は剣ではなく、骨の継ぎ目を指でなぞった。
観察するように、丁寧に。
(……なんだ、この子は)
「冷たいね。でも、さっきより少しだけ温かい気がする」
それは気のせいだ。
だが、否定する言葉が出てこなかった。
「もういい、早く馬に乗るんだ。探しに行くぞ」
クラリスは呆れて、その剣をあばらに当てずに鞘へと戻した。
その緩んだ空気の中で――
何処かへ流れていった、黒い犬の姿がふと浮かぶ。
ポチだったもの。
キルは元に戻せと言っていた。
(そんなことが出来るのか?)
だが、そのことに騎士たちどころか、リーナも触れない。
誰も見ていない。
(肉体は、重要じゃないのか……)
「ポチ、行こ」
リーナは俺のことだけを見ている。
俺が馬に乗ると、体を覆う程度のパッチワークをよこしてくれた。
リーナに向かって俺はうなずくだけだ。
隊列が動き出す。
誰も多くを語らなくなった。
所々、泥濘を踏む蹄の音と、遠くで鳴く鳥の声だけが続いた。
(……静かだ)
蜃気楼が揺らめく先に、二つの影があった。
そこから、声が聞こえてくる。
「……ッ、クラリス様!」「ご無事ですか!」
「アジヒスト、メーディス――」
一瞬、言葉に詰まる。
「心配したのはこちらの方だ!」
「申し訳ありません!」
今まで見たことのないクラリスの表情。
次の瞬間には、もう消えていた。
「そう、お前たちはこれくらいの子供には出会わなかったのか?」
馬上のクラリスが腰の鞘で、子供の背丈を示した。
「はい、会いました……朽ちた犬を持った子供です」
アジヒストは意味深に答えた。
「ですが、何かを呟きながら走り去っていきました。追いかけたのですが、あの猛雨の中に消えてしまって……」
「クラリス様たちは……」
メーディスの視線が、他の騎士たちの泥に落ちる。
「我々、役に立てませんでした……」
「もうかまわない。それよりお前たち、その時の情報をまとめて、至急、首都パステリウムへ送るぞ」
「……あれが……ですか?」
「新規のA級相当、として調べてもらうんだ」
「……A級」
メーディスは仲間の騎士たちに運が良かったと励まされながら、各自から何かを受け取り、仕事をしているようだった。
クラリスたちの動きを眺めていると、リーナが話しかけてくる。
「ねえポチ。A級だってすごいね。ポチがやっつけたんだよね」
リーナは隣で、俺の背中を叩いたりしている。
「ポチ、偉いよぉ~。凄いよぉ~」
まっすぐに、俺を見ている。
その視線が、なぜか離れない。
(……なんだ、これは)
意識ははっきりしている。
回路も、さっきまでより滑らかに動いている。
だが――それとは別に、何かがある。
深く。
静かに。
内側に沈んでいくような感覚。
言葉にしようとすると、崩れる。
定義できない。
だが、確かにある。
(……まあいい)
名前は、もうある。
ポチ。
呼ばれれば、応答する。
それでいい。
今は――
それでいい。




