The story’s 似顔絵屋 9
似顔絵学校は、思っていたより静かな場所だった。
建物は大きくはない。
古く、少し色あせている。
だが中に入ると、不思議と空気が整っていた。
机が等間隔に並び、紙と筆がすでに置かれている。
誰も大きな声を出さない。
会話も少ない。
ただ、紙の上だけがよく動いていた。
線が走る音。
消す音。
考える沈黙。
ここでは「話すこと」より「見ること」のほうが重要だった。
私はその教室の後ろに立って、少しだけ全体を見渡した。
すでに何人かは描き始めている。
顔を描く者。
手を止めて相手を見続ける者。
何度も線を引き直す者。
正しさはない。
でも、間違いも決まっていない。
その曖昧さが、この場所の特徴だった。
私は空いている席に座る。
その隣には、すでに一人の生徒がいた。
彼だった。
特別な印象はなかった。
ただ、静かに紙を見ている。
私が座ると、彼は一度だけこちらを見た。
授業が始まる。
その日の課題は決まっていた。
――「隣の人の顔を描くこと」
最初に聞いたとき、意味が分からなかった。
でもすぐに気づく。
つまり、今隣にいる人を描けということだ。
私はペンを持つ。
隣を見る。
彼はもう描き始めていた。
迷いがない。
線が速い。
私は少しだけ焦る。
でも、どう描けばいいのか分からない。
“顔を見る”ということが、まだよく分かっていなかった。
彼は私に気づいて、少しだけ言った。
「見てもいいよ」
その一言で、少しだけ楽になった。
私は彼を見る。
目。
鼻。
口。
でも、それだけじゃない。
表情の奥にある“何か”を見ようとしてしまう。
でも分からない。
だから、ただ見えるものから描き始めた。
しばらくして、彼が言った。
「できた」
早い。
紙を見せてもらうと、そこには私の顔があった。
でも、知らない顔だった。
きれいに整っているのに、少しだけ不思議な感じがする。
「……こんな顔なんだ」
思わずそう言った。
彼は少しだけ首をかしげた。
「違う?」
「違うっていうか……でも、分からない」
そのとき初めて気づいた。
“似顔絵”というのは、正解を当てるものじゃない。
でも私はまだ、その感覚がなかった。
次は私の番だった。
彼の顔を見る。
さっきより少しだけ、ちゃんと見る。
線を引く。
でも途中で手が止まる。
彼は何も言わない。
ただ待っている。
その静けさが、少しだけ怖かった。
「……ごめん、遅いね」
私が言うと、彼は小さく首を振った。
「いいよ」
それだけだった。
怒らない。
急かさない。
何も求めない。
ただそこにいる。
その“何もしない優しさ”が、少しだけ不思議だった。
結局、私はうまく描けなかった。
でも彼はそれを見て言った。
「ちゃんと見てるね」
その言葉の意味も分からなかった。
でも、少しだけ安心した。
授業が終わったあとも、私はそのまま残っていた。
彼も残っていた。
どちらからともなく、もう一枚描き始めた。
今度は課題じゃない。
ただの練習。
隣に座っている人を、もう一度描く。
さっきより少しだけ、線が進む。
彼は外を見ていた。
私はその横顔を描く。
「ねえ」
私が言うと、彼は振り向いた。
「何」
「なんでそんなに落ち着いてるの?」
彼は少し考えてから答えた。
「別に、落ち着いてるわけじゃない」
「そうなの?」
「ただ、描くのに理由はいらないと思ってるだけ」
その言葉はよく分からなかった。
でも、少しだけ残った。
その日から、私たちは隣にいることが増えた。
話すことは少なかった。
でも、同じ紙を見ている時間が多かった。
“上手いから仲良くなった”わけじゃない。
“気が合ったから”でもない。
ただ、隣にいても空気が変わらなかった。
それだけだった。
私はずっと思っていた。
あのときの彼は、何を見ていたんだろう。
私の顔なのか。
それとも、ただそこにある形なのか。
今でも分からない。
でも確かなことは
あのときの「隣」が、今もずっと続いてる




