The story’s 似顔絵屋 8
その街は、これまでのどの場所とも違っていた。
人の数が多い。
建物も高く、道も整っている。
だが似顔絵師が向かったのは、賑やかな中心ではなかった。
少し外れた場所。
古い石造りの屋敷。
門は閉じられていたが、手入れはされている。
――ここにいる。
そう分かっていた。
扉を叩く。
しばらくして、足音がする。
扉が開く。
そこにいたのは、一人の女性だった。
年は同じくらい。
落ち着いた目をしている。
一瞬、互いに何も言わない。
そして、ほぼ同時に言った。
「久しぶり」
空気が少しだけ緩む。
女性は小さく笑った。
「生きてたんだ」
「そっちも」
短いやり取りだった。
だが、それで十分だった。
中に通される。
屋敷の中は広かったが、人の気配は少ない。
「ここで一人か」
「そう」
女性は簡単に答える。
部屋に入ると、机が二つあった。
どちらにも紙と筆記具が置かれている。
似顔絵師はそれを見て、少しだけ笑った。
「変わってないな」
「そっちも」
女性は椅子に座る。
「描く?」
その一言で、すべてが通じる。
似顔絵師も座る。
向かい合う。
紙を出す。
炭筆を持つ。
昔と同じ形。
「久しぶりに、人の顔描くかも」
女性が言う。
「描いてなかったのか」
「たまに。でも、ちゃんとは」
少しだけ間がある。
「そっちは?」
「ずっと描いてる」
それだけで、会話は途切れる。
代わりに、線が始まる。
互いに、互いを描く。
視線が交差する。
昔と同じ。
いや、少しだけ違う。
昔はもっと速かった。
もっと迷いがなかった。
今は、少しだけ考えている。
それが分かる。
女性がふと笑う。
「覚えてる?」
「何を」
「最初に顔描いたとき」
似顔絵師は少し考える。
「怒られたやつか」
「そう」
女性は笑う。
「全然似てないって言われて」
「お前が泣いてた」
「泣いてない」
少し強く言い返す。
でも、少しだけ笑っている。
「……あの頃は、“正しい顔”があると思ってた」
女性がぽつりと言う。
手は止めない。
線を引きながら話す。
「先生も言ってた。ちゃんと見ろって」
似顔絵師はうなずく。
あの学校。
似顔絵を教える場所。
珍しい場所だった。
そこでは“顔を描く技術”だけじゃなく、“人を見ること”を教えられた。
「でも結局、分かんなかったな」
女性が言う。
「何が」
「何を見ればいいのか」
似顔絵師は少しだけ手を止める。
「今は分かるのか」
女性は少しだけ考えて、首を振る。
「分かんない。でも」
線を引く。
ゆっくりと。
「分からないまま描いてもいいって、思えるようになった」
その言葉は、静かだった。
似顔絵師は何も言わない。
ただ、また描き始める。
時間が流れる。
音は、紙の上だけ。
やがて、女性が手を止める。
「できた」
紙を差し出す。
似顔絵師は受け取る。
そこにいたのは、自分だった。
でも少し違う。
旅をしてきた顔。
少し疲れて、でも止まっていない顔。
「……こう見えてるのか」
「うん」
女性は短く答える。
似顔絵師も、自分の絵を差し出す。
女性がそれを見る。
しばらく、何も言わない。
やがて、小さく笑う。
「変わってないね」
「そうか?」
「うん。ちゃんと見てる」
その言葉は、昔と同じだった。
でも意味は少し違う。
昔は、“正しく描けている”という意味だった。
今は、“ちゃんと向き合っている”という意味に近い。
女性は自分の絵を見ながら言う。
「ねえ」
「なんだ」
「あなた、自分の顔、描いたことある?」
その問いに、似顔絵師の手が止まる。
少しだけ、間が空く。
「ない」
正直に答える。
女性はうなずく。
「だと思った」
それ以上は聞かない。
ただ、紙を重ねる。
二人の描いた絵が、机の上に並ぶ。
過去と今が、そこにある。
窓の外は、少し暗くなっていた。
夜が近い。
それでも、二人はしばらくそのまま座っていた。
言葉は少ない。
でも、線は続いていた。
昔と同じように。




